おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

精神療法において精神療法家と患者の協調に必要なことは、政治家と有権者の協調にも必要である

2024-08-23 06:37:19 | 日記
精神療法家と政治家には、多くの共通点があり、影響を及ぼす範囲は大きく異なっているかもしれないが、目標や手法が極めてよく似ている、と、私は思う。

なぜなら、両者とも、明言されることも隠されることもある動機を理解し、それらに訴えかけることによって相手の態度や行動を変えようとするからである。

精神療法家が1度に1人の患者に働きかけるのに対して、政治家は何百万という人々に影響を与えるが、両者が持つスキルはよく似ている。

精神療法において、精神療法家と患者との協調に必要なことは、政治家と私たちの協調に必要なことでもあるのではないか。

以下は、精神療法での基本的なルールなのだが、ルールのなかの「患者」を「有権者」に、「精神療法家」を「政治家」に置き換えて見てほしい。

・精神療法家は、誠実であること、また、患者にも、誠実であるように促すこと。

・患者との強い絆を築かなければ、患者を助けることは出来ない。

・患者の言葉づかいで話をする。

・患者の話をよく聞き、患者が精神療法家から学ぶのと同じくらい多くのことを、患者から、学ぶようにする。

・精神療法家の努力すべてが患者本人に向けて行われていることを、患者にわかってもらう。

・共感と信頼が治療に最も必要な要素である。

・痛みや恐怖、怒り、落胆を自由に表現するように、患者を励ます。

・患者のニーズと、患者がそれをどのように満たして欲しいと感じているかを確認する。

・現実的な目標と期待について話し合う。

・性急な判断をしない。

・徐々に希望を持たせる。

・事実や数字よりも、比喩やイメージ、例え話を用いる方が有効である。

・精神療法家が自分の感情を意識し、それを効果的に活用する。

・治療中の何もかもが同じ重みを持つわけではないことを理解し(→精神療法で語られた内容の10%に満たないことが、患者の変化の90%以上に貢献することもある)、患者が潜在的に持つ変化への転換点に常に注意し、変化を起こすためにできることは、何でもする。

これらのルールを見てゆくとき、よろしくない政治家たちが体現し、悪化させてしまっている社会の狂気を癒そうとする政治家には、精神的なアプローチを学ぶことは有用だ、と、私は、感じることがある。

また、ゆっくりと、おだやかに今の社会を現実に引き戻すとき、政治家には、精神療法家と同様の戦略が、必要になる。

精神療法家が、妄想を抱く患者に対して、その患者が信じているものが間違いで自滅的であることを証明しようとして、事実に基づいた議論を行うことは、まず、ない。

いかにその妄想がはたからみれば、とんでもなく間違っていて、有害だったとしても、患者にからみれば、妄想はつらい現実の埋め合わせをする手助けをしてきたのであり、妄想が間違いで害を及ぼすものだからといって、捨て去ることが出来るものではないのである。

精神療法家が、先走って患者に現実を押しつけようとすると、患者は、怒りや不安、困惑を感じ、さらには頑固な妄想を抱いて、精神療法家とともに治療に取り組む意欲を無くしてしまう可能性がある。

真実は、人を自由にすることも確かにあるのだが、患者の側にそれを聞き入れる準備ができていなくてはならないし、その真実は、正しいタイミングと方々で伝えられなくてはならないのである。

優れた精神療法家は、妄想を必要とする患者の隠れた苦悩を汲み取ると同時に、その苦悩を和らげる現実的な方法を見つける取り組みを、患者と共に少しずつ行っていく。

精神療法家は、患者の苦しみへの共感を表すことが重要で、患者が妄想によって、その根本原因を避けていることの是非は問わない。

精神医学において妄想とは、
「強固に維持された揺るぎない誤った信念であり、決定的な証拠や理性的議論による修正にも抵抗するもの」と定義されている。

また、動詞として「妄想させる」と使われる場合は、
「誤ったことを相手に信じさせる」という意味になる。

社会の妄想は、それを広め信じる者にとっては、逆に有益な目的を果たす。

そしてそれが、社会や世界にとって誤った、危険なものであるから、という理由だけで、捨て去れるものではない。

さらに、勇気を持って事実と向き合うように政治家が、有権者に素直に呼びかけても、有権者に、それを受け容れる準備が出来ていなければ、有権者は怒りや恐怖や不安を感じ、政治家と共に参政する意欲をなくし、政治家は選挙に負けることがある。

1979年に、カーターが行った「社会のmalaise」と呼ばれた演説(→正式なタイトルは「A Crisis of Confidence」)と、その後の有権者の反応は、よい例であろう。

精神療法家が、最初に行うべき、最も重要なことは、患者の立場に身を置いて考えることである。

「自分が、この人の状況にいたら、私もこの人のように行動し、考え、感じるかもしれない」という前提に立つことから始めるのである。

政治家が有権者に、最初に行うべき、最も重要なことも、同じであろう。

グテーレス国連事務総長は、精神分析者の妻から、心理学の知識が持つ政治的な価値を学び、彼は、
「妻は私の政治活動に、きわめて有益なことを教えてくれた。
2人の人間が一緒にいるとき、そこにいるのは2人ではなく6人である。
各々が自分に加え、各々が考える自分、そして各々が考える相手の6人である。
人間にあてはまることは、国や国家に当てはまる。
それぞれのシナリオにおいて、鍵となる様々な関係者と関わる際、事務総長が果たす役割のひとつは、こうした6人を2人にすることである。
すなわち、誤解と間違った認識が消えるようにすることである。
認識は、政治において核心を成している。
政治においては、6人を2人にするということに、とどまらない。
難題に対処するために、ひとつになって取り組むことが出来るように、何百という人々を取りまとめる仕事が多いのである」

未来において、決定的に重要な政治家の仕事は、人々が国の問題を解決するために、ひとつになって活動出来るように、各国内で人々を団結させること、また、世界中の国々が、世界の問題を解決するために、ひとつになって活動出来るように、国々を団結させることであるだろう。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から、また、数日間、不定期更新となります。

よろしくお願いいたします( ^_^)

国内外ともに政治、特に選挙のニュースが、本当に今年は多いですね......本当に目まぐるしいなあ......と思います^_^;

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

またよろしくお願いいたします(*^^*)





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