私たち人類は、今、
人類の生存を脅かすような危機
(人口爆発、地球温暖化、資源の枯渇、環境破壊など)
が差し迫る中、危機に対してあまり有意義な対応が出来ているとはいえないであろう。
確かに、私たち人類は、これまでも、日々、生存に関わる危機を乗り越えてきた。
以前は、危機が及ぶ規模が、個人や家族、部族、都市国家、国家に比較的限定されていた。
しかし、現代における脅威は世界規模に拡大している。
地球が、かつてないほど小さく、互いにつながった社会となった今、もはや誰も、逃げられる安全な場所はないのである。
また、私たちは、急速に発展を遂げている現在やきわめて危険な未来よりも、旧石器時代に、はるかにうまく適応出来る心理構造で、危機に向かい合っているのである。
次の日までどう切り抜けるか、また次の食事は、どこから、得られるのか、と、いった不安を常に抱えながら彷徨っていた私たちの祖先の時代によく機能した先天的な心理気質を、私たちは進化の課程で身につけた。
しかし、かつては、無限とも思われた資源があった非常に大きな世界は小さくなり、すでにその限界を超えてしまったようである。
その昔、人間が生き残れるかどうかは、直感と短期的な決断にかかっていて、貪欲であることは概ねよしとされていたのだが、今やこの自己中心的ともいえる生存本能は、
協調的な計画を必要とする現在の世界の中で、自滅的な行為に私たちを走らせているのである。
私たちが外界をある程度征服したともいえる今、問題となっているのは、
私たちの心の中にある衝動をどの程度抑えられるか、である。
今、私たちが、眼の前に在る現実にそぐわない選択をすることは、私たちよりも後の世代にさらなる危機を引き渡す危険がある行為だといえるのではいだろうか。
ところで、かつて、ヨーゼフ・ゲッベルスは、今(2024年)のアメリカの選挙運動戦略を予見するような
発言をしていた。それは、
「知識人を変えようとしても無駄だ......一般市民にとって、議論は単純明快で説得力があり、知性ではなく、感情や本能に訴えかけるものでなければならない。
真実は重要ではなく、駆け引きと心理作戦に完全に従属している」
というものである。
アメリカの選挙運動戦略のひとつである政治広告は、テレビとともに発達した。
1948年の大統領選挙における選挙運動で、ハリー・トルーマンは、100万人と握手をし、3万1000マイル(約5万キロ)を移動した。
1952年、ドワイト・アイゼンハワーにとって、選挙運動は、はるかに易しくなった。
彼は、テレビのスポット広告を1日で40本撮影し、その広告は、トルーマンの訪れた地域よりもずっと広い地域で放送されたのである。
最もテレビ映えした大統領であるジョン・F・ケネディは、200本のテレビ・コマーシャルでメッセージを拡散した。
1964年には、ネガティブ広告の大きな可能性が明らかになった。
この年、リンドン・ジョンソンは「デイジー」と呼ばれたテレビ広告で、バリー・ゴールドウォーターを軽率で頼りにならず、核の全面戦争をしたがっている人間であるかのように描いた。
それ以来政治プロパガンダのほとんどは、ネガティブな内容で、なすべきことに関する見解を示すのではなく、敵対する相手の政策や、特に、人格を攻撃するものが多くなった。
ラジオのトーク番組は政治論を粗悪な陰謀論に貶めた。
さらに、インターネットによって、(真実が靴を履く前に、)嘘が瞬く間に世界中を駆け巡るようになったのである。
ステレオタイプ化は、政治の二極化と洗脳を実現する鍵である。
いくつかの辞典によると、
「ステレオタイプ」
は
「ある集団の成員が共有する画一的なイメージで、
極度に単純化された意見、偏見を持った態度、正当な批判基準に基づかない判断を指す」と定義されている。
「ステレオタイプ」は約200年前に生まれたばかりのことばで、フランス語に由来し、もともとは、
同じ規格の複写を作るために使われる印刷機用の鋳型を意味した。
しかし、ステレオタイプになる傾向は、人間の脳と同じくらい古くから存在する。
ステレオタイプのおかげで、素早く手軽に経験を理解し、集団の一員として認められる。
だが、先入観が一度出来上がってしまうと、変えることは、難しい。
それが、集団内の仲間と共有されている場合は、なおさらである。
そして悪循環に陥る。
つまり、集団内で二極化が起きると→
ステレオタイプ化が生じる→
それでいっそう二極化が進む→
さらなるステレオタイプ化を招く、というようになってゆくのである。
自分たちと異なる人々に対する知識と理解の不足はネガティブなステレオタイプ化が起きる格好の条件である。
特に、政治家が、ある意味、底意地悪く、国民同士を対立させようとしているときがあるとしたら、
それは、国民の利益のためではなく、常に政治家のための態度である。
ステレオタイプ化は、単純な問題を扱う場合には、最も効率的な方法だが、
複雑な問題を扱う場合には、最も破壊的な方法である、と、いえるのかもしれない、と私は思うのである。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
数日間の不定期更新から、シリーズで描いてゆく、いつもの日記に戻りました。
またよろしくお願いいたします( ^_^)
寒暖差が激しく、花粉も飛び散り、ツラいシーズンですね。
体調に気をつけたいですね。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
同感です。アメリカで暮らしていたとき、ステレオタイプとそれが引き起こす悪循環の恐ろしさを痛感しました。
ところが、帰国後気づいたのは、日本でも似たような状況が起きる、ということです。
原因となる知識と理解の不足。これは本人が自覚しない限りなんともしがたいのだな、外から強制できるものではないのかもしれない、と思ったりするのです。悲観的になりたくはないのですが!
おはようございます。
読んで下さりありがとうございます。
コメントありがとうございます( ^_^)
アメリカ、日本、そして、世界の二極化は本当に怖いなあ、と思います。
最近は、アメリカ大統領選挙を取り巻くニュースを見ているだけでも、なんだか怖いなあと感じます。
アメリカの選挙の行方、
気になりますよね(・∀・)
自分は花粉症では無いですが、
体調は大丈夫ですか?😊
お互い無理し過ぎないよう、
楽しく過ごしていきましょうね😄
テル
こんにちは。
読んで下さりありがとうございます。
また、コメントありがとうございます( ^_^)
ありがとうございます。
寒暖差の大きい時期ですが、お互い体調に気をつけて元気に過ごしたいですね( ^_^)