
一箇月ぐらい前のことなんですが、NHKのニュースで報道された貧困女子高生について。何か未だに思い出して、もやもやするので書き出しておきます。もう、だいぶネットの炎上も落ち着いた頃ですし。
この女子高生は離婚した母と二人暮らし。家計が苦しいので、アニメーター養成学校に進学したいが諦めねばならないのが心苦しい。その気持ちを訴えるべく、子どもの貧困フォーラムかなにかで演説をふるった、という内容。その後、本人が趣味に散財しているのがツイッター等で露見して、各所から非難轟々を浴びます。他方、擁護派の有識者からは、貧困者叩きをするほどセーフティネットが機能しなくなるのを懸念する声もあがっています。
この問題、女子高生の金銭感覚について批判点を洗い出せばいくらでも出てくるのですが、とりあえずそこはおいといて。
まず、私が首をひねりたくなったのは、この子が「自分は輝かしい夢を抱いているので、あしながおじさんのような誰かが応援してくれるのはあたりまえ」と無邪気に考えていることですね。泣きわめいたらなんでも買ってもらえると思いこんでいる幼児が図体でかくなった、みたいな。で、残酷なことを申し上げますと、こういう若い子たちがお金に困っていて、とるであろう方法っていろいろありますよね。悪い方面だと、JKビジネス。そしていい方面だと、給付型の奨学金かパトロン。一番積極的なのは、自分でバイトすること。今回の場合、二番めなのですが、この彼女はそもそも戦略が間違っています。
人手不足の医療福祉や保育業界に身を投じて、社会に役に立つ人間になりたい。そのために進学したい。こんな夢だったらば、彼女は非難されなかったはずです。別の言い方をしてみましょう。もし、彼女が両親揃っていて裕福だったとします。それでも絵描きだの、アニメーターになりたいと告げる。おそらく、周囲の大人で誰かひとりは絶対に反対するはずです。それで、ほんとうにあなた食っていけるの? 将来、歳とったらどうするの? って眉をひそめながら。そうなると、この女子高生の問題の本質は、貧困どうの、ではなく、本人のキャリア設計の曖昧さということになります。
今回の騒動が提出している隠れたテーマは、日本の学校や教師たちを含めた世の中の大人すべてがいかに子どもの職業観形成に失敗しているか、ということです。大人たちに夢を抱けと言われ、それはお金を稼げたり、有名になったりするもの、自分の個性が発揮できるものだとなおさらよいと言われ、スポーツ選手だとか、ミュージシャンとか、漫画家とか、なんとなくメディアでちやほやされるカッコいい、一握りだけが成功している職業を選んでしまいがちな子どもたち。中学校ぐらいまでは、世界に一つだけのオンリーワンめざせとばかりに好き勝手に夢を抱けたのに、高校、大学卒で就職する段になって、はじめて現実に直面してしまいます。職業選びが承認欲求の満足ではなく、もはや生きる糧となったとき、若者たちははじめて絶望するのです。身近なつまらない大人たちの働きぶりをせせら笑っていたのに、自分もそうなると予想されてしまうから。
大きな夢を描けといいつつ、それを実現するのに環境が許さない。となれば、大人たちを、世の中を恨んでもいい、となる。心理学者のアドラー言うところの「教育の目的が自立にある」というのならば、これが学校教育の失敗でなくて何なのか。そして、これは別段、いまのティーンエイジだけのみならず、自由放題に生きてきたバブル世代や、またその下の就職氷河期世代にもあてはまるのです。
教育は社会体制維持のための未来への投資です。
投資というからには、将来的にリターンが必要。学識者たちは生涯の賃金格差があるから、希望者すべてが学士卒になるのが好ましいと言うけれど、大卒でも就職できず、はたまた就職しても無職(たとえ誰もが認める大企業であっても)になってしまうのが不思議ではない時代。もし、国家による教育支援の充実が大事と声高に叫びたいのであれば、無償で教育支援を受けられる人間は他人によってコストをかけられているのだから、それに見合った学力を身につけねばならないのに、そうなっていない。戦後の義務教育が半世紀以上も続けられたのに、高学歴になったのが逆に労働者を減らしている、などと言われる始末。そりゃそうでしょ、会社員として働いたことない人がセンセイになってますから。学校のセンセイたちが教えるのは、努力しなくても平等にパイが分散されるという、共産主義的な生き方です。
進学機会を増やせという左翼的な活動家の主張に、なんとなく、俺様が可哀想だからお前は金を出すのは当たり前だ、というオレオレ詐欺的な気配を感じてしまうのです。学校関係者も食い扶持がなくなるのが怖いから、必死になって教育の重要性を訴えるけれども、教育信仰の弊害って大きいのではないかと思われるのです。ある職業につくために、この学校でないとだめとか、あらかじめレールが敷かれていて、そこに乗れば安心と過信しつづけている。これって、博士卒だけど研究者になれないと嘆いている人も同じですけど。
先生に職業の貴賤意識があるのがいけないのだろうけれど、もっと、世の中の仕事人の本音を伺うような機会があればいいのでは。アニメーターの過酷さを知ってもそれでもその仕事をしたい、と思っているような子だったら、世の中が悪いとデモしたり演説ぶったりする時間があれば、早くプロとして通用するように描画の練習しているはずであって、ひょっとすると、この女子高生はそもそも本気ではない夢を諦めるためにわざと貧困を持ち出したのかと思えば、この子自身を叩いても、何の意味もないんですよね。若気の至りでひょいと思いついた進路を軌道修正する手前だったのかもしれないのに、社会復帰できないくらい追い詰めてしまった。
別にプロにならなくてもいい。働きながらでも、趣味で好きなだけお絵描きしているのも楽しいよ、ネット上でゆるく交流しながら消費していくほうが気楽だよ、って誰かが言ってあげればいいのに。だって、自分の夢を追求するためにはまず誰かからの援助が必要だ、なるべくローコストで成果を得たい、という思考の時点で、この子はクリエイターには向いていないからです。クリエイティヴなことをしたい人は、どうやったら自分の目論見が実現するか、そのための血肉を削るような努力は惜しまないし、採算がとれるなかで質のいいものをつくろうと考えるからです。その姿勢はときに常人には度し難いほどエゴイスティック。だから若い人材をできるだけ低予算でこきつかってすり潰す。アニメの関係者のツイッターを見てたら、判るでしょう、そんなの。そんなタフな生き方を、将来のまだある若者の誰も彼もに推奨してはいけないのです。
この女子高生は離婚した母と二人暮らし。家計が苦しいので、アニメーター養成学校に進学したいが諦めねばならないのが心苦しい。その気持ちを訴えるべく、子どもの貧困フォーラムかなにかで演説をふるった、という内容。その後、本人が趣味に散財しているのがツイッター等で露見して、各所から非難轟々を浴びます。他方、擁護派の有識者からは、貧困者叩きをするほどセーフティネットが機能しなくなるのを懸念する声もあがっています。
この問題、女子高生の金銭感覚について批判点を洗い出せばいくらでも出てくるのですが、とりあえずそこはおいといて。
まず、私が首をひねりたくなったのは、この子が「自分は輝かしい夢を抱いているので、あしながおじさんのような誰かが応援してくれるのはあたりまえ」と無邪気に考えていることですね。泣きわめいたらなんでも買ってもらえると思いこんでいる幼児が図体でかくなった、みたいな。で、残酷なことを申し上げますと、こういう若い子たちがお金に困っていて、とるであろう方法っていろいろありますよね。悪い方面だと、JKビジネス。そしていい方面だと、給付型の奨学金かパトロン。一番積極的なのは、自分でバイトすること。今回の場合、二番めなのですが、この彼女はそもそも戦略が間違っています。
人手不足の医療福祉や保育業界に身を投じて、社会に役に立つ人間になりたい。そのために進学したい。こんな夢だったらば、彼女は非難されなかったはずです。別の言い方をしてみましょう。もし、彼女が両親揃っていて裕福だったとします。それでも絵描きだの、アニメーターになりたいと告げる。おそらく、周囲の大人で誰かひとりは絶対に反対するはずです。それで、ほんとうにあなた食っていけるの? 将来、歳とったらどうするの? って眉をひそめながら。そうなると、この女子高生の問題の本質は、貧困どうの、ではなく、本人のキャリア設計の曖昧さということになります。
今回の騒動が提出している隠れたテーマは、日本の学校や教師たちを含めた世の中の大人すべてがいかに子どもの職業観形成に失敗しているか、ということです。大人たちに夢を抱けと言われ、それはお金を稼げたり、有名になったりするもの、自分の個性が発揮できるものだとなおさらよいと言われ、スポーツ選手だとか、ミュージシャンとか、漫画家とか、なんとなくメディアでちやほやされるカッコいい、一握りだけが成功している職業を選んでしまいがちな子どもたち。中学校ぐらいまでは、世界に一つだけのオンリーワンめざせとばかりに好き勝手に夢を抱けたのに、高校、大学卒で就職する段になって、はじめて現実に直面してしまいます。職業選びが承認欲求の満足ではなく、もはや生きる糧となったとき、若者たちははじめて絶望するのです。身近なつまらない大人たちの働きぶりをせせら笑っていたのに、自分もそうなると予想されてしまうから。
大きな夢を描けといいつつ、それを実現するのに環境が許さない。となれば、大人たちを、世の中を恨んでもいい、となる。心理学者のアドラー言うところの「教育の目的が自立にある」というのならば、これが学校教育の失敗でなくて何なのか。そして、これは別段、いまのティーンエイジだけのみならず、自由放題に生きてきたバブル世代や、またその下の就職氷河期世代にもあてはまるのです。
教育は社会体制維持のための未来への投資です。
投資というからには、将来的にリターンが必要。学識者たちは生涯の賃金格差があるから、希望者すべてが学士卒になるのが好ましいと言うけれど、大卒でも就職できず、はたまた就職しても無職(たとえ誰もが認める大企業であっても)になってしまうのが不思議ではない時代。もし、国家による教育支援の充実が大事と声高に叫びたいのであれば、無償で教育支援を受けられる人間は他人によってコストをかけられているのだから、それに見合った学力を身につけねばならないのに、そうなっていない。戦後の義務教育が半世紀以上も続けられたのに、高学歴になったのが逆に労働者を減らしている、などと言われる始末。そりゃそうでしょ、会社員として働いたことない人がセンセイになってますから。学校のセンセイたちが教えるのは、努力しなくても平等にパイが分散されるという、共産主義的な生き方です。
進学機会を増やせという左翼的な活動家の主張に、なんとなく、俺様が可哀想だからお前は金を出すのは当たり前だ、というオレオレ詐欺的な気配を感じてしまうのです。学校関係者も食い扶持がなくなるのが怖いから、必死になって教育の重要性を訴えるけれども、教育信仰の弊害って大きいのではないかと思われるのです。ある職業につくために、この学校でないとだめとか、あらかじめレールが敷かれていて、そこに乗れば安心と過信しつづけている。これって、博士卒だけど研究者になれないと嘆いている人も同じですけど。
先生に職業の貴賤意識があるのがいけないのだろうけれど、もっと、世の中の仕事人の本音を伺うような機会があればいいのでは。アニメーターの過酷さを知ってもそれでもその仕事をしたい、と思っているような子だったら、世の中が悪いとデモしたり演説ぶったりする時間があれば、早くプロとして通用するように描画の練習しているはずであって、ひょっとすると、この女子高生はそもそも本気ではない夢を諦めるためにわざと貧困を持ち出したのかと思えば、この子自身を叩いても、何の意味もないんですよね。若気の至りでひょいと思いついた進路を軌道修正する手前だったのかもしれないのに、社会復帰できないくらい追い詰めてしまった。
別にプロにならなくてもいい。働きながらでも、趣味で好きなだけお絵描きしているのも楽しいよ、ネット上でゆるく交流しながら消費していくほうが気楽だよ、って誰かが言ってあげればいいのに。だって、自分の夢を追求するためにはまず誰かからの援助が必要だ、なるべくローコストで成果を得たい、という思考の時点で、この子はクリエイターには向いていないからです。クリエイティヴなことをしたい人は、どうやったら自分の目論見が実現するか、そのための血肉を削るような努力は惜しまないし、採算がとれるなかで質のいいものをつくろうと考えるからです。その姿勢はときに常人には度し難いほどエゴイスティック。だから若い人材をできるだけ低予算でこきつかってすり潰す。アニメの関係者のツイッターを見てたら、判るでしょう、そんなの。そんなタフな生き方を、将来のまだある若者の誰も彼もに推奨してはいけないのです。