居眠りバクの音楽回想

チェンバリスト井上裕子の音楽エッセイブログ。

備忘録Ⅴ~Toccata di Frescobaldi~

2010-11-30 00:03:58 | 音楽理論
3. Li cominciamenti delle toccate sieno fatte adagio et arpeggiando; e cosi nelle ligature, o vero durezze, come anche nel mezzo del opera si batteranno insieme, per non lasciar voto l'istromento; il qual battimento ripiglierassi a beneplacito di chi suona.
トッカータの冒頭部分は、アダージョでアルペッジオで演奏されるべきである。タイで結ばれた部分や不協和音にも同じである。そしてそれは、曲の途中であっても、同じように演奏されなければならない。音を途絶えさせないように、演奏する人は自由に打鍵を繰り返しても良いだろう。

※「Voto」にならないことは重要なようである。
 彼は序文の中でfermareという単語を多用していて、
 休符と訳されていることがあるが、休符ではない。
 テンポが緩まることであると考える。
 音は決して途絶えさせてはならない。
 そのための自由なアドリブが容認されている。
 
 

備忘録Ⅳ~Toccata di Frescobaldi~

2010-11-29 00:02:59 | 音楽理論
6.Quando si trovera un trillo della man destra o vero sinistra, e che nello stesso tempo passeggiera l'altra mano, non si deve comparire a nota per nota , ma solo cercar che il trillo sia veloce et il passaggio sia prtato men velocemente et affettuoso; altrimente farebbe confusione.
右手もしくは左手にトリルがあり、もう一方の手にも同じように早く動くパッセージがある場合は、音符と音符を均等に分けてなならない。トリルは素早く、そしてパッセージはあまり早くなく情趣豊かに演奏すること。そうしなければ、混乱がおきるだろう。

※なかなか難しい注文。
 均等にやるのは簡単だが、不均等にしかも情趣豊かに
 演奏するのは、もはやセンス。
 頭で考えただけではできない御業です。

備忘録Ⅲ~Toccata di Frescobaldi~

2010-11-28 00:04:53 | 音楽理論
4. Nell'ultima nota, cosi de trilli come di passaggi di salto o di grado, si dee fermare ancorche detta nota sia croma o biscroma, o dissimile alle seguente; perche tal posamento schicera il confender l'un passaggio con l'altro.
跳躍や音階などのパッセージの中にあるトリルの最後の音では、その音を保持しなければならない。それがたとえ8分音符や32分音符で、音価と異なるとしても。この種の休止は、他のパッセージとの混乱を避けるためである。

※トッカータの中にあるトリルは、全て書かれている。
書かれているからと言って、音価が重要というわけではない。
 トッカータ以外の作品の中には、書かれているトリルと
 そうでないトリルとがある。
 何か違いがあると考えるべきなのだろうか。
 

備忘録Ⅱ~Toccata di Frescobaldi~

2010-11-27 00:02:02 | 音楽理論
8.Avanti che si facciano li passa doppi con ambedue le mani di semicrome doverassi fermar alla nota precedente, ancorche sia nera; poi risoluramente si fara il passaggio , per tanto piu fare apparire l'agilita della mano.
両手で十六分音符を演奏する二重走句を演奏する前には、その先行する音(それがたとえ短い音符だったとしても)の前で一旦落ちつくべきである。それから、指の軽快な動きをより目立たせるために、決然とパッセージを演奏する。



なるほど。

備忘録Ⅰ~Toccata di Frescobaldi~

2010-11-26 00:03:35 | 音楽理論
7 Trovandosi alcun passo di crome e di semicrorne insieme a tutte due le mani,portar si dee non troppo veloce; quella che fara le semicrome dvra farle alquanto puntate, cioe non la prima, ma la seconda sia col punto; e cosi tutte l'una no e e l'una no e l'altra si.
一方の手が八分音符、もう一方が十六分音符のフレーズに出会ったら、あまり早くならないようにしたほうが良い。これらの十六分音符の走句は、いささか付点で演奏するべきである。つまり、最初に付点を付け、二番目にはつけない・・・片方が付点なら、もう一方は付点なしで・・・という風に。



※十六分音符は付点にしてもよい。
付点は付点でも、ニュアンスが着く程度のものと考える。
付点は、先につけても、後につけてもよい。
目的は、早くなりすぎないようにすること。そのための付点。

ウィーン式

2010-11-24 00:14:08 | 楽器


久々に、フォルテピアノを試奏する機会に恵まれました。
未完成ではありましたが、良い楽器でした。
モデルはAnton Walter。
何年のモデルか聞きそびれましたが、ワルターが楽器のモデルチェンジをした
1790年以降のものだと思います。

ワルターのピアノはウィーン式アクション(Prellmechanik)で、
現在、イギリス式アクション(Stoßzungenmechanik)に淘汰されてしまったモダンピアノとはかなり異なるものです。

タッチは非常に繊細で、よりチェンバロに近いといえます。
そのデリケートな表現力は、同じ時代に生きた作曲家や理論家達にも絶賛されていました。

例えば、フンメルの「ピアノ奏法の理論と実践法(Ausfuhrliche theoretisch-practische Anweisung zum Piano-forte 1828)」にはウィーン式アクションの素晴らしさを絶賛する項目があります。



© Yomiuri Nippon Symphony Orchestra / DMC Institute, Keio University

2. ・・・~ピアノには2種類のアクションが存在する。一つは、ウイーン式アクションの大変演奏しやすいもの。もう一つはイギリス式アクションで、こちらは弾きにくいものだ。

3.・・・・~ウイーン式アクションはどんなに小さく、繊細な手でも弾くことができる。ウイーン式アクションであれば、演奏者はあらゆるなニュアンスでの演奏が可能で、敏感に、そして明確に音を出すことができるだろう。
フルートのような豊かな音色は、大きな会場でのオーケストラの伴奏でも良く引き立つ。そして、弾くことに気を取られるあまり、音楽の流れを壊してしまう、というようなこともないであろう。さらに、この楽器は耐久性もあり、価格もイギリス式アクションの物より半分の値段で売られている・・・・~~~(ピアノのタッチ、イギリス式とドイツ式の対比~より抜粋)

彼は、その表現力と繊細さにおいて、ウィーン式アクションを絶賛しています。

モーツアルトやベートーヴェンに代表される古典派の音楽が求めていたものを
解き明かす鍵は、楽器そのもの、そして彼らの言葉の中に
数多く潜んでいると思います。

Pronunciare

2010-11-23 00:10:43 | エッセイ
歴史的指使いが助けうることの一つは

もしかすると、Pronunciare(発音する)かもしれません

特に、フレスコバルディのトッカータような
自由でかつ複雑な音楽の場合

音楽は多くの言葉を語ります

歴史的指使いは、一見、不均等で不自然なようにみえて
実は、豊かな表現を生み出す可能性を持っていることに気がつかされました

音階が続く時、同じ音形が続く時・・・
指使いを工夫すると、途端にフレーズが何かを語り始める

(ただ、注意しなければならないのは
 使い方よっては、単純にいびつで不自然な言葉となることです
 正しい奏法をもってすれば、とても効果的で
 繊細な表現ができると思います
 また、方法は違いますが、ある点においては
 イネガル奏法に通じるものがあると感じています。)

音楽は、あたかも、一つの演劇のようです

一つの国に数あまたの方言があるように
一つのフレーズの中にも幾通りもの発音法が存在してます

彼らの言葉(音楽)を理解して語ること
語るために、よく発音すること
より自然に、より豊かに





タルティーニ3度

2010-11-22 00:03:03 | 音楽理論
タルティーニは、偉大なヴァイオリニスト、作曲家であっただけでなく

音楽理論家でもあります。

彼は、差音を発見した人物です。

差音は二つの異なる音を同時に鳴らしたとき、それらの周波数の差にあたる周波数の(鳴らしていない)音が聞こえる現象で

ヴァイオリンの調弦の際、有用だそうですが

チェンバロを調律しているときにも、時々、聞こえる事があります。

ちなみに、差音について彼が1754年にパドヴァで発表した論文を手に入れました。

「Trattato di musica secondo la vera scienza dell'armonia」

イタリア語で、200頁ほど。

読むには気合が要るので、サラッと眺めただけですが
時々現れる譜例がなければ、まるで数学の著作のようです。

偉大な音楽家は、数学に強い人が多いですね。

はるか昔、音楽は数学の一部だったと言います。
数の神秘は、神の神秘。
そして、音楽はそれを表現するもの。

ありがちな現実

2010-11-21 00:20:21 | エッセイ

古い教則本など、色んなところで集めています。

日本語、ドイツ語、イタリア語、フランス語・・・英語も。

ここ数年のすごいところは、何でもインターネットを通じで

手に入れられることです。

著作権の切れたものなどは、無料で配布されていたりもします。
著名な教則本の初版なども見つかるので、驚きます。

とりあえず・・・集めて・・・・

集めるだけ???

本は読まなくては、無いのと同じ。

私のところに漂流したこれらの著書。

全て読破するには、一生はあまりに短い。

ある人が口癖のように言っていました。

「音楽家は時間が命」