2020念11月、漫画家の高橋留美子が紫叙褒章を受章というニュースが飛び込んできた。
漫画家が国家的に功績を認められるのは、もはや珍しくはない。日本をとびこえてまずは海外でその文化的業績を称えられるケースも少なくない。大友克幸もそうだが、今回の高橋留美子も前年のフランスでの褒章が足掛かりになったことは否めないだろう。高橋留美子の受賞が喜ばしいのは、氏がいまだ現役のクリエイターでありつづける点である。
漫画家の中には、すでに創作をやめて、教育者に転身する者も多い。自分の築いた伝説とネームバリューで後代に権威を響かせる、それはいいのだが、しばしばこうしたアングラ文化の最前線にいたものが神格化されると、ややこしい問題がでてくる。アバンギャルドが古典になったときに生じたのと同じ平準化である。だからこそ、「現役のまま」のクリエイターを称えるのはいいことなのだ。創作意欲が潰えたあとで過去のあなたの作品は輝いていましたよ、なんて褒められて喜ぶ作家がいるだろうか。いたとしたら、その作家はもうとっくに終わっている。過去の遺産で食いつなぐことに、何らかの後ろめたさがある。そしてどれほど偉大な作品を残そうとも、夭折の天才には褒章がない。
さて、今回の本題に入ろう。
お題の通りだが、結論からいえば、「いまの文化を作るのは私たち、偉い人ではない」というのが主題である。
私は大学で美学・美術史を学んだ者だが、20世紀末から21世紀へとまたいだあのミレニアム年代こそは、日本の文化の転換期だったのではないかと言える。今では学生がアニメなどオタク文化を研究するのも当たり前になったが、2000年代前後はそうではなかったのだ。当時から柄谷行人などの論客たちがエヴァンゲリオン論を闘わしていたし、村上隆のオタクアートは美術手帖で特集が組まれるぐらいであった。けれども、エリートたちが言論を酸っぱくして好事家らしく語っても、その当時はまだ、現役の漫画家やアニメーターはいまだ権威の側ではなく、大衆の側にいたのではないかと思う。要するに、商業であるか、否かの問題なのだが、発行部数があまりに少ない言論誌でお偉いクーリエが論述しようが、一般人の耳には響かない。
ところが、いまやどうだろう。「鬼滅の刃」を例にとれば、女性ファッション誌まで特集を組むし、文芸カルチャー雑誌たる『ダ・ヴィンチ』は漫画の特集を定番としている。ハイアート(高級芸術)と対称軸のレッサーアート(低俗芸術)がいまや世間を席捲しているのだ。なぜか高尚な芸術にありがちな自己完結性が、こうした庶民派の漫画やアニメにはないからだ。王侯貴族のコレクションや美術館に囲い込まれずに、誰でも安価にアクセスできる開かれた文化なのである。教会のイコンよりも仏教の曼陀羅図よりも、日本の漫画は歴史を教え、人の道を諭し、神や仏の説話をひろめ、何よりも美意識を喚起する。美術史の王道を作った西洋の側が東洋の端の端の列島の文化に驚嘆するのもむべなるかなではないだろうか。
ひるがえって、私がまだ美術研究をしていたゼロ年代は、まだこうしたサブカル研究は主流ではなかった。テーマに選ぶと、大学教官から睨まれた時代だった。教官は新しいテーマを教えながら、ほんとうは教養めいた美術の大歴史の有名作品や名のある美学の研究がいいのだと圧力をかけてくる。そんな時代なのだ。
私が学部、修士の研究で選んだのは現代英国のアートであったが、教官の無理解がひどかった。
「なんで、そんなつまんない作品を選ぶの」の一点張り。ところが、中間発表会でその造形作家が英国のターナー賞受賞者で、オックスフォード大学で哲学を学び、オルセー美術館にも作品が収蔵されている。もちろん、日本の各地の美術館にも作品はいくつか購入されている、と紹介するやいなや、教官たちの見る目が変わった。できあがった卒論は大絶賛で、学部生には珍しく卒論から研究誌に掲載された。さらに、修論は英語で執筆したときも読むのが嫌さに強固に反対した老害教官がいたが、押し切って提出したところ、やはりいい評価をいただいた。その英文には、東京のギャラリーの学芸員を通じて、造形作家本人から了承を得た文章が引用されているので、資料的価値が高いのである。しかし、価値が高いのは、一部の界隈でのこと。社会に出たら、誰もそんな美術の世界での有名人など誰も知らない。
私はあまりに学界人の陰湿さと足の引っ張り合いに嫌気がさし、あるいは、自分の研究テーマがおそらく芸術文化の主流足りえないこと、あるいは就職の間口の狭さを悟って研究をやめたのだが、正解だったといえる。そもそも文化研究を大学なんぞで公金をたらしこみながらやるべきではないのである。
学術の香りを受けた者は、身近なものを高尚に語りがちである。
数年前に、ある百合作品を特集した文芸誌があったし、有名なアニメ監督の特集号があったりもしたが、論客たちはデリダだのなんだのの一般人にわからぬ記号やメルクマールで好きなものを飾り立てる。だが、庶民にはそんなもの知ったこっちゃないのである。ナントカが萌えるとか、イイとか、それだけの語彙力で成立するオタクだけでのネットワークで、漫画もアニメもしたたかに後世に語り継がれるものになっていく。
SNS世代は、鼻持ちならない権威やブランドを挫くことになんらのためらいもない。
私はそれを喜ばしいと思う限りである。
(2020/11/06)
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