ロシアのウクライナ侵攻以降、
世界、もちろん、日本においても、テレビなどでその発言が多く取り上げられるようになった人物のひとりに、
国連事務総長のアントニオ・グテーレス氏がいる。
アントニオ・グテーレス氏は、精神分析者の奥様から、心理学の知識が持つ政治的な価値を学んだ。
グテーレス氏は
「妻は私の政治活動すべてにきわめて有益なことを教えてくれた。
2人の人間が一緒にいるとき、そこにいるのは、2人でなくて6人である。
おのおの自分に加え、おのおのが考える自分、そしておのおのが考える相手の6人だ。
人間に当てはまることは、国や組織にも当てはまる。
それぞれのシナリオにおいて、鍵となるさまざまな関係者と関わる際、事務総長が果たす役割の一つは、こうした6人を2人にすることである。
すなわち、誤解と間違った認識が消えるようにすることだ。
認識は政治において核心を成している。
政治においては、6人を2人にするということにとどまらない。
難題に対処するために一丸となって取り組むことができるように、何百という人々を取りまとめる仕事が多いのである。」
と述べている。
未来において決定的に重要な政治家の仕事は、
人々が国の問題を解決するために、一丸となって活動できるように各国内で人々を団結させること、
また、世界中の国々が世界の問題を解決するために、一丸となって活動できるように国々を団結させること、である。
私たち国民の方が、私たちを代表する政治家よりも、
「具体的な問題に対する常識的な解決策を見つけ出すこと」において、優れており知恵があり多様性があり、そして未来への団結力がある、と、私は、思う。
米国などの代表制民主主義制度の在る他国でも同様な現象が起きているが、
各政党の綱領は、その政党の中で最も過激な思想を持つ者たちの既得権益を満たすように作成される。
そのため、各綱領では、共通点よりも、相違点が強調されることになる。
それに対して、国民の大多数は、永田町で対立が激化して紛糾している問題についても、実は、おおむね意見が一致していることが、世論調査で常に示されている。
この状態は、もはや正確には国民を「代表」しているとは言い難く、代表制民主主義の失敗といっても過言ではないであろう。
つまり、国民を代表している、と、される政治家よりも、国民の方が分極化の度合いが、ずっと、小さいのだ。
さらに、国民と政治家との分極化の差は、時代とともに著しく広がっている。
例えば、50年前はどうだろう??
国民と政治家の間には、まだ、同じ目的が在りそれに準ずる目標も多く在った。
50年前は、まだ分極化の度合いは同質さを保っているように見える。
その後、国民の分極化はほんの少し進んだが、政治家の分極化は急激に進んだ。
今や政治家から「中庸」を尊ぶ気持が感じられないのは、私の気のせいでだけではないと感じる。
私たちは国民は、根底では団結しているのであろう。
そして、それは、世界にも同じことが言えると私は、思う。
世界市民主義(cosmopolitanism)の基底を、世界を構成する要素たちに、求めるとするならば、世界に対しても同じことが言えるように思うのだ。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは
「私たちは、皆、違う船でやってきたかもしれないが、今は同じボートに乗っている。」
と述べている。
対立を生むプロパガンダ、イデオロギー、団結ではなく、困惑や分断しか生まない言動無くすことも、世界の共通した問題の解決に役立つであろう。
具体的な事実に即して話し合えば、分極化の度合いは、見た目よりもずっと小さくなるはずである。
私たちの大多数は、おそらく、問題解決能力を有しながら、イデオロギーよりも超党派的な方法で問題が解決されることを望んでいると、
希望を込めて、推察している。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
気温の上下が激しいですね。
寒暖差というべき?なのでしょうか??^_^;
空気も乾燥して、街の灯りは透徹して綺麗に見えますが、喉や鼻にはツラいかもしれませんね。
体調を崩さないようにしたいですね。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。