私が、インターネットで、東日本大震災で、困っているひとに何かできることはないかと、探していたとき、ふんば
るう東日本支援プロジェクトのサイトを見つけた。
私は、パソコンの入力ぐらいは簡単にできると思って、スタッフ登録した。
そこでは、毎日、被災者に今必要な物のリストを、これから送るための大勢の人の希望が羅列してあって、それ
が、毎日更新していた。
その、ほしいものリストのパソコンの入力がボランテイアだったが、すこしやっていたら、なかなか、思うようにす
すまず、だいぶストレスになってしまった。
メールで問い合わせても返事がなく、結局途中で、辞める。
お手紙プロジェクトとか、家電プロジェクトとか、いろいろな支援方法があって、そちらに、参加して、手紙を送った
り、扇風機を送ったり、重機習得のひとにの為に、一口3000円おくったり、した。
自分にできることをしようと思っていたので、ふりかえって、1000年に一度の大震災に自分なりにできることがで
きたと思っている。
この、プロジェクトを立ち上げた人が、本を書いて、出版された。
その人のおじいさんのまた、おじいさんは、南三陸長の村長さんだったらしい。
仙台生まれの彼は、いろんな人の出会いの中、その日の為にすべてが、準備されていて、この大震災のシエン
プロジェクトを立ち上げることができたと書いてある。
私は、クリスチャンなので、聖書の御言葉に「神の御心だけが硬くたつ」というのがあるので、このような人が、自
分がボランテイアでもないのに、日本最大級の支援組織を作ったことは、偶然か必然かかんがえてしまうといっ
たとき、この大震災がおこることは、すでに、日本に最初からきまっていたことで、それを乗り越えるためにこの
人が準備されていたのかとかんがえるのです。
今の日本を考えたとき、本当に、がけっぷちです。
このことは、神様の御計画の一部であるならば、かならず、それを乗り越えるために、準備をされた人で、今、必
死にこの国をかいふくさせようと頑張っている人もいるのかもしれない。
抜粋
プロジェクトを立ち上げる前まで、研究室の僕の机の隣では、新進喜悦の教育哲学者であるk君が研究してい
た。しかし、博士論文を書き上げているとき、彼は、プロジェクトの為に、自主的に机をあけてくれた。
ある日、彼は自分の本を持って引き上げていく時「いやあ、こういう事ってあるんですね。もう、西條さんがや
るしかないというくらいに、すべてがお膳立というか、条件がととのっていましたね。」と言った。
確かにそうかもしれない。
「構造構成主義」という原理哲学を体系化しているため、未曽有の震災や、変化し続ける被災地の状況に対応す
ることができた。
大学院時代、「次世代人間科学研究会」という学問分野の壁を超えた300人以上の研究会を主宰していたこと、
そして領域横断理論で、ある構造構成主義の学術誌を編集していたことにより、機能を最大化するための組織
運営のノウハウは自分の中でできていたし、また専門領域を超えた強力なネットワークができていた。
早稲田大学大学院のMBA家庭の専任講師になってからは、組織心理学を教え、様々な企業や経営者とのつ
ながりができていた。「事例から問題の構造をとらえ、対策を打ち出していくことが可能な「質的研究法」の専門
家でもあったことも幸いした。なによりも「ふんばろう」を立ち上げたとき、MBRの授業の学生たちが協力してくれ
たおかげで、組織を起動に乗せることができた。
そして、震災の1年前に、妻と結婚したことにより、やたらと、話が合う人達という意味だの「人脈」も、一気に2倍
になっていた。
これだけ、多技にわたる諸条件が重なり真中にいたことによって、このプロジェクトが生まれた。
偶然に起こりえないことが連鎖したとき、「これだけの事が起こるのは、確率的にありえないから、何らかの必然
性があったかもしれない」と考える。
そして、この必然の条件は、僕がプロジェクトを立ち上げ、本書を書き上げるまでの過程にそのままあてはまる。
そう、あまりにもよくできているのだ。
この本を書いたのは、偶然なのか必然なのか。必然だとしたら、どんな理由があったこの本をかいたのか。
母のことばをかりれば、「よばれたから」と言うことになる。(プロジェクトをたちあげたのは、たまたま、父親の思
い付きで、南三陸町に行ったときで、そこが、曾おじいさんが村長さんをしていた町ということをしらないで)
自分だけがよばれたと考えるのは、確率的に無理だ。だとしたら、本書に出てくるにとだけでなく、第二次世界大
戦以来の国家的危機といわれる、この震災に立ち向かった多くの人は、何かに導かれるように「呼ばれた人」た
ちではないのではないだろうか。
君の助けを必要としている人がたくさんいるよ。
いまやらなければ、いつやるんだ。
今こそ、君の力を発揮するときだよ。
うまくいくように、見守っているよ。
もし、そうしたら、東北は、日本はよみがえるにちがいない。
これだけ多くの人がよばれて、うごいているのだから。
そこに、方法がないなら、作ればいい。西條さんの学問は、実践的で痛快だ。震災の状況だけでなく、あらゆる
仕事の場で、役だってしまう本になったと思う。[糸井重里)
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最も信心深い国はフィリピン、無神論広がる東欧
2012年04月19日 14:40
【4月19日 AFP】神の存在を信じる人が世界で最も多いのはフィリピンで、また世界的に高齢になるほど信心深い傾向があるとの研究結果を、米シカゴ大学(University of Chicago)の全国世……
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http://blogs.yahoo.co.jp/yonohikari2009/22897841.htmlぬ
昨日、山下公園では、東北大地震支援プロジェクトで、アイヌ人のお店があった。
私は、はじめて、アイヌの人にあった。
あまり知らないので、少しはなす。
お店には、笛があった。
そして、女性が、民族衣装をきていた。
アイヌは、北海道だけでなくて、東北にもおおぜいいたようだ。
アイヌは、記録をとらなくて、言葉で文化をけいしょうしてきたようだ。
金田一先生が、アイヌの辞書をつくったことは有名だ。
そのことを言うと、女性は、「金田一先生をしっているんですか」と言った。
昔、小学校化、中学校の、教科書に出てきたことしか知らないのです。
ほとんど、知らないことなので、日本人として、知っておくことは大切だと思う。
関東にも大勢いて、「やながせブルース」を作った作曲家ハ、アイヌ人らしいです。