ここ数日
かつての病気になったことと
リハビリの関連性について考える。
まあ、ここ数回
「正常」や「健康」
の定義は曖昧であり、
それらの状況を断定することは困難であり、
私たちの生きるこの世界で問題を整理、解決することに役立つような
「普遍的」であり「超越的」な定義は存在しない
ということ。
と、
(夜の闇に乗じるように)曖昧さに乗じて、
「いくらか病気」と「おおむね健康」
の間に在る曖昧さを利用して、主に精神医療において
病気の領域を広げる製薬業界のビジネスモデル
同様の手法をとり、薬の購買数を増やそうとするマーケティング
そして、その両者の線上にある、診断インフレ
について描いてきた。
今回は、
「思い込み」や上記で描いてきた意味での「曖昧さ」、そしてそれらに基づく「主観的判断」を利用した、
ある意味での市場の操作
が可能になってしまう理由
について考えたいと思う。
まず、
精神医学の特徴として、
「正常」と「病気」の境界線の操作に対して、生物学的なデータや明確な数値が存在しない、
ために、
巧妙なマーケティングに影響されやすい主観的判断に大きく依存する構造をとりやすいから。
つぎに、
どのような病気や企業にかかわらず、
収益性は市場規模と商品の利鞘を大きく出来るか、に依存する、ことは言うまでもない。
診断インフレを推進することが、製薬企業成功の最善手だ。
もはや、市場浸透のため、
幅広い人口層の取り込みに奔走する。
その結果老若男女が取り込まれてしまうから。
そして、
製薬企業は自身に隣接する、処方箋を書く医師たち、それを求める患者たち、さらなる治療を求める消費者団体たち、精神医学の研究者たち、彼ら/彼女らすべてをつなぐメディアや(インター)ネット、を、先の二つのとともにうまく利用し、
強固で広範で、長期的なキャンペーンをはることが、出来るから。
あまりに哀しい理由だが、どんな企業であれ、最終的には、何より大事なのは、株主と企業自身の生き残りであって、公共の福祉ではない、ということなのだろうか。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
雨だからと湿度を伴う、残暑がまだまだ厳しいですね。
日の出日の入りは変化しているのに、あまり気温と連動しないのがかなしいですが、頑張りすぎず頑張りたいですね。
では、また、次回。
一般企業が利益を求めることは営みなのですが、世紀変わるころから私の環境ではここにも逆転現象を見ています。
利益や恩顧、度外視で全くよくないことに徹するという、通常想像の及ばないことです。
一つには、益に表向きには無いものがあるからです。
こちらを拝読して思いましたのは、医療が利益を追求することはよい事と思えないところへ利益求めていることが絡むという構図が、たしかに場所や人により顕在化していたということです。
物事、二面性があるとはいえ、社会各所、本分と逆転するほうのあり方が強くなっている点、共通性があります。
すみません、コメントの長さではありませんね。