哲学者ブレーズ・パスカルの名著『パンセ』に、こんな言葉があります。
──「人間は天使でも野獣でもないが、不幸なことに、天使になろうとすると野獣になってしまう」と。同様のことは、先んじてモンテーニュの『エセ―』で述べられているとの指摘もあります。私がこの言葉に出逢ったのは、大学院時代の研究対象の美術家に天使をモチーフとする作品があったがためなのですが、日本人には、西洋人にありがちなキリスト教的イコンとしての天使ではなく、可愛らしい幸福の使者というイメージがありますよね。
映画の視聴後感が悪いのは、邦題がよろしくなかったのでしょうか。タイトルの印象の導くままに映画を選び視聴して観たものの、作意がくみ取れなかったことは往々にしてあります。つまらないですよという感想は載せるべきでないとも思いつつ、拙ブログは映画を観たという日記帳でもあるので、しるしておくことにします。作品がおもしろくなかったのは、自分のメンタル不全かもしれないので。ちょうど、ほぼ10年前に視聴した作品なのでした。
2003年のアメリカ映画「ノースフォーク 天使がくれた奇跡」は、現在はダムとして水底に消えた街ノースフォークを舞台にした、詩編のような物語。しかし、何を伝えたいのかさっぱりわかりませんでした。映像美を追求したのかもしれないが、退屈でしかたがない。
ノースフォーク 天使がくれた奇跡 [DVD] | |
NIKKATSU CORPORATION(NK)(D) 2009-08-28売り上げランキング : 94053Amazonで詳しく見る by G-Tools |
モンタナ州の平野にひろがる小さな町ノースフォークは、1955年、ダム建設が決まりいずれ水の底に沈む運命にあった。
立ち退きを迫られたハドフィールド夫妻が、病身の男の子アーウィンをハーラン神父のもとへ預ける。里親になっていたにも関わらず、医師が街を離れたため、連れていけないというのだ。
そのころ、ノースフォークには黒づくめのいでたちの男たちが黒い車で乗り付ける。ウォルター・オブライエンを筆頭に、彼らは州政府に雇われた強制退去の交渉人たち。みごと65世帯の立ち退きを成功させれば、ダム完成後の湖畔で1.5エーカーの土地が与えられる。だが、彼らの交渉は難航する…。
ノースフォークにとどまりつづける神父と、立ち退き交渉人たち。この二つの時間軸のあいまに挿入されるのが、元気なアーウィンが、摩訶不思議な成りをした四人組と出会う物語。ピエロのような女性のフラワー、眼鏡で義手の探究心旺盛なハッピー、カウボーイハットをかぶったコッド、そして親分肌のカップ・オブ・ティー。あたかも不思議の国のアリスに出てきそうな男女です。
じつは後半になると、これは病身のアーウィンが自分が天使となっていて、仲間に迎えられるという夢の中身であったとことがわかります。
ということは、立ち退きを迫る男たちが、天使の翼をもったトランクを贈りつけて住み慣れた土地を離れるようにしていく交渉は、はたして、どんな意味をもつのか。
水に沈むはずのノースフォークに居続ける神父も、あのいわくつきの男たちも、実は天使の端くれだったのか。読みとれませんでした。
三つの物語が平行線で進行していて、人間模様が絡み合うことなく、終わってしまいます。
映像としてはそれなりに美しいのですが、とりたてて斬新な演出があったわけでもなく、台詞回しもつまらなくて、ものすごく退屈でした。芸術家としての気位は高いけれど、物語は人に訴えてこそ価値があるものではないでしょうか。
ここでいう天使というのは、「ベルリン 天使の詩」のような、現代人とそう大して変わらない風貌の、あまり神々しさの感じられない存在なのです。人間が信仰をうしなったために、ほんらい、人間の近くに住んでいたはずの天使の存在を追いつめ、追い出してしまったという神話的な教訓だったのかもしれません。
中途半端なファンタジーよりは、もっと、地に足のついた人びとの生活で巻きおこる種々の感情を生々しく描いた実写ドラマのほうが好きな私としては、楽しめるものでありませんでした。
といいますか、タイトルに天使とついた作品の多くは、そのモチーフの清らかさに惹かれて募らせる期待が裏切られていくものばかりですよね。本作はけっきょく、聖書にあるノアの方舟をモチーフにして、幼い子供をペットのように面倒をみては捨てる、親のわがままを言い当て、信仰の無意味さを投げかけただけにしか見えませんでした。
監督はマイケル・ポーリッシュ。
出演はジェームズ・ウッズ、ニック・ノルティ、「ER緊急救命室」のアンソニー・エドワーズほか。有名俳優を観るのが楽しみ、なのかも。
(2010年11月26日)