「三島由紀夫は生き方に中途半端だったからだ」
大江健三郎との違いを、話しているうちに、福島の被災者の女性に言われたことばである。
確かに、私が、あまりにも闘病生活(→むしろ過剰処方からの減薬生活)がキツくて
「いつ死んでもいいや」
など、と、考えていたとき、三島由紀夫は輝いていた。
しかし、
闘病をしながら、
「後遺症があっても生きていきたい」
と思う度に、三島由紀夫はかすんでいった。
なぜだろう??
確かに、三島由紀夫の著作を真っ向から批判できるひとは少ないだろう。
しかし、三島が、自決した理由を大江健三郎かもしれないと感じた理由のなかに、私は、何らかの、解がある気がした。
「生きる」とか「書く」ということの定義も定理も私はあやふやなのに、そう、思ったのである。
思うに、三島は
「優雅」を装うことに疲れていたのではないだろうか。
証明なんて出来ないが、そう思うのである。
『豊穣の海』をシリーズみていても、私は、「春の雪」の清顕、「奔馬」の勲や、「暁の寺」の本多や、そして、偽物である「天人五衰」の透にそれを感じてしまう。
それは、確かに、私も、病を経て30代後半になるまで、わからなかった。
10~20代の私は、透に肩入れしており、「天人五衰」のやり方にも賛同していた。
ただ、ほんとうに、生死の境を彷徨った経験から、三島と現代の精神医療の問題点について描いてみたいと思う。
また、三島は、文豪である以前に、人間だったことを見つめたいと思う。
三島だって、見栄っ張りだったし、それを続けるのがツラかったのだろうから。
今後、作品をもとに、そう考えた理由を徐々にだが、描いていきたい、と思う。