100歳の人で知っているのは日野原先生
あの先生のバイタリティーはすごいですね。
今でも現役です。
でも最近考えることがあるんです。
私も今生きていたら101歳の人に12歳から18歳までの青春期に育てられました。
あの頃は、日本が高度成長を遂げている真っ最中でした。
当時53歳だったおばあさんは京都までお茶のお稽古にいって家ではたくさんのお弟子さんがお稽古に来ていました。
お花の先生もしてお祖父さんの世話もして忙しく動いていました。
当時の事を思い出しながら、認知症になって施設で暮らしている方を夜勤の仕事をしながらお話相手になって傾聴することはその人の若い頃、元気で現役だった頃に戻った様子をかいまみられる貴重な瞬間です。
私たち介護者は、もっともっといろんな年代の歴史など学ぶ必要があるかもしれませんね。
そして戦前の時代は日本人として誇りを持って生きていた時代だった事を、そして世界の列強の国にひるまず自分の考えを話せた政治家がいたことも忘れてはならない事です。
母さんの木という映画を見ました。
家に6人の男の子が生まれ、お母さんは農業をしながら子供を育て、戦争になって年上から順番に赤紙が来て息子達が出征していきました。そのたびに庭に杉の木を植えたそうです。たった一人5男が帰ってきました。そんな中、当時の社会、世間体のがんじがらめの中で歯をくいしばって出征の息子を駅で見送る、母親の姿が感動的でした。
この話は事実を書いた話で教科書にものったそうです。今生きていたら120歳くらいかもしれませんね。私を育ててくれた祖父の年代かもしれません。祖母は3番目の奥さんでした。
あの先生のバイタリティーはすごいですね。
今でも現役です。
でも最近考えることがあるんです。
私も今生きていたら101歳の人に12歳から18歳までの青春期に育てられました。
あの頃は、日本が高度成長を遂げている真っ最中でした。
当時53歳だったおばあさんは京都までお茶のお稽古にいって家ではたくさんのお弟子さんがお稽古に来ていました。
お花の先生もしてお祖父さんの世話もして忙しく動いていました。
当時の事を思い出しながら、認知症になって施設で暮らしている方を夜勤の仕事をしながらお話相手になって傾聴することはその人の若い頃、元気で現役だった頃に戻った様子をかいまみられる貴重な瞬間です。
私たち介護者は、もっともっといろんな年代の歴史など学ぶ必要があるかもしれませんね。
そして戦前の時代は日本人として誇りを持って生きていた時代だった事を、そして世界の列強の国にひるまず自分の考えを話せた政治家がいたことも忘れてはならない事です。
母さんの木という映画を見ました。
家に6人の男の子が生まれ、お母さんは農業をしながら子供を育て、戦争になって年上から順番に赤紙が来て息子達が出征していきました。そのたびに庭に杉の木を植えたそうです。たった一人5男が帰ってきました。そんな中、当時の社会、世間体のがんじがらめの中で歯をくいしばって出征の息子を駅で見送る、母親の姿が感動的でした。
この話は事実を書いた話で教科書にものったそうです。今生きていたら120歳くらいかもしれませんね。私を育ててくれた祖父の年代かもしれません。祖母は3番目の奥さんでした。
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