陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

みかんの木、2024年冬は控えめに

2024-12-28 | 家庭菜園・庭仕事・ガーデニング

空き家まわりの庭や畑で最初に味わった果実はユスラウメ。
長らく裏庭に生えていて、接ぎ木などをして木を増やしてきたのですが、どうしたことか、今年の春は実ることがありませんでした。鳥に食われてしまったのか。

昨年から楽しみにしているのが柑橘類。
五年ほど前に植樹したはっさく、昨年は大豊作。百個ぐらいはあったのでは。しかし、今年は残念ながら二十個ほど。夏場に剪定を行わなかったのもありますが、もともと隔年で受粉するので、今年は収量が落ちるのは予想済み。

枝が伸び切っているので、実が地面に着いているのもあったり。
実りが少ない分、一個ずつはかなり大きめ。食べ応えがありそうです。


こちらはお隣の温州みかん。
植樹したのが二年前の春先。まだ若木なのですが、隣のはっさくの大樹に感化されたのか、なぜか二個だけ妙な枝を伸ばして実っていました。ほんとに不思議です。

このさらに隣に、また別の柑橘類を植えたはずですが、今年は収穫はなさそうです。

空き家の庭木は裏にかなり大きな夏みかんの木があって。
大量に実が落ちていたのですが、かなりすっぱくて食べられたものではない。親戚のおじさんに砂糖をかければ、といわれてそうしても、やはり酸味がきつい。かなり大きくなりすぎてしまったので十年近く前に伐採したことがあります。あと、屋根瓦を壊しそうだったので、丈が伸びすぎた柿の木も伐ってしまいました。

この空き家を管理しはじめた当時は、庭木や畑の雑草がジャングルのようにはびこっていたため、駆除するのに必死で、こうした自然の恵みを楽しむ余裕すらありませんでした。茨の森のようになっていたり、カヤが竹のように生えていた荒れ地。その畑を冬の夜22時までかかって伐採し続けて、マイコプラズマ肺炎にかかってしまったこともあります。北海道の開拓民の皆さんのご苦労をいやというほど体感した次第です。北国の山を開墾するのはもっと大変だろうけども。

このみかんの木のある畑も、数年来、生ごみを埋め続けて土がかなりよくなりました。除草剤をやめて刈った草を寝かせ、伐採した木を放置してできた落ち葉で木の根元を覆います。そうすると畑の草マルチと同じで保温になります。草刈りついでに有機肥料をつくっているので、追肥が不要。水やりも多くて一週間にいちど、手間がかかりません。

はっさくの皮は厚すぎるのでママレードにするには不向き。
実だけをおいしくいただき、皮は生ごみバケツへ。柑橘ならではの香りで、生ごみのニオイを消してくれる逸材。土に戻すことで、またおいしいみかんに生まれ変わってくれます。命の循環をこの小さな畑で繰り返していくのです。


(2024.12.05)



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