おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

タラント病と聖ウィトゥス踊りにみるもの

2024-06-20 06:23:12 | 日記
精神科の診断には、流行がある。

唐突に、誰もが同じ問題を抱えているように見える。

大流行を説明するために、胡散臭い説が唱えられる。

こうすれば治る、と、胡散臭い治療が施される。

すると、始まりと同じくらい終わりは唐突にやって来るようで、流行は自然に収束し、氾濫していた診断や説、治療法は表舞台から消え去るのである。

流行は、もっともらしい概念と、真似したがる私たちの群居本能が組み合わさったときに、生まれるのだろう。

株価の高下と同じで、それは、不安定、不確実、変化のじだいには、付き物なのかもしれない。

かなり古い流行だが、1300年頃から1700年頃にかけて、南イタリアのタラント病と、北ヨーロッパの聖ウィトゥスの踊りという形を取って表れた、ふたつの似た流行があった。

症状は、抑うつ、幻覚、頭痛、失神、息切れ、痙攣、食欲減退、うずき、むくみ、差し迫った死の予感などであった。

南イタリアでは、そのあたりに生息するタランチュラに噛まれたのが原因だとされた。

発症するのはたいてい盛夏の頃で、暑さが毒性を強めているのだと見做された。

聖ウィトゥスの踊りは北ヨーロッパのversionで、多くの症状が共通しており、治療法も同じだったが、もっと宗教的な側面があった。

推奨された治療法は、なるべく速度で一心不乱に踊り、肉体が疲れ果てて、気分が一新されるまで、踊り続けることであった。

踊りは、南では、クモの毒を取り除き、北では、悪魔を魂から追い出す力があるとされた。

何十、何百、何千もの人々が集団感染に加わり、
何時間、何日間、何週間も続く治療を一緒に行ったのである。

アルコールが大量に用いられ、睡眠剥奪も一端を担っていた。

現在でも言えることであるが、治療の副作用と病気の症状は区別しにくい場合が多かった。

人々は異常な行動をしたり、服を剥ぎ取ったり、叫んだり、悲鳴をあげたり、笑ったり、泣いたりした。

ほとんどの流行で用いられた治療法(瀉血、下剤、水銀療法など)と異なり、タラント病と聖ウィトゥスの踊りにおける治療法は激しい身体の運動、カタルシス、気晴らし、集団の団結などの機会となって有益な効果を与えていた可能性があるのである。

タラント病と聖ウィトゥスの踊りは、1300年頃から1700年頃までの約400年間にわたって続いたが、突然終息し、それ以降は、散発的な事例しか報告されていない。

この「小氷期」は、死が隣り合わせの時代であり、飢饉、疫病、戦争、略奪が繰り返された。

タラント病と聖ウィトゥスの踊りにおける治療法は、「個人の精神障害」と「社会の荒廃」の双方に対して、原因と治療法を提供していたのかもしれない。

私たちが、過去の流行を知ることは、現在で何が「本日のオススメ診断」(cf.本日のオススメ料理)になろうとも、疑いの目で見ることに役立つはずである。

現在や未来の愚かな流行に飲み込まれないようにする最善の方法は、過去の流行が及ぼした害とそこで生まれた治療法による効果を認識しておくことではないか、と、私は、思うのである。

歴史がそっくりそのまま、繰り返すことは決してない。

その複雑な相互作用には、無数の確率の組み合わせがあるからである。

しかし、歴史が韻を踏むのは確かである。

例え見た目は流転していても、歴史を形作る根源的な力はかなり安定しているからである。

私たちは、過去の韻をよく知るほどに、未来にそれを分別なく繰り返すことは少なくなるのではないだろうか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日から、また、別の「過去の韻」つまり過去の流行の具体例について描いていけたらなあ、と思います。

また、よろしくお願いいたします(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

診断のインフレは公衆衛生と公共政策の難題である-診断のインフレがもたらすもの(金銭的損失編)-

2024-06-19 07:26:52 | 日記
社会が過剰な診断を認め、構成員のかなりの割合を「病気」として扱ったら、その社会は強靱な回復力のある社会ではなくなり、人為的に病んだ社会になるのではないだろうか。

診断インフレが直接、間接にもたらす金銭的損失の合計は誰も計算していないが、膨大な資源が無駄になっていることは、間違いがないであろう。

まず、不必要なのにもかかわらず高価すぎる薬たちと、それらを処方するために必要な診察に伴う損失がある。

これに加え、薬の過剰な使用がもたらす数多くの合併症も高くつくので、それが二次的な損失となる。

短期的には、過量服薬による高額な救急医療や入院などが挙げられ、長期的には、服薬によって引き起こされた内科や精神科の合併症(→二次性肥満、糖尿病、心臓病がその最たる例である)を治療するという、隠れた、莫大な損失がある。

さらには、不必要な薬の有害な短期的、長期的影響によって早死にしてしまったひとたちの失われた人生は、どれほどの損失になるのだろうか......。

次に、労働生産性の低下による損失も計算に入れなければならない。

精神科の診断と就業不能が結びつくと、そのどちらもが、不自然なまでに増加するのである。

確かに、間違ったレッテルを貼られた人生は、仕事を休むか、働くことを完全にやめてしまいがちである。

オランダとデンマークのデータでは、精神科の診断や仕事のストレスが働かない理由として簡単に認められるようになると、病気で欠勤する人や就業不能になる人が急増してしまったのである。

また、さらに、「間違って」精神疾患のレッテルを貼られた人たちに対する他のサービスも損失になる。

精神保健対策と診察、学校での支援や教育プログラムの追加などである。

間違った診断にしても、これらを出し惜しみするのは残酷に思えるし、個々の例でも、「面倒見のよい」臨床医は患者が恩恵を得やすいようにと積極的に診断する誘惑に駆られるのかもしれない。

しかし、予算は、 ゼロサムゲームであることが普通である。

だから、助けをさほど必要としていない人を助ければ、なんとしても必要としている他の人に助けが及ばないことになってしまうのである。

最後に、診断のインフレによる法廷や矯正に関連した損失が挙げられる。

アメリカでは、死刑の審理の度に、ありそうもない精神障害の有無をめぐって不毛な論争が延々と続き、500万ドルが費やされている。

また、性的暴力犯に関する法律に基づいて、適切な理由もないのに、犯人を精神科病院に収容したときの年間費用は、ハーバード大学の1年の学費をゆうに上回る。

精神的ダメージを根拠し、あの手この手で主張する民事訴訟はいつ終わるとも知れないほど長引き、莫大な弁護料と専門家証人への相談料が消尽される。

(後の回でまた少し触れるが、)精神医学と法律は得てして馬が合わない。

しかし、精神医学と法律が絡み合うときはいつでも大きな損失がもたらされるのである。

診断インフレによる巨額の浪費が野放しになっているのは、これを抑えるフィードバック制御のシステムや、慎重な診断を促す経済的インセンティブがないからである。

DSMの作成者も利用者も、それでたくさん稼いでいる製薬企業も、浪費のことはまったく考慮はしていない。

いつだって誰かがツケを払ってくれるので、理に適った公正な資源の分配には誰も気に留めていないように見える。

その最終結果は決まり切っている。

診断のインフレの生み出す無用の要求が、無駄な出費をもたらし、それが原因で、本当に困っている人々が十分なサービスを受けられずにいるのである。

診断インフレは公衆衛生と公共政策の難題である。

速やかな解決が必要なことは、言うまでもないであろう。

アメリカでは、医療費負担適正化法により、保険が拡大適用され、損失がさらに増えているようである。

この法律が、精神障害の包括的ケアに保険を適用するように定めているとなるとなればなおさらであろう。

これは歓迎すべき政策変更かもしれない。

ごまかしに満ちていても、精神保健のシステムを補強するために、大きな投資が必要であることは確かなのである。

しかしながら、どれだけの追加費用がかかるのかは、見当も付かないし、たぶん毎年巨額の金が必要となるでだろうが、診断インフレのせいで、その巨額の金も極めて効果の薄い使われ方をするであろう。

診断インフレを解消するというのは苦しい戦いになるであろう。

しかし、まず、私たちが理解しなければならないのは、過去の精神医学で診断の流行が演じてきた大きな役割であり、現在それが与えている深刻な損害であり、近い将来に新しい流行が破壊的行為をもたらしうるという重大なリスクではないだろうか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

ニュースでは、都知事選の公約が発表されていることが取り上げられています。

皆さまは、どのようにお感じになったでしょうか。

今日からまた日記を再開いたします、よろしくお願いいたします( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*見出し画像は途中から壁画の植物です(*^^*)

三島由紀夫も人間だ、と思う。-はりぼての優雅は誰でもツラい-

2024-06-15 15:40:53 | 日記
「三島由紀夫は生き方に中途半端だったからだ」

大江健三郎との違いを、話しているうちに、福島の被災者の女性に言われたことばである。

確かに、私が、あまりにも闘病生活(→むしろ過剰処方からの減薬生活)がキツくて
「いつ死んでもいいや」
など、と、考えていたとき、三島由紀夫は輝いていた。

しかし、
闘病をしながら、
「後遺症があっても生きていきたい」
と思う度に、三島由紀夫はかすんでいった。

なぜだろう??

確かに、三島由紀夫の著作を真っ向から批判できるひとは少ないだろう。

しかし、三島が、自決した理由を大江健三郎かもしれないと感じた理由のなかに、私は、何らかの、解がある気がした。

「生きる」とか「書く」ということの定義も定理も私はあやふやなのに、そう、思ったのである。

思うに、三島は
「優雅」を装うことに疲れていたのではないだろうか。

証明なんて出来ないが、そう思うのである。

『豊穣の海』をシリーズみていても、私は、「春の雪」の清顕、「奔馬」の勲や、「暁の寺」の本多や、そして、偽物である「天人五衰」の透にそれを感じてしまう。

それは、確かに、私も、病を経て30代後半になるまで、わからなかった。

10~20代の私は、透に肩入れしており、「天人五衰」のやり方にも賛同していた。

ただ、ほんとうに、生死の境を彷徨った経験から、三島と現代の精神医療の問題点について描いてみたいと思う。

また、三島は、文豪である以前に、人間だったことを見つめたいと思う。

三島だって、見栄っ張りだったし、それを続けるのがツラかったのだろうから。

今後、作品をもとに、そう考えた理由を徐々にだが、描いていきたい、と思う。

フィリップ・グラスの作品のなかの「反近代」の思想

2024-06-14 06:52:47 | 日記
20世紀の歴史がそうであるように、20世紀の音楽の歴史も複雑であり、そして絶望的である。

マーラーが切り拓いた道を、シェーンベルク、バルトーク、ショスタコーヴィチといった偉大な作曲家たちが歩んでいったが、2つの世界大戦、とりわけアウシュヴィッツと広島が音楽にも暗い影を投げかけた。

哲学者T・アドルノが指摘したように「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」、
なぜなら、アウシュヴィッツとは、理性によって為されてしまった虐殺なのであり、そうした理性への批判なしに能天気に詩を書くことは罪とさえ思われたのである。

ここで言う詩は、文化一般を指しており、当然音楽も指弾されている。

つまり、作曲家たちはもはや、思想とは無縁でいられなくなった、のである。

音楽とは何か思想的なメッセージを込めていなくてはならず、人間の理性を告発したり、人類の共生を訴えたり、簡単に言えば、左翼思想を体現したものでなくてはならなくなったのである。

大衆文化の発達と共に、いわゆるクラシック音楽というジャンルはそのマーケットをジャズやロック、ポップスに次々と奪われていく一方で、「現代音楽」という、なにか小難しく、何か高級な思想が表現されているらしいが、とどのつまりは不可解で、場合によっては耳障りに思われるものが大量生産されていったのである。

伝統の破壊こそが新しく、独創的なのだと考えられ、ジョン・ケージは「沈黙の音楽」を提唱し、クセナキスは五線譜に橋の図面を書いてみた。

そして、その結果、大雑把に言うと、クラシック音楽はますます愛されなくなっていった。

さて、こうした途方もない現代音楽の思想的混乱、絶望的混沌のなかで、新しい動きが、出てくる。

それが、スティーブ・ライヒや先日、「MISHIMA」で取り上げたフィリップ・グラスに代表されるミニマリズムである。

60年代~70年代は、さまざまな左翼活動が活発化した時代であるが、この頃にアメリカを席巻した「反近代」の思潮のなかにミニマリズムという思想も位置づけられる。

それは、簡単に言えば、余計なものはとことん排除する、ということであり、シンプル・ライフなどという運動もこのミニマリズムの亜種と言えるであろう。

ミニマリズムの影響は、服飾、建築、絵画、デザインなど、広範囲に渡っている。

音楽におけるミニマリズムとは、旋律を拒否し、音楽の最小の構成単位、つまり、リズムと和声のみによって音楽を作り上げる、という、理念としては、先鋭なものである。

事実、初期のミニマリズム作品の特徴は、単純な和音やリズムを延々と反復することにあった。

本来ならば、5分で終わるべき曲を、平気で、繰り返しのみで、50分に引き延ばしたりもする。

すると、不思議なことに、聴いているうちに催眠状態にかかり、トリップする人まで出て来たりもして、このようなコアなファンたちは、後にテクノ・ミニマルという、一家を成すジャンルを作り上げた。

初期のグラスも、もちろん、延々と繰り返しの続く曲を書きまくっていた。

延々と、何時間でも同じ和音、同じリズムを繰り返していたものである。

この頃の代表作が、オペラ「浜辺のアインシュタイン」であり、実質的なデビュー作でもある。

これは5時間近く分散和音を繰り返すという、絶望的にミニマリスティックな作品であった。

しかし、グラスは、禁欲的なミニマリズム、つまり同じことを延々と続けるような模範的ミニマリズム音楽から、だんたんと音楽表現の幅を広げてゆく。

つまり、いったんは放棄した「旋律」や「ドラマ性」へと、再び向かってゆくのである。

おそらく、これは、グラスが、舞台音楽や映画音楽に深く関わっていたことも影響しているのであろう。

こうした
「ドラマ性を持ったミニマリズム」
あるいは
「拡大したミニマリズム」
という傾向は、ガンジーを主人公にして全編サンスクリット語で歌われるオペラ「サチャ・グラハ」やヴァイオリン協奏曲に結実している。

もちろん、これを、堕落と呼ぶ人もいるが、普通の聴衆にとっては偉大なる堕落なのかもしれない。

なぜなら、ドラマ性を取り戻したおかげで、強烈なドライブ感を生み出す明確なリズムと和声とが、聴く者を否応なしに感情の高ぶりへと駆り立てるからである。

結局、人の心を動かすことが出来るのは、人の心だけなのであり、グラスの音楽は、余計な思想性やメッセージ性を排除し、必要不可欠な最小単位として、人間の心、喜びもし、悲しみもする、不断に揺れ動く人の心を抽出することに成功したのである。

もしかしたら、
現代音楽というものが、一般的に、止める魂、絶えず落ち着かない魂のうめき声、不眠症的な思想的緊張、思想というよりはむしろ曖昧な苦痛による叫び声であるのに対し、
グラスのこの作品は、思想やイデオロギー、実験音楽、観念的苦痛といった余分な要素を排除し尽くして、知性という病毒におかされた精神とは無縁の、
憂いは感じはするが、結局のところは健康で、無垢の心の輝きを獲得することに成功したのだ、と、言えるのかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日からまた、数日間不定期更新となりますが、またよろしくお願いいたします( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

ひとりの中世人の精神のかたちを表すような、アレグリの「ミゼレーレ」を聴いて

2024-06-12 06:09:23 | 日記
クロード・ドビュッシーは、妻が心筋梗塞で倒れた時、まず最初に、財布を奪うことを考えていた。

彼は、文字通り財布を妻に握られていたので、自由に使える金を手に入れりチャンスを虎視眈々と狙っており、妻が倒れたとき、財布を奪ったのである。

しかし、妻は身体が動かないだけで意識はあったので、夫のこの情けない行動の一部始終を見ていた。

彼女が一命を取り留めた後、離婚したのは、言うまでもないだろう。

ドビュッシーのこの行動は人間としてはかなり下劣な部類に入るが、彼が作る音楽は下劣どころか、極めて繊細かつ高貴である。

芸術家の人間性とそれが生み出す作品とは関係がないものなのだろうか。

美しい魂が美しい音楽を創り出すなどというのは幻想なのだろうか??

確かに、人間の品性というものは、その生み出す作品に反映される部分もあるのかもしれない、とも、思うことがある。

ワーグナーの音楽は勇壮で魅力的だが、同時に鼻持ちならない押し付けがましさ、成り上がり者に特有の傲慢さが、その音楽にも表れているのも事実ではないだろうか。

ドビュッシーについて弁護すれば、彼は、単に私たちが持つ道徳感覚とはズレており、稼いだものを自分の手に取り戻そうという無垢な心で財布を奪ったのかもしれない......。(→無理があるか......。)

では、弁護の必要もないほど清廉潔白で、才能のある作曲家はどんな音楽を作るのであろうか。

ひとつの例が、グレゴリオ・アレグリの「ミゼレーレ」ではないかと、私は、思う。

アレグリは、ローマ教皇ウルバヌス8世に寵愛され、システィーナ礼拝堂専属の聖歌隊の歌手として、そして作曲家として活躍した。

その人柄は
「神父のような慈悲と慈愛に満ち、貧しい者には救いの手を差し伸べ、不遇をかこつ者には、心の支えとなり、苦しみにある者には自己を犠牲にしても助けを与えようとした」
と伝えられている。

これほとまでに褒めすぎていると、かえって、中世文学お得意の過剰修辞なのではないかと疑いたくもなる。

しかし、「ミゼレーレ」を聴くとき、その音楽に滲み出る高潔さに、この言葉はあながち嘘ではないと思えてしまうのだから、不思議である。

曲は、9つのパートからなる合唱曲なのだが、それにより音楽が複雑になるどころか、むしろ素朴さと、抑揚の効いた感情表現に留められている。

音楽はドラマチックではなく、
「miserere mei,Deus......(神よ、私を哀れんでください......)」
という、神への縋るような、ひそやかな思いが全曲を貫いているのである。

この曲はシスティーナ礼拝堂において、秘曲中の秘曲として限られた機会にしか演奏されず、また、その楽譜も門外不出であり、持ち出した人は破門されることになっていた。

現代の私たちが「ミゼレーレ」を聴くことが出来るのは、ひとえに、モーツァルトという天才のおかげである。

14歳のモーツァルトは、この10分ほどの9声部の音楽を1度聴いただけで暗譜してしまい、さらに、記憶をもとにして楽譜を再現してしまったのである。

その楽譜はイギリスの出版業者の手に渡り、広く世に知られることとなったのである。

なお、モーツァルトの暗譜の正しさは、ローマ教皇庁自らによって認められた。

ローマ教皇庁は、モーツァルトの楽譜が完全であることを
認め、まさにその神業を讃え、ローマ教皇自ら、14歳の天才少年に黄金軍騎士勲章を授け、門外不出の楽譜を外部に出したことを不問に付したのである。

アレグリの生涯についての記録は、ほとんど、ない。

カストラートであったとも伝えられているが、それすらも定かではない。

特筆すべきことがないほど平穏な人生だったのかもしれない。

アレグリは、死ぬまで、システィーナ礼拝堂を離れることはなかった。

ミケランジェロの作品に囲まれながら、世俗を離れ、静かに神への音楽を書き続けた、ひとりの中世人の精神のかたちが、この「ミゼレーレ」なのかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。