陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「最高の晩餐」 (六)

2007-08-22 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女
「あちらにいる可愛い方ですね。来栖川姫子さん」

姫子が数メートルほど離れた位置に立って、こちらを窺っていた。遠慮して近づいてこないのだろう。
千歌音は姫子に近い声に騙されないように瞳を逸らし、淡々と荷物を詰め終えていった。かさばらないように器用に折り畳まれた弓道衣を入れて、バッグの外見が不格好に膨らまないように整えようとしていると、奥から光る桜貝が覗いていた。姫子と買ったお揃いの貝殻のペンダント。いつも肌身離さないものだけれど、さすがに神聖な射場では首元を飾るのは憚られる。着替え終わったら制服の下に着けようと思っていたのに、不穏な気配を背後に感じて忘れていたものだった。そして、いまその少女の前で、ふたたび制服のタイを緩めて肌を晒し、それを身に着けるのはいささかためらわれた。
バッグの中身の甘やかなメモリアルに、すかさず好奇心の視線を滑りこませる桜。その食い入るような不遜な少女の眼差しを遮るように、銀の歯を鈍く噛み合せてゆくジッパーの音が、わざと大仰に早急に立てられた。ひとりの悪意から護るように、ふたりの想い出を白い鞄に封印した千歌音は、すぐさま踵を返した。そして桜にはお構いなしに姫子のほうへ歩を進めはじめる。右後ろ肩に抱えたまっすぐな紫紺の弓袋に沿うように、一直線の背中が遠ざかってゆく。姿勢の整った沈黙の後ろ姿を、桜は慌てて追いかける。

歩くうちに、千歌音は姫子の元へ歩むべきか、なるべく姫子から彼女を遠ざけておくべきか逡巡した。間桐桜が自分に興味を抱いているらしいことは知られたが、こちらの出方次第では姫子に危害を加える人物かもしれない。どこか、侮れない少女。けれど、その声質になるたけ耳を傾けてみたい、そんな矛盾した自分もいた。私が傷つけ悲しませたら、姫子もこんなどこか心病んだふうになるのかもしれない。千歌音は「姫子の影」を連れながら、「姫子の光」へと向かう。無邪気にこちらへ手を振る姫子にだけは甘く緩ませた瞳を向けながら、千歌音は斜め後方を歩く桜に、すこし突き放した口調で尋ねた。

「間桐さん、貴女はなにが仰りたいの?私と来栖川さんのことについて」
「いいえ、別に。貴女たちふたりのことについては何も…。ただ私は個人的に貴女と一対一の弓勝負をしてみたいだけなんです。自分の秘めた想いを矢羽根にのせて、貴女と競いたいんです。誰よりも強くて美しい弓をひく貴女と。…だめ、…ですか?」

桜のやや諦めのいろが滲みはじめた言葉尻に気が咎めそうになって、千歌音は早足をとめた。すでに愛しい待ち人の元へはたどりついていた。執拗に食い下がる少女の正当な意図を確認して、なによりほんとうの姫子を目にして、ほんのすこしだけ張りつめた心は緩んでいた。千歌音がお待たせの合図を目で送ると、姫子も軽く微笑み返して頷く。そして姫子は、すこし心配げに桜へ顔をむける。桜はまるで、もうひとりの自分の良心に勇気を貰ったかのように、権高な黒髪の少女にふたたび強く申し出た。

「姫宮さん、…いえ姫宮先輩。私と勝負していただけませんか?」

桜は目を細めて姫子から千歌音へ視線を戻し、まるで恋人にでも笑いかけるかのように愛らしく微笑んで訊ねた。姫子の笑顔から写しとったようないくらかの親しみを交えて。それでも、千歌音は警戒した瞳を完全には緩ませはしない。姫子のほんとうを前に、つくられた似て非なるものがあることが、妙に許せなくもあった。そしてたとえ人畜無害な人物でも、ふたりの間になんの気後れもなく割り込んでくる者に気は許せない。

もう、千歌音ちゃんは。あいかわらず他人に容赦ないんだから…。
互いに一歩も譲らない二人を見るに見かねて、とうとう姫子が横あいから口出しをしてしまった。

「千歌音ちゃん、あのね。桜ちゃんは私が案内したの、どうしてもお話があるっていうから」
「姫子が?」
「私のことは気にしなくていいよ。終わるまで、ちゃんと待ってるから。ね、そうしよう?」

姫子のとりなしによって、結局その申し出を断れなくなった。姫子はどうやら彼女に親近感を抱いてしまったらしい。姫子の口添えでは、千歌音は無碍に拒めない。おそらく間桐桜は、こちらの様子を遠巻きに眺めていて、姫子に近づき利用しようと思ったのだろう。この自分を懐柔できる最短の道を知っている少女。やはり侮れない相手だと、千歌音は思った。



【目次】神無月の巫女二次創作小説「最高の晩餐」






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