築山みりんは、その去っていく背中を射抜くように見つめている。
「そう、あれがうわさの佐藤聖…」
その低いつぶやき声にはっとして、景は顔を見上げた。
どう考えても、出会いを喜ばしく思っている顔つきではなかったからだ。そして、景にとって、佐藤聖という人物に初対面で魅せられなかった人物は彼女がはじめてだった。それほど、リリアン女子大でも聖は人気者だったのだ。なにせ、高等部からの進学者も多いのだから。本人はなぜか飄々としているのだが。
「築山さんはご存じなんですね、彼女のこと」
「ええ、もちろんよ。だって、延滞者リストになんども載っているものね。向こうは口うるさい図書館職員のことなんて覚えていないんでしょうけど。ほんと、うちにとっちゃ、いちばん来て欲しくない利用者よね。借りたものを期日までに返さない人って、ほんと傍迷惑。死に値すべき人物だわ」
いやいや、それは。まったくひどい言われよう。
ぜひとも、それをあの本人の前で言ってやってほしいものだ。さすれば、すこしは反省するだろうに。おなじライブラリアンとして、景も同様の使命感にとらわれるべきだった。でも、築山女史の含む毒はそれだけではないような気がしたのだった。
「それだけじゃないですよね…。佐藤さん、ひょっとして琹さんに関係してるんですか?」
「加東さん、琹さんの過去は知りたくないんじゃなかったの?」
「そうですよね。おかしいですね、私」
おかしい。
琹さんのことを暴き立てる露骨なやりかたには反発したのに、どうしていまさら気にかかるの。それは、きっと、琹ではなく、あの佐藤聖の過去が知りたいからなのだ。
幼稚舎からのエスカレーター組で生粋のリリアンっ子。学園内で人気を誇りながら、佐藤聖はなぜかリリアンの血統を引く女学生とは群れたがらない。いつもつるむのは地方出身の自分ぐらいなのだ。生徒会役員だったというぐらいなのだから、シンパの取り巻きを引き連れていても不思議ではないのに、必要以上に同級生たちとは親しくはならない。だからこそ景は、聖が誰かにノートを借りて単位をせしめるような真似をするはずがないと信じていたのだ。
「さっきはね、あんなことを言ったけど。実は私も姪の三奈子から詳しく聞いたわけではないの。なにせ姪が本人に訊ねて裏をとったわけでもないのだから。でも、あの佐藤聖さんとやらが琹さんの転校に関与しているらしいのはたしかね。栞さんの退学の件は、リリアンではタブー視されているうえ、彼女、山百合会の幹部メンバーだったみたいだし。修道院入りした理由が、あの子にあったとは思えないけど。ねぇ、今のあの子、どうみても神様とか信じるタイプじゃないでしょ?」
「……まあ、そうですよね」
友人のこととは言いながら、断言できるところが悲しい。しかし、佐藤聖はマリア様に向かって十字切って反省するようなタイプでないことは保証済みだ。シスター志望の女の子とどういった繋がりがあるのだろうか。
「そういえば、姪の三奈子はね、こんなことを言っていたわ。ある少女小説家が佐藤聖と久保琹に起こったことを取材して書いたかのような小説を発表したとか。たしか、タイトルが茨のナントカだったような…ごめんなさいね、忘れてしまったの。たしかうちの図書館にはなかったはずよ。それでちょっとしたひと悶着があったとか、ね」
そのタイトル、どこかで耳にしたような気がした。
いったいどこだったのだろう。脳みその隅々まで裏返して、その情報を得たいと思うのに手がかりがつかめない。覚えがよろしくないということは、それを知った時にうかつに薄らぼんやりとしていたのだろう。春の眠さに襲われたせいなのだろうか。ときおり無性に眠くなってくることがある。きょうのように快活にからだを動かしたことなんて、久しくなかったに違いない。
「でもね、姪いわく、それはあくまでもフィクションであって二人の事実関係を下敷きにしたものではないの。そもそもノンフィクションと呼ばれる読み物であっても、意図的に真実が伏せられたり、塗りかえられたりするものなのよね。どこまで琹さんの本当に迫っているのかは分からないわ。その作家のデビュー作らしいけど、いまは絶版扱いになっているとか」
だとしたら、入手するのは難しいのだろう。
読みたい気持ちもあるが、読みたくない気持ちもある。二人の少女のなかにあったあれやこれやのことが、小説のようなたくみなプロットによってまとめられ、気持ちの収まりがつくように、あるいは掻き立てるように、あれやこれやの演出を施してしまう装置のなかに作り替えられていても、それはもはや別の真実として生きていくものではないかと思われるのだ。
【マリア様がみてる二次創作小説「いたずらな聖職」シリーズ(目次)】