おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

絶好の機会か重大なリスクか-患者だった、現在リハビリ中の私の視座から-

2023-09-29 06:44:14 | 日記
「地獄への道は
善き意図と意図せざる悪しき結果に
敷き詰められている」
ということわざがある。

欧米諸国の医療・福祉制度やそのモデルを羨ましがる我が国の風潮は、
追いつけ、追い越せと、
皮相上滑りな政策を実行しようとしており、
欧米モデルに在るいくつかの欠陥には目をつぶり、
かつ欧米モデルが日本の風土や文化に合わない部分が在ることもあまり考えてはいない。
(ex:少子化対策の話ですぐに善くも悪くもフランスのN分N乗方式に飛びつく政治家たち)

それは、意図せざる悪しき結果も敷き詰められている道を行くという行程表のように、私には思える。

さて、憧れの欧米諸国(→特に米国)で、
もはや起きていることだが、
間違った資源配分により
「健康で不安を感じている人」たち
が過剰な治療を施されて害を被り、
「本当に病気で治療を切実に必要としている人」たち
があまりにもわずかな助けしか得られていない。

精神医療に問題の領域を縮小して言えば、
米国では、そのような間違った資源配分により、
重いうつ病を患う人のうち3分の2が治療を受けられず、
重い統合失調症を患う人が刑務所ではじめて治療を受けるケースが多く出てきた時期がある。

少なくとも10年前には、
米国にいて、DSM-5を作成した作成者たちは、その使われ方に不安、さらには危機感を覚えていたし、
その事実を直視していた。

現在でも、日本の医療関係者の大半が、作成者たちの懸念や危機感を知らずに、
作成者たちの懸念通りDSM-5を鵜呑みにしている現場をご覧になったら、
作成者たちは、卒倒するかもしれない。

DSM-5作成者のひとりは

「私が、好物をたらふく食べてしまうのは
DSM-5の『むちゃ食い障害(BED)』なのか?
人の名前や顔を忘れることは、いちいち
DSM-5の『軽度認知障害(MND)』なのか?
そんな心配や悲しみは『混合性不安抑うつ障害』で、身内や友人を亡くしたときの悲嘆は『大うつ病性障害(MDD)』か?
孫のかんしゃくは、もはや単なる日常の音ではなく『重篤な気分調節不全障害(DMDD)』なのだとしたら、
このままだとDSM-5は確実に大混乱を引き起こす。」

と、DSM-5が練られている段階から(DSM-3からの考え方や事象たち、それらの変遷をご覧になっているので)診断インフレを憂慮していた。

我が国でも、事実に基づかない、そして、
絶好のチャンスか重大なリスクかをきちんと議論しないままに、
政策などが実行されないように願いつつ。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
少し今回は、長くなりました。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。




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