例えば、人の演奏を評価するとき、「スタイル」という言葉を使う人がいます。
考えてみたら、スタイルという言葉ほど曖昧なものはありません。
誰かの作品を演奏するとき、そのスタイルとは一体何なのでしょう?
国別?時代別?編成別?それとも個人別?
そのジャンルはあまりにも多岐におよびます。
私達がそれを探るために残された手がかりは、楽譜、それにまつわる書物、そして時代背景だけです。
どんなに勉強したとしても、人は万能ではないのだから、神のように全てを網羅することは到底不可能なことです。
そもそも、バロック時代の演奏については、殆ど何も分かっていません。
多くの演奏家や研究者が試行錯誤して、答えを見出そうと努力は続けられているけれど
分かりえないことから、スタイルを定義するのは乱暴だと私は思います。
資料や、楽譜から読み取れる自然なセオリーから、漠然としたスタイルの存在は確かにあるでしょう。
ですが、はやり、演奏や音楽について語るとき、決して定義づけできない「スタイル」を持ち出すのは誠実でないように思います。
スタイルは、演奏する本人が学び、試行錯誤して初めて手に入れるもの。
現に素晴らしい音楽家たちの演奏は、どれもとても個性的です。
スタイルではなく、演奏する人本人が作曲家の語る何を表現したいのか、そしてそれを聞く人に伝えるための正しい技術を持つことが、最も大切なことなのだと、今は感じています。