新聞業界が喜びそうなタイトルですが、別に新聞屋さんと親しいわけではありません。
そもそも、マスコミは偏向報道が多いので嫌いです。
10月15日から21日までは新聞週間でした。
読書週間に続いてのキャンペーンですね。この10月、11月時期は比較的会社の業務も落ち着いていることが多くて、読書にいそしまれる方も多いのではないかと思われます。
読売新聞10月14日にもその新聞週間特集がありました。
そこにこんな作文が。日本新聞協会が毎年おこなう「新聞配達に関するエッセーコンテスト」にて。社会人・大学生部門の最優秀作品は、「見ていてくれていた人」と題された、20代前半女性の文章。彼女は家計を助けるため新聞配達をしていたのでしょう。卒業間近になって、ある御宅からこんな置手紙をもらいます。「卒業おめでとう。毎日4年間、新聞を届けてくれたね。あなたの未来は開けている、大きくなれる人。絶対幸せになって。心からありがとう」。この執筆者は最後にこう結びます。「新聞配達員はお客様に気付かれてはいけない。けれど、新聞を介して確かにお客様とつながっていると、強く思う」。雨の日も、雪の日も休まず、新聞を届けたこの女性の前途を、誰しも祝福したくなるのは当然のことでしょう。
新聞は毎日目を通すものです。
ネットのニュースの方が早いには早いですが、速さを競う分だけ誤報が拡散してしまいかねないですし、一部のニュースサイトでは有料でないと閲覧できないものもありますよね。
新聞の情報の良いところは、網羅的に昨日までのできごとを眺められることです。
いわば図書館と同じですね。私たちは、ネットではついつい自分の興味にある分野しか検索しません。そうなると、自分の頭の中にある情報は、つねに独りよがりなものになってしまいがちです。世界の動きを知らないのに、仕事はできません。
さらに、電源を入れて起動を待たなくてもいいところ。
ネットの接続が不安定になると苛立ちますが、新聞はそんなことはありません。テレビでは「台風の日に電波が乱れることがありましたが、紙だから、天候なんてなんのその。
また新聞記者は、(朝日新聞社の慰安婦報道のような捏造もありましたが)、ある程度の学識と公平性にもとづいて記事を書いています。一つの記事を書くのにも、念入りな取材をし、数冊の関連書籍を読んで勉強しているはずです。報道そのままだけでなく、解説やまとめなどが充実していて、素人目にも読みやすくなっています。読売新聞社の世論調査によれば、新聞報道を信頼できるとしたのは76パーセント。高齢者が高いですが、18歳から29歳の若年層でも69パーセント。新聞が必要と答えた人は88パーセントに上っています。新聞をよく読む子ほど、同世代や同性以外の考え方に広く接するし、他者理解できることが多いので、学力も高く、思考力も養われているという調査結果もあります。
最近、何かと話題のフェイクニュース。
拡散されるのはネット上。自分の欲望を掻き立てる、都合の良い内容であれば、人間は真偽を問わず信じてしまいやすい。新聞の記事は、うっかりクリックして別のサイトへ飛ばされるなんてこともありませんね。
新聞には書籍と同じで情報取得という効用の他に、使い道がありますよね。
私の家族は、ごみ袋のなかへ新聞紙で覆いを自作して、中身が見えないようにしています。こう書くと、不審なものを捨てているみたいですが、きちんと分別しています。生ごみが見えたら醜いですし、個人情報を裂いた書類もありますので、重宝しています。ほかにもガラス窓を乾拭きするとか、モノの置き場の下敷きにするとか、いろいろ使い道はありますよね。
私は時間があれば、新聞記事のスクラップをつくっています。
以前はきっちりノートに貼っていたのですが、いまは切り抜きをカテゴリーごとにクリップで止めています。法律や税制、社会保障などの話題は、ただの素案であるのか、それとも法改正としての決定事項なのか、経過によってかなり違うので、一定時間が過ぎたら捨てます。保存したいものは、プリンタでスキャンしてPDFにしておきます。
本と違って新聞のいいところは、読者の投稿欄があって自分の意見が主張できるところでしょう。ただし、所在地、氏名、年齢が後々残ったり、ネット上で引用されたりもしますので、下手な投稿はやめたほうが身のためです。とくに就職活動を控えた方は、SNS同様、志望先企業の人事部にかならず調査されます。
しかし、何といっても、新聞の一番の美点は、生身の人間が運んでくれることです。
最近はネット上で何でも買えますから、対面販売が減っていますよね。人から直接モノを買うのは古くさいという考えもありますよね。
でも、よく考えて下さいね。
あなたがある日、自宅で誰にも気づかれずに倒れてしまったとき、身寄りがいないとき、あなたの異変を察知してくれる可能性のある人は誰でしょうか? すくなくとも、新聞配達人は気づいてくれます。 最近の郵便配達員は時間に追われていることが多いので、あまり構わないでしょうけれど、新聞配達は集金もありますので、契約者に異常があれば過敏になるはずです。旅行など長期外出でもないのに、ドア口に新聞が溜まって溢れかえっていると、たいがい、事件性を疑いますよね。
現代は、孤立死が増えています。
たとえ結婚していても、子どもがいても、親族やご近所がいても、当てになるわけではありません。ひとりで誰にもみとられずにある日、忽然とこの世を去ってしまってもおかしくはありません。
私は学生時代や給料が少なかった社会人なりたての頃、新聞を購入できませんでした。
学生寮には共同の居間に新聞が届けられており、寮生たちは争うように読んでいました。仕送りがない人間にとって、生活費削減のためのチラシは必見です。下宿先の大家さんの好意で、一日遅れで新聞を戴いていました。もちろん、その頃もネットは見ていましたが、「誰かの手を、視線を経た」新聞紙を読むのは、自分がこの世の誰かと繋がっている、問題意識を共有しているような気がしたのです。ネットのニュースやSNSでは、私はこの感覚を得ることができません。
我が家にも毎朝、食卓に新聞を置いています。
一番に読むのは早起きした私の特権です。新聞で気になった記事は、赤線をひくか、頁を切り取っておき、あとでその話題について家族と話し合うこともあります。昔は家長である父親が新聞や啓発的な雑誌を読んで、その情報を家族に伝えていたものでした。それで家族内の調和や意思疎通が保たれていたのです。会社でも日経新聞や業界新聞をとっていて、社員で回し読みしているところもありますよね。私も昔の正社員の勤め先では、社長から日経MJを戴いていました。
家族のそれぞれがスマホを持っていて、その画面をのぞき込んでいる。自分の配偶者や我が子ですら、いったいどんな関心があって、どんな考えをもっているのか、まったくわからないこの時代。コミュケーション不全が増えているのは、ご家庭から新聞が消えてしまったから、新聞をもとにして家族が話し合うことがなくなったからではないか、と思われます。
新聞の良さをもう一度見直しませんか?
毎日絶対に目を通す、世界中のことが、国内の動きが手の滑りでわかる新聞は、ネットニュースが隆盛になっても当面なくならないでしょう。繰り返して言いますが、私は新聞業者の回し者ではありませんので、あしからず。
読書の秋だからといって、本が好きだと思うなよ(目次)
本が売れないという叫びがある。しかし、本は買いたくないという抵抗勢力もある。
読者と著者とは、いつも平行線です。悲しいですね。