おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

今を、夕暮れでなく、夜明けにするために。ディストピア的暗黒時代には、背を向けて進むために。-cosmopolitanismについて考える②環境破壊-

2023-11-29 06:00:14 | 日記
ビクトリア朝のロンドンでは、
「馬なし馬車」と呼ばれる乗り物が、ロンドンの町中を恐怖から救ったと崇められていた。

なぜなら、馬がひく馬車に比べて、きわめて清潔な乗り物と見做されていたからである。

商取引の急速な拡大に拠り馬車が急増したため、人々は、ロンドンの町中が馬糞に埋もれてしまうのではないかという悪夢に日々、苛まれ続けていた。
そんなときその悪夢を破ってくれたのが、当時「馬なし馬車」と感謝を込めて(?)呼ばれた自動車の発明であった。

その頃から、ずっと、私たちは、現在のテクノロジーと、それがもたらす影響を同時に受け入れられるかもしれない、と考えるようになった。

魅力ある新たな技術的解決策が、ちょうど良いタイミングで眼の前の問題から私たちを助けに来てくれた。
しかし、その技術的解決策には、過剰な量の二酸化炭素の排出が伴う。
これは大気の温室化を引き起こす問題だ。
しかし、......そうだ!!
この問題も新たな技術的解決策で、二酸化炭素を地中や深海に封じ込めたり、硫黄粒子を大気中に放出したりして、大気の温室効果を抑えれば良いのだ、というように。

この技術的解決策自体が、壊滅的な意図せぬ結果を招く大きなリスクをはらんでいることは言うまでもない。
特に、テクノロジーの崇拝者は、地球温暖化を否定する集団のなかで、テクノロジーの驚異的な進歩が、最後には魔法のような救いをもたらしてくれる、と、最も固く信じている。

私たちは(少なくとも私は)、それほどではないにせよ、どこかで、テクノロジーの魔法のような救いを期待している。

生命体は、その住む場所に大きな影響を与える一方で、自分が生み出した環境に大きく影響される。

20億年前、それまで地球を支配していた酸素を必要としない細菌は、自分が排出する酸素に毒されて、滅びた。

幸いなことに、その酸素が、人類の祖先の生命を維持することになったのである。
そして、今は私たちが、地球をほぼ支配しながら、自らが作り出した廃棄物である二酸化炭素でその地球を汚染している。

蓄積されたデータに基づいた、今最も有力であると思われる科学的コンセンサスでは、私たちが急速に地球を破壊していること、および、大胆な是正策を今、採らなければ、すぐ私たちの手に負えなくなり、すでに破壊されてしまったものを将来の時点で修復できないことが、はっきりと確認されている。

よく考える、または問題を先延ばししない、まともな世界を目指すならば、
私たちは、将来、問題は魔法のように解決する、と、いう夢のようなおとぎ話に頼るべきではない。
まずは、世界の二酸化炭素排出量を大幅かつ早急に減らすために、
私たちの力が及ぶ範囲内であらゆることを理性的に行うという、現実に即した保険をすぐにかけるべきである。

概して、保険というものは、いつか使う必要があると確信することなく、予め加入しておくものである。
近々災害に遭うリスクは、ごく僅かだが、ほとんど起こりえないことが実際に起きた場合、保険がなければ大変な状況になるため、保険に加入し続ける選択を人は採る。
こうした将来への配慮を、私たちの将来への考え方に活かし、地球温暖化に対しても、未来の保険となるような、費用をかけた対策を取ることは、出来るはずだ。
リスクがどれほど深刻なのか、また、今後どれくらいで限界点に達するのか、はっきりする時点よりもずっと前に、私たちは、将来に対して費用を支払わなくてはならない。

いつの日かテクノロジーによる解決策を生み出せるというやみくもな希望に、私たちは、私たち人類の運命を漫然と暢気に賭ける余裕はないはずだ。

治療法がない場合や、その治療が遅すぎて窮地を脱することが出来ない場合があるからこそ、予防は治療に勝る。
さらに、親たちが生命保険に入るのは、保険が自らを助けてくれる、と、いう理由だけではなくて、子どもたちを気遣っているからである、と私は、思う(推察する)。
子どもに安全・安心な環境を残すために、こうした保険同様、私たちは、私たちの力が及ぶ範囲でのあらゆることを理性的に行うという、現実に即した保険をかけながら、将来世代を守る姿勢を持つべきであるし、持つことが出来るはずだ、と、私は、思う。

私たち人類は、薄明かりのなか、さまざまな問題の前で、転機に立たされている。

その薄明かりは、ディストピア的暗黒時代が始まる直前の夕暮れの時かもしれなければ、ディストピア的暗黒時代を抜け出す直前の夜明けの時かもしれない。

ただ、間違いなく言えることは、
私たちが、持続可能性を達成出来ること、達成しなければならない、ということ、そして、それが実現するかどうかは、やはり私たちにかかっているということ、である。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
異常に長く暑い夏が過ぎて、季節が行きつ戻りつするときがあっても、やはり冬になってきたなあ、と感じます。
外もまだ暗くて、冬だなあ、と、感じます。
朝晩の寒暖差がとても激しいですね。
体調を崩さないようにしたいですね。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
*見出し画像は一昨日の見出し画像を撮ったときに、偶々撮れたもので、気に入って保存していたようです。懐かしかったので使用しました( ^_^)






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