おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「撃つのが先で狙うのが後」になってしまったADHDとCBDの診断と投薬-闘病生活を経て考えてみたこと⑧-

2024-05-24 06:25:31 | 日記
「精神治療薬の投与は有効かつ安全だ。」

という考えから派生する楽観論には必ずと言っていいほど、悲惨な裏面がある。

哀しいことに、誰かが、利益を得れば、それと引き換えに誰かが、大きな損失を被るのは世の常であるようだ。

特に、年端もいかない子どもたちを「顧客」にすれば、彼ら/彼女らを一生、「顧客」にできると考えた製薬会社は、注意欠陥・多動性障害(以下ADHD)や小児双極性障害(以下CBD)の拡大された定義を売り込み、新たな流行を作り出した。

製薬会社のマーケティングは不必要な薬物療法を生みがちである。

ひとたび、DSM-5の厳格な定義が投げ捨てられてしまうと、拡大解釈された、または「偽陽性」を示して誤診されしまった子どもたちにADHDやCBDを「治療」するために不必要な精神刺激薬や気分安定薬や抗精神病薬がばらまかれたのである。

結果は、惨憺たるもので、投薬「治療」の結果、ADHDの場合は、子どもたちは、不眠、食欲減退、短気、心拍の異常、さまざまな精神科の症状などの有害な副作用に苦しむことになってしまった。

また、CBDの場合は、子どもたちは急激に太り(12週間で平均5.4㎏も体重が増え)、糖尿病のリスクが高まり、寿命を縮めている恐れすらあるのだ。

さらに、そのことは、ADHDやCBDに対する大きな偏見を生みがちであり、その偏見のせいで子どもは生涯にわたる病人として、生涯にわたる治療を受けなければならなくなる。

このような診断は、子どもたちの人生の物語を歪め、叶えられたはずの希望を捨てさせ、望まれない行動に対するコントロール感や責任感も失わせかねないのである。

(ちなみに、感情の爆発はほかにもっと具体的な原因があり、それらは長続きせず、期間限定の治療でなおせる。

DSM-5の作成者のひとりは、双極性障害の項目に黒枠警告を記して、「みだりに軽々しく診断を下すべきではない」と臨床医を戒めればよかったと思う、と告白している。)

さて、診断の乱発と薬の過剰な使用をどうすれば減らせるのであろうか。

過剰な処方を行っているのは一握りの医師にすぎない。

彼ら/彼女らにも、特にADHDやCBDに関して言えば、
製薬会社が教えることと反対で、少しずつ診断する「段階的診断」が最善のアプローチであることを認識してもらわなければならないであろう。

製薬会社が教える「撃つのが先で狙うのはあと」という診断と投薬は、症状が非常に重く、切迫している場合「のみ」である。

多くの場合はそうではないので、手を出さずに注意深く見守る間に、症状が短期間で消えるか、ある程度は軽減するので、その後、オリエンテーションによる教育や精神療法といった段階を踏みながら、診断の確定と薬物療法をという最後の段階になるが、診断の確定と薬物療法は、それまでの段階で適切な反応が得られなかった場合に限るべきではないだろうか。

日本では特に、理想論かもしれないが、私は、そう思うのである。

ただ、残念ながら日本に限らず、「段階的診断」のアプローチを奨励する、十分な資金に支えられた啓発キャンペーンは、一般に対しても医師に対しても行われていないのが現状である。

したがって、やはり、
「さっさと診断して何も考えずに薬を処方しよう」
という製薬会社のメッセージが相も変わらず氾濫し続け、未発達なだけで正常な子どもの多くを精神病の患者に変え、まだその時期でもないのに不必要な量の薬を飲ませているのである。

ルイス・キャロルは『不思議の国のアリス』のなかで、ハンプティ・ダンプティに
「自分にはことばを支配して、その定義を左右する力がある」
とほらを吹かせている。

しかし、そのあと、ハンプティ・ダンプティは、高慢の報いを受けて、塀の上から落ちて潰れる。

読者やアリスは、鏡の国で、
「ことばが制御不能になって、文脈にまったく関わりなく、さまざまな紛らわしい意味を帯びること」
に何度も何度も気づく。

同じように医師も患者も、DSM-5の中の、ことばも制御不能になってしまっていることに、最近になって、何度も何度も気づいているのかもしれない。

今、明らかになっていることは、
「診断システムはどのようなことばが書かれているかではなく、どのようにことばが使われるかによって影響力を持つ」
と、いうことである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、暑くなりそうですね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

精神医学に限らず、最も重要な区別は、最も困難な区別なのかもしれない-闘病生活を経て考えてみたこと⑦-

2024-05-23 06:25:01 | 日記
双極Ⅱ障害の定義と評価には、欠点がある。

その欠点とは、製薬会社に勝手な解釈の余地を与えてしまったことである。

軽躁と単に気分がいい状態とのあいだに、明確な境界線はない。

そこを製薬会社に利用されてしまったのである。

気分が少しでも上向いたり、怒りっぽくなったりするのは、双極性障害の微かな徴候かもしれない、とする宣伝が製薬会社により始まってしまったのである。

この売り込みはうつ病の患者にとりわけ有効であった。

うつ病患者は、いわゆる「ハイ」な状態と気分の回復とを区別することが非常に難しいからである。

抗うつ薬や違法ドラッグも一時的に気分を高揚させる効果があることはご存知だろう。しかし、これらも双極性障害になるのだろうか?

DSM-5の作成者のひとりも述べているが、双極Ⅱ型障害が双極性のカテゴリーを単極性の領分にまで広げるものであることはDSM-5作成時に承知済みであったのだが、その二役を演じることになるとは、DSM-5作成者たちは、思っていなかったそうである。

確かに、DSM-5の作成者たちの決定により、診断がより正確になり、まぎれもない双極性障害であるのにもかかわらず、それまで見落とされていた多数の患者にもっと安全な治療が施されるようになった。

しかし、流行の例に漏れず、行き過ぎがあった。

単極性障害の患者の多くが実に怪しげな根拠に基づいて双極性障害と誤診され、不要な気分安定薬を投与される事態になったのである。

何故、このような飛躍が起こってしまったのだろうか??

やはり、としか言いようがないが、製薬会社のマーケティングのせいである。

双極性障害の市場は、統合失調症の市場よりもずっと大きくなる可能性があったので、製薬会社企業は、双極Ⅱ型障害に飛びついたのである。

短気、興奮、腹立ち、気分の昂揚が少しでも見られると、「双極性の病気が疑われる」という口上で病気が売られた。

専門誌だけではなく、テレビ、雑誌、映画などの至るところに双極性障害が登場した。

精神科医、かかりつけ医、その他の精神医療従事者、患者、家族には、それまで「見落とされてきた」とされる双極性障害の危険がこれでもか、これでもかとばかりに警告されることになったのである。

やはり、精神医学の全分野で重要な区別は、最も困難な区別なのかもしれない。

患者に見られるのは、双極性の気分変動なのか、それとも単純な単極性の抑うつなのか。

この診断の違いは、その後の治療に大きく関わってくる。

気分の落ち込みに抗うつ薬は有効であるが、短気、気分変動、そしてうつ状態と躁状態の急速交代を引き起こして双極性障害の総合経過を悪化させかねない。

このリスクを減らすために、双極性障害の患者には抗うつ薬に加えて気分安定薬か抗精神病薬のどちらか、または両方が投与される。

しかし、抗うつ薬の害を防ぐための戦いは、ときに多大な犠牲を伴う。

気分安定薬には、肥満や糖尿病や心臓病といった危険な副作用がある。

難題は、気分安定薬を飲むリスクと飲まないリスクを見定めるために、双極性と単極性の間にどのように診断の線引きをするか、ということである。

従来型の躁病のエピソードがあり、明らかに双極性障害の患者ならば、この問題は簡単である。
気分安定薬による援護という安全策なしに、抗うつ薬を投与してはならないことに留意すれば良いからである。
(→ちなみに、素人でも従来型躁病の診断は数分で下せるはずである)

しかし、「軽躁」と呼ばれる不完全な躁病エピソードは、難しい問題を提起したのである。

抑うつと軽躁の時期が交互に現れる患者は、双極性障害と単極性障害のどちらのグループにも分類され得る。

双極性に分類すれば、危険の大きい薬を必要もないのに飲ませることになりかねず、単極性に分類すれば、抗うつ薬しか投与されないが、躁病エピソードの引き金になりかねないという難題を突きつけられたDSM-5作成者たちは、双極Ⅱ型障害という新たなカテゴリーを加え、うつ病エピソードと軽躁病エピソードのある患者を差して使うことを決めたのである。

これが、双極Ⅱ型障害の定義と評価の欠点を生んだ背景である。

製薬会社が発する「見落とされてきた」とされる双極性障害の危険を喧しく叫ぶ声を聴きながら、ひとつの問いを、私は考えてきた。

このような双極Ⅱ型障害の流行を考えたとき、双極Ⅱ型障害を含めたDSM-5を日本の医師や患者はバイブルのように扱う状況を見直すべきではないだろうか、という問いである。

難しい問いであるが、明らかなことがひとつある。

判定が難しい境界線上の症例では、医師も患者も、製薬会社の誇大宣伝が作り出した(双極性障害などの)流れに身を投じるべきではないということである。

なぜなら、まっとうな理由がない限り、抗精神病薬の服用は危険が大きすぎるからである。

その危険を私は身をもって知っている。

さらに言うならば、闘病生活を経て私は、精神医学に限らず、最も重要な区別は、最も困難な区別なのかもしれない、とよく感じるようにもなったように思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

毎日、暑いですね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

アダム・スミスが250年前に予測したように、バランスの悪いシステムは機能しない。

2024-05-22 06:30:02 | 日記
政府には3つのモデルがあり、そのすべてに、真実の核がある。

また、そのすべては極端に傾くと、危険なものになる。

現在のアメリカでは、民主党は政府のことを、国民の面倒をみるものとみなす傾向があり、共和党は、政府は強い力と態度で内外の敵を退散させるもの、とみなす傾向があり、また、自由至上主義者たちは、そもそも政府は最小の統治しかしないのが最良だと考えている。

立場を分極化させるこのような政治的姿勢によって、バランスのとれた「ゴルディロックス(ちょうどよい)」解決策の必要性が見えにくくなっている。

政府は、他の方法では満たすことの出来ない特定のニーズを満たさなくてはならない。

また、安全な環境を作らなくてはならない。
ルールを決め、公平な審判員となって、フェアに活動できるようにしなければならない。

しかし、同時に皆が楽しく活動し、能力を最大限に活かせるように、国民に自由を与えなくてはならない。

かつて、ヒトラーは、絶対的な政治的権力と警察権を自分に与え、ほとんど野放しの経済的権力を製鋼・兵器業者のクルップ社などの巨大企業に与えたが、国民には何の権限も与えなかった。

現在、そのようなヒトラーの戦略に似て、というのは、言い過ぎにしても、公務員から権力を奪い、それを自分と多国籍企業の役員たちの手に集中させようとする大統領が、また、アメリカに誕生することが、現実になるのかもしれない。

......。
確かに、無駄を省き、余計なものがない効率的な政府を多くの人が望むことは事実であろう。

しかし、(どの国であれ)政府の役割であったものを民営化する試みは、これまで、ほぼ常に失敗に終わったという事実に向き合えていないのが、私たちなのかもしれない。

利益のために民営化して、まったく駄目になった公共サービスはいくつかある。

外注は、理論と実践がかみ合わない典型例で、理論は素晴らしくても、やってみると大失敗という場合も多いのではないだろうか。

たしかに、民営化の議論は、説得力があるように思えてしまう。

政府は、市場の規律に向き合う必要がないため、もともと肥大化し、怠惰で無駄が多く、無能で非効率的なものではある。

公共サービスに民間業者が入札すると、自由市場での競争によって、さらなる低コストと、高い効率性が実現する。

しかし、たいていの場合、民営化によっていくらか非効率的だった政府による独占事業が、さらに非効率的な、またきわめて貪欲であることが多い民間の独占事業となり、その結果、もっとコストがかかるようになって無駄が増え、公益を提供するという責任感や義務感が失われる。

概して、民間業者の選定には、談合という汚職が蔓延っている。

利益の追求は常に公共の利益の上に立つ。

株主と企業幹部は、市民を犠牲にして利益を得る一方、公共サービスの質は低下する。

失敗し続ける民営化が、自ら正しく変わることはないだろう。

民営化は、政治の面でも、経済の面でも、理屈を無視するような強い勢いを持ち、繰り返す失敗から生じた結果にも鈍感で、国民の目にはわかりにくく、革命に激しく抵抗するものである。

こうした明らかに不利な点が在るにもかかわらず、民営化は促される。

なぜなら、利益を求める欲は、民営化への大きな原動力たり得るからである。

例えば、「シチズン・ユナイテッド」に対して、言論の自由という名目で最高裁判所が認めたとされる超富裕層や大企業による巨額の献金は、彼ら/彼女らに好意的な政治家を後押しし、その政治家は彼ら/彼女らに有利な民営化を支援する。

また、政府から、企業の天下りによって、民間業者には利益がもたらされるものの、公共の利益は害されるような、馴れ合いの法令や規制が取り決められるようになる。

その裏にいるのは、巨額の資金を持つ貪欲な者たちばかりであり、自分には必要がなく、使うこともないという理由で、税金で支えられている公共サービスを身勝手にも、懸命に削減しようとしている。

資本主義と民間企業は、増加する交易・取引の機会への対応として、約400年前に西欧で生まれた。

それ以来、その長所と短所、また公的機関と民間企業が提供するサービスの最良のバランス関係について、多くの経験が積み重ねられてきた。

「自由市場」を支持する共和党は、その政治哲学の父としてアダム・スミスを拠り所としているが、共和党が、彼の意図を誤解し、また誤って伝えていることにスミスは愕然とするだろう。

スミスは、自由市場の何物にも代え難い価値は、合理的な価格設定と、財、サービス、資源の効率的な配分に在る、と、指摘した。

また、自由市場では提供できないサービスを提供する政府な役割も強く支持した。

例えば、国防、郵便局、警察、消防、公共事業、保健、教育、司法、運輸、銀行、独占事業の管理、契約の施行、貧困層や弱者への対応などだ。

アダム・スミスが250年前に予測したとおり、バランスの悪いシステムは、機能しないのだ、と、私は思う。

また、トップダウンの政府に管理された経済も、規制の全くない自由主義経済も腐敗の蔓延と資源の誤った配分に繋がる、とも思う。

政府は、私たちが皆、ルールに則って活動し、公平な審判員としての責任を、決して外部に委託することは出来ないのだから。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

いつものことですが、また、考えたことを朝からだらだらと描かせていただく日記になりました^_^;

皆さま、いつもこんなだらだらした文章を読んで下さりありがとうございます(*^^*)

また、良かったら、お時間があるときに読んでやって下さい( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

作曲家として致命的な難聴を患ったとき、自身の内面の声がより聞こえ始めたベートーヴェンが作った曲を聴いて

2024-05-21 06:23:00 | 日記
フランス革命は、政治的事件であると同時に、思想的事件でもあった。

簡単に言えば、それは、「個人」を構成単位とする近代国民国家の誕生である。

つまり、ただの暴動・反乱ではなく、旧体制から個人を解放せよ、という革命の思想が伝播する可能性があった。

だから、周辺国家は「フランス革命を否定し、潰すこと」で団結し、軍を送りこんだのであるが、これに対してフランス側は、ヨーロッパ史上初の「国民軍」でこれを迎え撃ったのである。

1972年、ヴァルミーの戦いでフランス国民軍を見たゲーテは有名な
「この日、この場所で、新しい世界史が始まる」
と記したという。

ゲーテは国民軍の思想的意味を直感したのである。

革命はやがてナポレオンの登場を生むが、コルシカ生まれの将軍に率いられたフランス国民軍の大進軍は、「個人」を解放する
思想の伝播でもあった。

若きヘーゲルはこの思想運動に熱狂し、自らの難解な観念論哲学を大衆にわかりやすく説き、ドイツにおける啓蒙運動に邁進した。

こうした、思想の大転換は、芸術家にも影響を与えずにはいられない。

ヘーゲルと同年齢のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)も例外ではない。

ベートーヴェンの生涯は、難聴となり、自殺を考え「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く1802年頃を境に、初期と中期とに分けて考えることが一般的である。

初期のベートーヴェンは、モーツアルトやハイドンといった先輩作曲家に忠実に、すなわち旧来の音楽形式に真面目に従って作曲を行っている。

しかし、作曲家として致命的な難聴を患ったとき、彼は自分の内面に耳を傾け始める。

この体験は、当時の社会情勢とも相まって、ひとりの人間ベートーヴェンが生き、作曲する意味を根底から考え直させたようである。

「新しい世界史が始ま」ったのならば、そこに生きるの新しい人間に相応しい、新しい音楽が、新しい形式が必要なのだ。

そう心が決まると、もともと気性の激しいベートーヴェンは、猛然と新しい音楽を書き始めた。

1802年から10年ほどの間に次々と傑作が生み出されてゆく。

従来の古典派の音楽形式は吟味され、拡大再構成され、巨大な「ソナタ形式」となった。

交響曲第3番「英雄」や第5番「運命」で、私たちが耳にするのは、ベートーヴェンが苦悩と努力によって鍛え上げた新しい時代の形式なのである。

交響曲は、多くの聴衆、すなわち、新時代の大衆に向けて書かれたが、パトロンである旧時代の貴族向けにも作品を書き、献呈している。

しかし、そこにもベートーヴェンの、新しい精神が、活き活きと躍動している。

「ワルトシュタイン」はベートーヴェンのパトロンの貴族の名で、彼に献呈されたために、このように呼ばれている。

とはいえ、ワルトシュタイン伯爵に献呈された曲は、たくさん在る。

その中で、特に名前が冠せられているのは、この曲の特異性、重要性のためであろう。

打楽器的な和音の連打で始まる第1楽章は、ベートーヴェンが当時完成させつつあった、巨大なソナタ形式の実験である。

意外な転調、展開を見せるが、何よりもその音楽自体が堂々とした自信、風格を漂わせ、さらに優美ささえ兼ね備えている。

第2楽章も当初長大なものが用意されていたが、あまりにも全体が長すぎてしまうので、この楽章は外され、代わりに現在の短い、内面に向き合うような楽章が配置された。

しかし、結果的に、これによって斬新な、それまで誰も聴いたことのないピアノソナタの姿が生み出されたのである。

それは、他人に向かって演奏する、というよりも、むしろ、孤独のなかで自らと対話するような、そのようなベートーヴェンの思索がそのまま音となって、それが連なったような音楽であるように、私は、感じる。

孤独な思索というのは、夜の闇に似ているのかもしれない。

しかし、明けない夜は、ない。

やがて、曙光が差してくるかように明るい旋律とともに、第3楽章が始まる。

朝霞のなかから、壮麗な城がその威容を放つかのように、音楽は、その壮大な姿を徐々に現してゆく。

さらに、第1楽章の主題も回帰して来るのだが、ここで、曲全体のドラマ性が明確になる。

すなわち、第2楽章という孤独の中から、再び人間が輝かしく、自信に満ちて、立ち上がるという、再生のドラマなのである。

そして、この再生は、人間ベートーヴェンの再生のみならず、新しい時代の新しい人間の誕生であるように思えるのは、私だけであろうか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

数日間、急激な暑さと高めの湿度にバテ気味になっていました^_^;

皆さまは、体調、大丈夫でしょうか?

今日から、また、いつものペースの日記に戻る予定です(*^^*)

また、よろしくお願いいたします( ^_^)

体調管理に気をつけながら、

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

1914年、「スターリン賞」に選ばざるを得ず、ソ連の当局者を困惑させたであろう曲を聴いて

2024-05-16 05:48:54 | 日記
民族というものは、「新しくて新しい」問題である。

「古くて新しい」わけでもないし、「新しくて古い」問題でもない。

19世紀以降、すべての差異を塗りつぶして普遍化していくような近代主義が出現してから、それに抵抗して
「そうではない、私たちには、普遍化から守るべき独自性があるのだ」
という形で見出されたもの、それが「民族」という神話なのではないだろうか。

「そうではない」という否定から始まっているから、積極的に、肯定的に「民族」を定義することはなかなかに難しい。

確かに、私たち日本人が『荒城の月』を聴くとき、曰く言い難い心境にとらわれる。

それを、日本にゆかりのない人たちに説明することは、ほとんど不可能であろう。

音楽は、言語を超えた言語である。

『荒城の月』という言語には、日本人が自覚・無自覚を問わず受け継いできた、「平家物語的な無常観」が語られている。

かつて、ここには人が生きて、喜び、哀しみ、怒り、笑っていたが、その人々は、もう地上にはいない、という感傷というより、世界観が語られているのである。

そして、そのような、明示不可能な世界観というもの、どうやらこれが「民族」の概念の中心にあるようでる。

このような近代に生まれた「民族」の概念に、1番困ったのは、今はなきソビエト連邦であろう。

巨大な版面を擁するソ連は、必然的に多くの「民族」を抱えることになった。

本来、様々な差異を持つ人間を「労働者」と「資本家」に強引に区分けしようとするのが、共産主義の根本思想である。

そのような区分け、あるいは普遍化への抵抗は、民族運動として表出してくるのだが、そもそも、「民族」というものが捉えがたい概念のため、なかなか有効な対応策は無いのである。

民族概念の根本は、地縁や血縁ではないか、と思い付いたスターリンは、地域部族の強制移住などを試している。

そのような、ムチ政策に対しては、同時にアメ政策も採られた。

つまり、
「民族性を強調するな」と厳しく排除の原理で当たるのではなくて、
「あたなたちも私たちソビエト国民の一員なのですよ」
と抱擁して、国家に抵抗する民族の独立性の概念を、日本でいえば、関東弁と関西弁の違い程度に、矮小化しようとするのである。

しかも、このスターリンの抱擁は、
「強く強く強すぎるほど抱き締めて、相手を窒息死させようとする抱擁」であり、いわば抱きつくフリをして、民族概念を絞め殺す恐ろしい政策なのである。

アルメニア生まれの作曲家アラム・ハチャトゥリアン(1930~1978年)は、政治にも思想にもあまり興味はなかったのであるが、ハチャトゥリアンの卓越した才能を時代は見逃してはくれなかった。

ハチャトゥリアンに期待されたことは、西洋音楽の語法の中にアルメニアをはじめとする辺境の民族の音楽を取り込んでしまうことであった。

しかし、ハチャトゥリアンはあまり政治的に敏感ではなかったようである......。

ハチャトゥリアンは「純粋に」故郷アルメニアをちゅうしんとして民族音楽を採集し、研究をした。

そして、その結果、政府当局者が予想だにしなかった、極めてアルメニア的な、決して「労働者の勝利」などという普遍的イデオロギーとは結びつくはずもない、民族の魂や郷愁に訴えるような素晴らしい曲を作ってしまったのである。

その曲こそ、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲なのである。

曲は、冒頭から西洋的ではない。

荒々しき激しいリズムに始まり、西洋でも東洋でもない、コーカサス地方特有の感性に満ちている。

約30分の音楽のなかで、騎馬民族特有の激しいリズムも民族の嘆きや哀しみのような哀切極まるメロディーも出てくる。

実に素晴らしいので、私は、聴くことをオススメする。

このような素晴らしい音楽を聴いた暁には、誰でも政治などという、どうで死ぬ身の人間の愚かな喜悲劇など忘れてしまうこと請合である。

実際、そのようなつもりで作曲させたわけではなかったソ連の当局者は大いに困り、この民族色溢れる音楽に、1941年、「スターリン賞」を与えざるを得なかったのである。

ちなみに、アルメニアと近いグルジア出身のスターリンがこの音楽をどう思っていたのかは、伝えられては、いない。

しかし、スターリンの言葉や著書は時が流れれば流れるほど、忘れられていくが、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲は時が流れた今でも愛聴されている。

やはり、政治はひとつ時代が終われば終わるのかもしれないが、芸術は終わりがなく、永遠あるようにすら、私は、思われるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から、数日間、また不定期更新になります^_^;

またよろしくお願いいたします( ^_^)

週末は暑くなるところが多いようですね。

体調管理に気をつけたいですね(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。