居眠りバクの音楽回想

チェンバリスト井上裕子の音楽エッセイブログ。

良く生きる

2010-10-31 19:23:19 | エッセイ
良い音楽をする人は、正しく生きている。

表現に技術は欠かせないもの。

それを磨くことはもちろん大切なこと。

でもそれを使う正しい心がなければ音はただの音だと思う。

「正しく清くはたらくひとはひとつの大きな芸術を時間のうしろにつくるのです。(宮沢賢治~マリヴロンと少女~」


スタイルという謎の言葉

2010-10-30 18:45:49 | エッセイ

例えば、人の演奏を評価するとき、「スタイル」という言葉を使う人がいます。

考えてみたら、スタイルという言葉ほど曖昧なものはありません。

誰かの作品を演奏するとき、そのスタイルとは一体何なのでしょう?

国別?時代別?編成別?それとも個人別?
そのジャンルはあまりにも多岐におよびます。

私達がそれを探るために残された手がかりは、楽譜、それにまつわる書物、そして時代背景だけです。

どんなに勉強したとしても、人は万能ではないのだから、神のように全てを網羅することは到底不可能なことです。

そもそも、バロック時代の演奏については、殆ど何も分かっていません。

多くの演奏家や研究者が試行錯誤して、答えを見出そうと努力は続けられているけれど
分かりえないことから、スタイルを定義するのは乱暴だと私は思います。

資料や、楽譜から読み取れる自然なセオリーから、漠然としたスタイルの存在は確かにあるでしょう。

ですが、はやり、演奏や音楽について語るとき、決して定義づけできない「スタイル」を持ち出すのは誠実でないように思います。

スタイルは、演奏する本人が学び、試行錯誤して初めて手に入れるもの。

現に素晴らしい音楽家たちの演奏は、どれもとても個性的です。

スタイルではなく、演奏する人本人が作曲家の語る何を表現したいのか、そしてそれを聞く人に伝えるための正しい技術を持つことが、最も大切なことなのだと、今は感じています。