「音楽は耳を傾けてくれる聴衆がいてこそ成り立つものよ。お客さまは忙しい合間を縫って、人生の一瞬を預けにいらしてるの。その貴重な時間をいいかげんにやり過ごそうとしたなんて、プロとして失格ね」
女の声がくわん、くわん響く。
ほんっとに目障りなオンナだ。声だけでもそうとううっとおしい。どうせただのピアノ弾き。歌って弾けるほどじゃなきゃ芸能界では生きていけない。せいぜい、その芸術家魂とやらを大事にあたためて、金持ち連中だけ喜ばせとけばいい。
「楽器の演奏よりも、歌唱は自分でコントロールできたと思ってるのね? だとしたら大間違いよ」
オンナはまるで、あたしの脳みそを覗きこんだみたいに言う。
「楽器なんて、高価なの揃えりゃそりゃ音だって違うじゃない。ストラディバリなんとかっていうバイオリンとか」
「ストラディバリウスは名器だけれど、名器を扱うにはそれなりの修練が必要よ。誰にでも許される楽器ではない。もちろんそれは金銭の有る無しでもないわ」
レンシュウガヒツヨウ…そう言ったけ、このオンナ。
そうよ、あたしだって、なんべんも何回もひとしれず努力ぐらいした。歌った数なら誰にも負けないってぐらいに。
「演奏が上手になるコツはね、他人の音を聞くことよ。自分が鳴らす楽器の音を耳にしてから、はじめてその音の出来不出来を理解できるもの。貴女はね、自分でかってに作詞して作曲もしているけれど、それを歌えばどうなるのか分かっていない。だって、あなたは耳が悪いもの。役に立たない楽譜よ。自分の胸に響いてくるかどうか確かめもしない。いいえ、確かめられないのよ」
うっさい。うっさい。
根元から折れた口紅を手のひらに載せたような虚しさ。ねとついた憎悪が、やたらと長い生命線とおそまつなほどちぐはぐになっている頭脳線のあいだから、噴き出してくる。あたしは手をボールにして握りしめているだけだった。ちっぽけなプライド、それさえを投げつけて返してやる言葉が見つからない。
「貴女に足りないものは、自分を外から見つめる自分。つまり自分の分身よ。世界中のテレビが貴女を映しだしたとしても、貴女には自分というものがなにひとつ見えていない」
オンナが踵を返して車に乗り込んでいく。
あたしは、その背中にこぶしをふるう気力さえ失せていた。あたしの分身、いくらもあっても、あたしの思い通りのあたしになれっこなんかない。願うなら、あの日、この日、あいつに委ねた自分、かつての夢を裏切った自分、親友を祝えなかった自分。すべて、自分じゃないはずのドールであってほしかった。
【目次】神無月の巫女二次創作小説「ミス・レイン・レイン」