居眠りバクの音楽回想

チェンバリスト井上裕子の音楽エッセイブログ。

マメーリの賛歌

2011-01-30 14:11:57 | エッセイ
1946年以降制定された、イタリアの国歌。

今年は、イタリア国家生誕150年の記念の年なので

スポーツの国際試合以外の場でも、国家を聞く機会が多くあります。

先日、行ったコンサートでは
何故か冒頭で突然の国歌演奏。

マメーリの賛歌は、大概、ヴェルディによる編曲版で演奏されるので
カッコイイ!

演奏が始まった途端、聴衆が一斉に立ち上がって
メロディーを清聴していたのが、印象的でした。

国歌に対しては、どの国も様々な問題を抱えているようですが
純粋に国を愛するものとして
どんな曲でも、やはり愛して歌うべきものではないかと思います。

あぁ、勘違い。

2011-01-28 18:00:54 | エッセイ
モーツアルトのヴァリエーション(K.398)を
練習していて、おかしなことをやっていたことに気がつきました。

図1


最後の三小節。

私、↓こう、弾いていました。

図2


スラーのかかった、スタッカート記号。
フランスものでは、よく見かけるもので
図2のように演奏します。

何も考えず、そう弾いてしまい
第二ヴァリエーション(図2)に来て

「!!!」

あぁ、これモーツアルトだったんだ。

初見で、演奏会なんて、殆どあり得ないシチュエーションだけど
本番じゃなくて、良かった(笑)

色んな時代のものを、ごちゃまぜに弾くときは
気をつけよう。


「音楽と言葉」

2011-01-24 11:37:37 | エッセイ
フルトヴェングラーによる著作「音楽と言葉」。

~すべての偉大なものは単純である~という箴言から
彼の言葉は始まります。

翻訳もとても素晴らしいと思うのですが
フルトヴェングラーの発する言葉には、
何一つ無駄がなく的確であるばかりでなく
たちどころに心を打つ、何か特別な力があると感じます。

科学的な検証によって、生命の奇跡や非有機的な世界が
より身近になった現代、
宗教や芸術の持つ力や意味もそれによって大きく変わってしまいました。

その問題を明らかにしながら
芸術とは?音楽とは?
そして、それにどう関わるべきなのかを
フルトヴェングラーは静かに私たちに語りかけています。

「様式にふさわしく」だとか「楽譜に忠実に」ということが本質なのではなく
過去の偉大な作品が持つ直感的な要素、それが一体なんであるのか
「限りを尽くして」探求し、体験し、演奏すること。
それが演奏家の本来の仕事なのかもしれません。

真の芸術家たるフルトヴェングラーの真髄・・・
偉大すぎる彼の芸術性のその一端を
これらの言葉から知り、真の音楽家に少しでも近づきたい・・・と
心底思います。










アルマ・マーラー

2011-01-19 08:48:25 | エッセイ
アルマ・マーラーに関するエッセイ。

主役を支えた女たち ~アルマ・マーラー~

彼女が語られるとき
いつもその華麗な男性遍歴がついて回ります。

でも、実は作曲家なんですよね。

本当はもっと勉強して、音楽家として生きたかった人かもしれません。
マーラーは何故、彼女に作曲を禁じたんだろう?

女性の運命は、時に残酷なものです。

Julius Reubke

2011-01-18 07:01:10 | その他
先日、リストの弟子であったJulius Reubkeの作品を聴く機会に恵まれました。

聞いたのは、現在残っている彼の作品6曲(と演奏者は言っていた)のうちの三曲。

マズルカ、スケルツォ、そしてソナタでした。
大変良い曲です。

ソナタはリストのロ短調ソナタのモチーフが使われていたり
全体的に師匠の影響は否めないけれど
もう少し演奏される機会があっても良いな・・・と思いました。

今年は、リスト生誕200年の記念の年。
彼が取り上げられるチャンスが少し増えるかもしれませんね。




ヘボ批評家たち

2011-01-17 08:33:34 | 言葉
 ある芸術の美学は他の芸術にも適応する。
 ただ材料がちがうにすぎない。

                  フロレスタン

     ロベルト・シューマン著  「音楽と音楽家」より

 シューマンの演出はユニークで
 参考になることも沢山書いてあるのですが
 歯に衣着せぬ痛烈な言葉の数々が面白いです。




バッハ崇拝

2011-01-16 05:38:16 | エッセイ
この真の芸術精神があればこそ、
バッハが己の偉大にたいして崇高な芸術様式に、
大きな全体を構成している個々の部分のきわめて繊細な優雅さと最高の正確さを
~この場合普通にはただ美しさだけを狙っているような作品の場合ほどには
 必要だと考えられていないその優雅さと正確さを~
結びつけたのであり、更にまた、その真の芸術精神があれがこそ、
彼が、大きな全体の個々の部分に最高の正確さにおいて
少しでも欠けるところがあるときには、
その全体が完全なものになり得ないと信じたのであり
つまりは、その芸術精神があればこそ、偉大さと崇高さを求める彼の天分と
基本方向にも拘わらず、時には陽気に、戯れさえしながら
作曲し演奏し、しかもその明るさと戯れは
賢者の明るさと戯れだったのである。

        フォルケル著「バッハの生涯」より第11章 バッハの精神

 これで、一文。長いです。
 言いたいことは、一応分かるけれど

 「最高の正確さ」ってどういうことだろう。

※ただ美しさを狙っているような作品ほどには必要でない優雅さと正確さ

崇高な音楽には、ただ美しさを狙っている作品よりも
「優雅さ」と「正確さ」が必要でない・・・というのは変な考え方です。

「正確さ」というのが何を指すのか・・・
「的確に表現されること」?

バッハ崇拝的な要素の強いフォルケルの伝記。
彼自身も音楽家で、その素晴らしさが理解できてこそ
この文章なのだと思うけれど
やっぱりあまりにも賛辞の言葉が過剰で
時々、「???」とびっくりすることがあります。  
 





  
 

5本の指

2011-01-15 05:14:07 | 言葉

「一生懸命練習してごらんなさい。
 きっと巧くいきます。
 あなたにだって、私と同様、両手に五本ずつ上部の指があるのですから。」

                バッハの言葉~フォルケル著「バッハの生涯」より


奇妙な演出

2011-01-14 13:13:00 | エッセイ
先日、椿姫を劇場に観にいった。

急に告知されたので、怪しいとは思っていたが、
やっぱり・・・ものすごい公演だった。

残念ながら、最後までは我慢できず
二幕の二場でリタイヤ。

演奏自体も聞くのがとても辛かったけれど
何より酷いと思ったのは演出。

舞台の中央に設置された巨大なベットが
歌い手を乗せて、ぐるぐる回ったり・・・
二人の愛の二重唱でいきなり合唱がベットの周りを取り囲んだり・・・
衣装も何故かインド風だったりトルコ風だったり
動きも怪しすぎるし、全体的に悪趣味で、品が無い。

気持ち悪かった。

あれなら、一切動かないほうがマシ。

回転ベットに品性を感じないのは、日本人だからかな(笑)