おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「個人の苦痛と不快のメタファー」を「筋の通った病気」に転換した事例から

2024-06-25 07:24:08 | 日記
おおよそ1世紀前、世界は、神経衰弱と転換性ヒステリーと多重人格障害で溢れていた。

しかし、どういうわけか、3つとも、唐突に消え去った。

精神科の診断が、今も昔も、非常に移ろいやすいものであることは、驚くには当たらないのかもしれない。

なぜなら、物事の流行は私たちの行動のあらゆる面に影響を及ぼしており、群れに従うことは人間の本質に組み込まれているからである。

ただし、物事には流行り廃りがある。

今は、確りと根を張っているように見える精神科の流行も、見た目ほど抜き取り難いものではなく、いずれ多くの人々がリスクを理解すれば、勢いは弱まっていくのではないか、と思う。

とはいえ、過去の流行のほとんどは、(前に取り上げたタラント病と聖ウィトスの踊りや吸血鬼信仰などのように、)孤立した局地的なもので、おのずから限界があった。

現在の新しい流行は、商品化されたり、社会構造の一部になりつつあるのである。

さて、多重人格障害(MPD)がヨーロッパで、よく知られるようになったのは、20世紀への変わり目の頃である。

当時、カリスマ性に富んだ神経科医シャルコー(→前回のビアードもそうでしたね.....)がハーメルンの笛吹き役となった。

シャルコーは、睡眠術を、ただの人気の座興から一般的な治療法にすることに尽力した。

催眠状態は、それまで、自覚意識の外に置かれていた、受け入れ難い感情や空想や記憶の衝動を明るみに出した。

「暗示にかかりやすい患者」と「暗示にかかりやすい医師」が協力した結果、個人には、ひとつにかぎらず、複数の隠されたパーソナリティーが在るという概念が作り出された。

「解離」という現象を通じて、この隠されたパーソナリティーは独立した存在となり、ときには手に負えなくなって、主人格はその行動をコントロール出来なくなる。

主人格がそれを意識すらしていないこともある。

これは、「個人の苦痛と不快のメタファー」を、一見すると「筋の通った病気」に転換するものであり、拒絶した感情に対する本人の負い目も軽くした。

矛盾しているようであるが、パーソナリティーの多重化を引き起こしているとされた解離の治療法は、催眠術によって解離をなおさら助長することになった。

目標は、「交代人格」が表に出てくるように仕向けて、ひとつの統一体へと融合することにあったのである。

催眠治療は、総じて、この「想像上」の病気を治すよりも、進行させる、という当然の結果をもたらした。

そして、隠されパーソナリティーは、分裂したままで、増え続けたのである。

幸い、セラピストと患者が、
「催眠術は有害無益である」とついに悟ったので、催眠術はあまり使われなくなった。

多重人格障害は、催眠術師が精神分析医に取って代わられたときに消え去ったのである。

精神分析医は、抑圧されたパーソナリティーの統合より、抑圧されて断片化した衝動や記憶に患者の注意を向けさせたのである。

1950年代半ば、H・M・クレックレーとC・H・セグペンが共に著した『私という他人』が出版されて人気を博し、「イブの3つの顔」として映画化されたことがきっかけとなって多重人格障害は束の間、回復した。

長続きしなかったのは、大部分のセラピストが精神分析の訓練を受け、多重人格障害に興味を持たなかったからである。

多重人格障害の中核的な患者を新たに作り出すだけの意志と能力がある中核的セラピストはいなかった。

1970年代にF・R・シュライバーが著した『失われた私』が出版されたときは、流行はもっと長く続いた。

多重人格障害の症例数は急増し、流行が流行を呼んで1990年代初めにピークに達したが、発生したときと同じくらい唐突に終息した。

多重人格障害の復活を後押ししたのは、催眠術などの「交代人格」を表に出すための逆行的、暗示的治療に、セラピストたちが改めて興味を持ったことであった。

......。

多重人格障害は、いわばメタファーがひとり歩きしたにすぎない。

すべてではないにせよ、ほとんどの多重人格障害の症例は、悪気はないが思い違いをしたセラピストたちが作り出したものである。

何が起こっているか、わかっていないのは、患者もセラピストも同じだったのである。

「暗示にかかりやすいセラピスト」が「暗示にかかりやすい患者」を治療すれば、ありふれた精神科の問題をおしなべて多重人格障害にしてしまうことは難しいことではない。

自己認知に反する、脈絡がなくて、受け容れ難い衝動や行動に一貫性を与えるために、患者と医師が「交代人格」を呼び出して告発するのである。

それが、独立した存在だ、と想定するのは、そこから大して飛躍しているわけではない。

情報と支援を即座に与えられる、その頃勃興しつつあったインターネットの力も、この流行を煽った。

しかし、保険会社が支払いを止め、疲れたセラピストが現実に目覚めると、多重人格障害の治療を求める声は激減した。

多重人格障害の熱心な擁護者たちは、パーソナリティーを次々に増やすというパンドラの箱を自分たちが開けてしまったことに気づいたのである。

彼ら/彼女らの患者の症状はたいてい悪化の一途を辿ったし、大幅に悪化するときもあり、治療の面でも、生活の面でも、彼ら/彼女らには、自らが作り出した多重人格障害の患者を扱えなくなっていたのである。

そのようなケースを少なくとも100はみたという精神科医によると、ほとんどの人は、1980年代末から1990年代初めにかけて、流行がピークを迎えた頃に、一斉に病気になっていたそうである。

そして、例外なく、患者がこのテーマに関心のある精神療法士の治療を受け始めたり、インターネットのチャットグループに参加したり、同じ問題を抱えた誰かに会ったり、多重人格を描いた映画を観たりしたときに限って、新しいパーソナリティーが生まれていたそうである。

ちなみに、この発見?をした精神科医は、多重人格障害が続発性の病型ではないかと思っているそうである。

今、ありがたいことに、世界は少しだけ足を止め、多重人格障害から、遠ざかってくれたが、将来、「また」大流行は起こるであろう。

多重人格は、
「暗示にかかりやすい患者」と「暗示にかかりやすいセラピスト」にとって根強い魅力があるらしく、休眠状態からの返り咲きを狙っている。

大ヒット映画やセラピストたちの週末の研究会次第で、いつでも、新しい流行は起こりうる。

10年後か、20年後か、もう少し先であってくれるのかわからないが、新しい世代のセラピストが過去の教訓を忘れたとき、再び流行がはじまることは、想像に難くないだろう。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

暑いですね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

レッテルは苦痛のメタファーであり、時代ごとにさまざまなものを反映している。

2024-06-24 07:23:41 | 日記
人間はあまり大きくは変わらないが、レッテルは違う。

人間の症状や行動は時代によってブレが多少はあるものの、基本的には安定していると言えよう。

これに対して、症状や行動に対する見方は音楽やスカートの長さの流行と同じくらい、大きく揺れ動くのである。

症状は苦痛は現実のものであるのだが、私たちは、よく「明らかに間違っている」のに、「あまりにも説得力がある説明やレッテルに囚われてしまうようである。

辞書たちは、スティグマ(stigma)という語を
「それとわかるしるし、病気の具体的な徴候、動植物の斑点や傷跡」と定義している。

しるしを「つけられた」人の不利を最も的確に表す語句として、
「精神病のスティグマ(≒偏見)」
という例を載せている辞書も在る。

「正常」であり続け、集団に適合するのは生き残る鍵なのかもしれない。

なぜなら、人間の本質には、自分たちと異なる者や部族の水準を満たさない者に対する厳しい警戒と冷淡な態度が進化の過程で組み込まれているからである。

精神疾患のレッテルは、大きな二次被害をもたらしかねない「しるし」になるのではないだろうか。

偏見はいろいろな形を取り、あらゆる方向からもたらされる。

露骨であからさまな場合もあるが、極めて捉え難い場合もある。

それは、残酷な言葉であったり、冷ややかな笑いであったり、集団からの追放であったり、就職機会の制限であったり、求婚の拒否であったり、生命保険の謝絶であったり、養子縁組の不許可であったりする。

しかし、希望が以前よりも持てなくなったり、必要でないときや頼んでいないときにまで助けの手を差し伸べられたり、本人が気まずくなるほどの同情をしきりに示されたりすることも、そのうちに入るのである。

さらに、精神疾患の心理的、現実的な二次被害は、自分に対する他人の見方だけから生じるのではない。

問題の多くは、自分に対する自分の見方が変わることによって生じる。

例えば、自分は、欠陥商品だ、正常ではない、価値がない、集団の立派な一員ではない、などと感じることによって生じるのである。

そもそも、偏見が精神疾患にたびたび結びつけられること自体、好ましくない。

しかし、まやかしの診断で誤ったレッテルを貼られた上に偏見を持たれることは、好ましくないどころではなく、何ひとつ良いことではない。

また、レッテルは、自己成就予言も生み出す。

「あなたは病気だ」と言われたら、本当にそんな気がして病人らしく振る舞ってしまうものだし、周りからも病人扱いされる。

さらに、病者役割などは、本当に病気で休息とケアを必要としているときはきわめて有益になり得る。

しかし、それらのせいで、以前より希望が持てなくなったり、気力がなくなったり、責任感が失われたりするのであれば、極めて有害になりかねないのである。

そして、社会が、過剰な診断を認め、構成員のかなりの割合を「病気」として扱ったら、その社会は、強靱な回復力のある社会ではなくなり、人為的に「病んだ」社会になる。

私たちの祖先は、現代の私たちには想像も出来ない戦争や窮乏を切り抜けてきた。

レッテルや薬の過剰な使用に頼らなくても、切り抜けてきたのである。

さて、神経衰弱は、1869年以来、ビアードというアメリカ人神経科医によって定義され、広められ、一時、大流行した。

ビアードは、診断の大きな穴を埋めようと試みていたのである。

彼は、疲労、虚弱、めまい、失神、全身性疼痛、睡眠障害、抑うつ、不安などといった、非特異性の心身の症状を抱える多数の人々に、どういうレッテルを貼るのかという問題に対して、「神経衰弱」ならば、この多岐にわたるありふれた症状を説明できそうだ、と期待したのかもしれない。

ビアードの原因理論はいわば流体力学のモデルにしたがっていて、電気機械の電源故障に似ていた。

ビアードは、心身の消耗を、中枢神経系のエネルギー供給の減退にもっともらしく結びつけたのである。

さらに、ビアードは、この減退を、社会的原因に拠るものとした。

つまり、目まぐるしく変化する技術文明や、都市化のストレスや、競争が激しくなる一方のビジネス環境に適応するのは、困難に満ちている→人々が病気になるのは、自分の忍耐や余力を使い果たすところまで追い込まれているからである。ほとんどの症例は、座って働きかつ勤勉な階級に見られる→自然は肉体を疲れさせようとしているのに、彼ら/彼女らは精神を疲れさせているからだ、と考えたのである。

当時、神経科医であったフロイトは自分の患者の多くによく当てはまったので、記述的診断をする上で神経衰弱は、有益だと認めた。

しかし、エネルギーの減退の説明に関しては、リヒドーの減退という、全く異なる理論を発展させた。

神経衰弱の治療は非常に多様で、非特異的で、馬鹿げてすらいた。

ビアードが好んだのは、電気療法でシステムを生物学的に活性化する方法であった。

フロイトはこれを「エセ治療」と嘲り、神経衰弱は、リヒドーの不足によって引き起こされるという理由から、精神分析を推奨しなかった。

他の医師たちも、安静療法、入浴療法、食事の変更、気晴らしなどを提案した。

......。
おそらくどれも、適当な偽薬くらいの効果しかなかったであろう。

なぜなら、神経衰弱は曖昧で、非特異的な診断であり、治療も曖昧で、非特異的で役に立たなかったからである。

しかし、それでも、神経衰弱が世界中で大いに流行ったことは、臨床現場での作り話が持つ危険な魅力をよく物語っていると言えよう。

ただでさえ、私たちには、雲の中に象を見つけたがる知的欲求がある。

また、たとえ、正確でなくとも、レッテルを作り出せば、医師は患者の苦しみを説明出来て、気が楽になるし、治療の対象も得られることにもなる。

レッテルは、苦痛のメタファーであり、その時代と場所の技術や世界観を反映しているのかもしれない。

誰もが、かつてのように、電力に興味を持っていれば、エネルギーの減退が苦痛のメタファーとなる。

人々が、今日のように、神経伝達物質に興味を持っていれば、「化学的不均衡」が軽薄な、しかし苦痛のメタファーとなるのである。

ここまで、読んで下さりありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

長期的視点のない環境破壊を正当化する計算

2024-06-23 07:50:00 | 日記
かつて母なる存在であった地球は今、私たちの子どもとなり、その保護と監督は私たちの手にかかっているのであろうか。

人類が自然をある程度制御出来たりするまでには数十万年かかったが、それを破壊するのに要した時間は、たったの数百年である。

木を見て森を見ることが出来る人なら誰でも、森が燃えていることがわかるのかもしれない。

異常気象を原因とする山火事で文字通り森が燃えているニュースをよく見るようになったが、喩えて言うならば、今は世界全体が燃えている状態である。

自然界にとっての最大の脅威は、人口過剰、消費、経済的便宜という致命的な組み合わせである。

「人々を養い雇用を生むために、この熱帯雨林を伐採しなければならない」
「このパイプラインは、私たちの経済にとって必要不可欠になる」
「これらの環境規制によって、私たちの仕事が無くなる」

と、いうような偽善的な発言が、繰り返されていることは羞恥の事実である。

環境破壊を正当化するために用いられる経済計算は、ほんの数年間にごく僅かな人だけを利する短期間の収益性に常に基づいていて、何世紀にもわたってそれ以外の人々全員が負担する長期的コストを無視している。

どうも、莫大な資金を持つ大企業・財界勢力は、毎年何百億ドルを投じて政治家を買収し、科学にケチをつけ、私たちが責任ある環境政策に従えば雇用が失われ、経済が崩壊すると脅して一般市民を怯えさせているようである。

企業と超富裕層は、全人類にとって明らかに有益と見做されるべき場合でも、環境保護の課題を醜い党派的な政治問題に変えてしまったのである。

アメリカでは、宗教とは関係のない大企業も、急進的な宗教右派と不自然ではあるが強い同盟関係を結んだ。

宗教右派は、道徳を細かく管理し規制することで頭がいっぱいなのか、地球のよき保護者となるべきだという聖書の教えをほとんど無視している。

幸い、見識ある宗教団体が近年「環境保護(green)」の方向に向かっている。
おそらく彼ら/彼女らは、神から授かった美しい地球を守る責任を認識しているのであろう。

環境保護運動は、それなりに活発ではあるものの、大資本や少なくなりつつある時間との苦しい戦いを強いられている。

E・O・ウィルソンは、
「私たちは、妄想状態の中で生きている。
特にアメリカは、世界にとてつもない重荷を背負わせている。
私たちのこの贅沢な生活水準は、莫大な費用をかけて実現されている。
現在のテクノロジーを活用して、世界に住む70億の人々の生活水準を、平均的なアメリカ人の水準にまで引き上げるためには、あと4つの地球が必要になるだろう」
と絶望の念を表している。

現在も将来も、さらに4つの地球を私たちが持つことは、ない。

私たちが、生き残るためには、たったひとつの地球と、もっと賢くかつ優しく生きていかなければならないのである。

だから、ウィルソンの解決策は、驚くには当たらないものであろう。

それは、まず、世界中の生物多様性ホットスポットにある広大な自然保護区域を保存する。

また、女性を教育し、自立を支援することによって人口を抑制する。

エネルギー消費量を徹底的に削減し、環境に優しい持続可能なエネルギー源の使用を劇的に増やす。

さらに、新たな緑の革命によって、より多くの食料を少ない土地で生産できるようにすることである。

地質学的時間の尺度では、人間が少しくらい手を出したところで、地球はびくともしないものである。

12世紀、カンボジアは世界でもきわめて裕福で人口が多い場所であった。

しかし、今は、非常に多くの都市が、再び生い茂ったジャングルで覆われていて、そのような場所であったなどとは思えない場所になっている。

一方、人間の短い時間軸では、私たちは、自然を大きく傷つけ、自分たちもひどく傷つける可能性があるのである。

自然は、洞窟のカナリアである。

つまり、自然を破壊すれば、次に破壊されるのは、私たち人間なのである。

自然を維持するには、長期にわたる経済的投資と道徳的義務が必要なことは、言うまでもないであろう。

イギリスの批評家サミュエル・ジョンソンは、
「絞首刑になるとわかった者は......すばらしい集中力を発揮する」と述べている。

差し迫って必要に迫られることは、徹底した改革の最良のキッカケになる、はずである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も頑張りすぎずに、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は、散歩の最中に撮りました(*^^*)


生者と死者の不明瞭な境界線から生じた不安のゆくえ

2024-06-22 07:19:57 | 日記
「死者をどう扱えばよく、死者に起こったことをどう理解すればよいのか」
という、この極めて実存的な問いに、どの文化も、独自の答えを見出している。

それに関する流行である吸血鬼信仰は、1720年頃~1770年頃の大流行のあと、終焉を迎えたかに見えたが、
実は、今でも時々、局地的な小流行は、発生しているのである。

ここ数十年では、プエルトリコ、ハイチ、メキシコ、マラウイ、そして、ロンドンでも発生した。

やはり、流行の根底には不安や恐怖がつきもののようである。

吸血鬼に対する恐怖は、遙か昔に遡り、人間の心に深く刻み込まれている。

いつの時代も私たちは、
「死者をどう扱えばよく、死者に起こったことをどう理解すればよいのか」という根源的な問いを突きつけられてきた。

どの文化も、このきわめて実存的な問いに、手のこんだ埋葬儀式や民間伝承などを、生と死の隙間だらけかもしれない境界線を管理するために、編み出しているようである。

「死者をどう扱えばよく、死者に起こったことをどう理解すればよいのか」という問いは、狩猟採集民族をしていた遊牧民族が、農耕を行うために定住し、文字通り死者の上で暮らしはじめたとき、深刻な問題になった。

なぜなら、かつてならば、死体は部族が移住するときに置き去りにすればよいので、都合が良かったからである。

しかしながら、死んだ祖先たちのそばで暮らすことを余儀なくされると、畏敬の念が生じたのである。

誰かが病気になったり、何か悪いことが起こったりしたとき、死者が、足の下で生きていて、嫉妬や復讐心や不満に駆られて蘇り、理不尽な要求をしているのかもしれないと心配するのは、理に適ったことであった。

吸血鬼信仰では、これがそのまま信じられたのである。

生者の病気は死んだが、死に切れていない大切な家族が、血を飲んだり肉を食べたりしたせいだ、とされた。

この流行は、18世紀の中央ヨーロッパで50年にわたって続いた。

啓蒙時代の見せかけの知的平穏は、動乱が続き、封建制度からほとんど抜け出せず、田舎ばかりだったヨーロッパをうわべだけ覆い隠しているに過ぎなかった。

吸血鬼信仰は「アンデッド(生ける亡者)」についてのスラブ民話が、拡大するオーストリア帝国の新しい隣人たちに口伝てで広められたときに現れた。

熱心であるが、馬鹿正直でもあったハプスブルク帝国の役人たちは、あまりに官僚的に対応するという誤りを犯した。

セルビア人の顧問が推奨した方法にしたがって念入りな調査を行い、墓を掘り返し、死体にいちいち杭を突き刺したのである......。

土地に伝わる吸血鬼の最適な退治法を詳しく述べた詳細な報告書が、広く流布された。

こうして正式に認められた結果、「アンデッド」に対する恐怖が瞬く間に村から村へと広まった。

やがて、やはり物書きたちも輪に加わり、扇情的な吸血鬼文学を作り出しては、火に油を注ぎ、ついには目撃者が大量発生することになったのである。

「襲撃」とされるものが1721年に東プロイセンで報告され、1720年代から30年代までにオーストリア帝国の全域で報告された。

ヴァンパイア(vampire)という語が英語にはじめて現れたのは1734年で、中央ヨーロッパの旅行記に登場した。

これは、歴史で最初のメディアに煽られた流行であったが、最後にはならなかった。

吸血鬼に対する不安は、生者と死者を区別することが難しかったせいで余計に強まった。

聴診器のない時代では、明確な境界線を引けなかったのである。

人々は「アンデッド」を恐れるとともに、自分が生き埋めにされるかもしれない、と怖れた。

墓地のそばで夜を明かすのはよくある光景だった。

それは、死者に敬意を示すだけではなく、蘇生の徴候を見つけ、墓荒らしを追い払うことが目的であったのである。

死体を間近で観察したことは、食欲や活力が死後も保たれるという伝説が出来る一員となった。

腐敗の早さや進み方は、死体によって大きく異なるので、一時的にではあるが、生きていたときよりも死んだときの方が、健康そうに見える人もいるのである。

(例えば、痩せ衰えた身体が、腐敗ガスで満たされたりする場合など)

死体の赤くくすんだ色も、生者の血が死者を堪能しているのではないかという疑いに繋がったのであろう。

そのアンデッドの口や鼻から血が流れ出れば、この十分に理に適った疑念は確信に変わったのだろう......。

吸血鬼退治の試みは生者にとっても死者にとっても過酷なものであった。

生け捕りにされた吸血鬼(とされる者)は、残酷極まる拷問のあとで公開処刑された。

犠牲者はいつも、容疑者にされる人たちであった。

それは、精神障がい者や魔女と見做された女性(おそらく薬草などに詳しかった女性だと思われる)、教会の教義に逆らった者、まずい場所に居合わせた者や、まずい相手を敵に回した者などであった。

この狂気を終わらせたのは、オーストリアのマリア・テレジアであった。

吸血鬼が、実在するのかどうかを侍医が徹底して調べ、実在説には何ら根拠がないと結論づけた。

そこで女帝が、死体の発掘に厳罰を科したところ吸血鬼信仰は消滅したのである。

ただし、先にも述べたように、いまでも、吸血鬼信仰の局地的な小流行は時々発生している。

私たちは、まだ、科学がいくら発達しようと、

「死者をどう扱えばよく、死者に起こったことをどう理解すればよいのか」
という根源的な問いに対する答に迷うところがあるのかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

人間の宗教から消え去るにはあまりにも魅力的なモデルなので、古今東西で流行するという考え方 について

2024-06-21 06:53:55 | 日記
流行はもっともらしい概念と、真似をしたがる私たちの群居本能が組み合わさったときに生まれる。

株価の高下と同じで、不安定、不確実、変化の時期に付き物なのであろう。

流行の原因は、根が深く、人間のあり方そのものに関わっている場合もあれば、かなり特殊ではあるが、歴史の流れ、ヒットした本や映画、新しい治療法に関わっている場合もある。

また、千年単位で続くときもあれば、十年単位でしかつづかないときもある。

前者の例が、悪魔憑きであり、後者の例が、多重人格障害(MPD)であろう。

悪魔憑きは、異常な情緒や思考や行動を実にもっともらしく説明でき、説得力に富んでいるので、古今東西を通じて繰り返し持ち出される。

MPDは、ずっと説得力に乏しいので、急に流行るときがたまにあるだけで、決して長くは続かないのである。

悪魔憑きは、最古の流行であり、最新の流行でもある。

太古の文章に記録されており、今日の新聞でも報道されている。

悪魔を信じるのは、無知故なのかも知れない、しかし、それは人間の宗教から消え去るにはあまりにも魅力的なモデルであり、合理的な思考や主流派の宗教や精神医学が与える心もとない慰めの強力なライバルになっており、これからも、何らかの形で残り続けるであろうし、今でも、時折、爆発的に流行して、場合によっては甚大な被害をもたらしている。

悪魔憑きの真の利点は、問題にレッテルを貼るだけではなくて、納得がいくように原因を説明してくれ、治療法をただちに提示してくれることである。

その人物には悪魔が取り憑いている。
悪魔が思考や情緒や行動を支配している。
そしてDSMならば、10
以上の異なる精神疾患に分類してもおかしくない、もろもろの症状のすべてを引き起こしている。

今日の精神科医は統合失調症にレッテルを貼ることは出来ても、説明することは到底できないだろう。

しかし、呪医や神官はずっと強い立場にいるようである。

なぜなら、呪医や神官たちは、症状の原因と、患者を病気から切り離す特定の治療法について確実な知識を持っているようだからである。

確かに、悪魔払いは、エクソシストと患者の双方が効果があると信じていれば、実際に効果はあげられるだろう。

実は、悪魔の支配という考え方は、多くの人々にとって、非常に筋が通ったものであるため、あらゆる文化に見られ、時代を超越して受け継がれている。

それは、人間の心理の根本にあるものを上手く利用して、人間の経験の大部分をもっともらしく、単純に説明してくれるのである。

悪魔との戦いは、神学的な考え方に訴える。

私たちを苦しめるほとんどの症状をなおしてくれる、魂を満足させてくれる、さらには、部族を団結させるなど、と。

悪魔は、精神科や内科の病気が、さらにはドラッグや夢やトランス状態が引き起こす変化を理解する上で、前科学的であるにせよ、完全に理に適った方法ではあるのだ。

啓蒙時代の申し子であり、異常な行動には生物学的な原因があると信じる私たち「だけ」が、それを馬鹿げたものと見做しているのかもしれない。

しかし、この便利に見える診断のカテゴリーにも、避けられない問題がひとつある。

それは、歴史的に、精神障がい者を、迫害、拷問、殺害する格好の口実にされてきたことである。

この上ない非人道的な扱いも、「悪魔に対する聖なる戦いの一環」だということを怪しげな根拠にしてしまい、たやすく正当化してまうのである.....。

現代の精神科の診断と悪魔憑きは、問題行動の原因を正反対のかたちで説明しているといえよう。

一方は、脳の病気だと言い、他方は霊が引き起こした病気だと言うのだから。

先進国の住民はたいてい、現代科学に満足している。

しかしながら、全員ではないのである。

アメリカ人の3分の1以上が、日々の生活に悪魔や天使が積極的に関わっていると信じており、現代のエクソシストは、悪魔に取り憑かれた人が精神科医に統合失調症である、と誤診されることを懸念して、インターネットに詳細な診断のマニュアルを載せ、病気に潜む悪魔を見つける方法を教えている。

カトリック教会は悪魔に関してそれほど過激な思想は持っておらず、症状が明らかに神を冒涜するものであって、精神病の可能性が除外されたときに限って、悪魔払いを推奨している。

戦争に疲弊したアフリカでは、悪魔憑きの大流行がしょっちゅう起こっている。

前回取り上げた、タラント病と聖ウィトゥスの踊りが、飢饉、疫病、戦争、略奪が繰り返された死と隣り合わせの時代である「小氷期」に起きたことを想い出してほしい。

「私たちは、物事をありのままに見ないし、自分の見たいように見る」傾向があるが、苦しいときには、特に、その傾向が強まるようである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

クーラーを入れたら本当に違うなあ......と、最近よく思います( ^_^)

冷えすぎには注意したいですが^_^;

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。