大学四回生のときの博物館実習に選んだのは、出身県の県立近代美術館。
私の卒業研究の作品が収蔵されていたし、母校の先輩が日本近代美術担当の学芸員として勤めていたからです。学芸員が講師となって授業が行われるわけですが、そこでは、知られざるミュージアムの裏話なども明かされることもあります。ある職員いわく、地元出身の現代画家の個展準備中に、本人が大画面の自作を気分次第で何度も塗り替えたとのこと。カタログ用の写真撮影が終わったすぐあとに、全く別物にされたことがあって開いた口が塞がらなかったと、それはまあ苦笑混じりに。学芸員と個人的に親しくなると(公務員が民間人と接触はよくないが、先輩後輩の中でポロリはよくある)、海外の大物美術家が、奥さん残してこの夏はハワイで愛人とバカンスなんだよ、なんて艶聞も知らせてくれたりもします。もちろん、こちらがその作品を崇拝していて恥辱をばらまく危険性がないからこそ洩らしてくれているでしょうが。気まぐれな芸術家に寄り添う美術館側の苦労が偲ばれます。正直、物故者か、客を呼びやすい漫画かアニメ関係の展示のほうがいまの若い職員さんからしたら、やる気でるでしょうね。
いくら作品を神聖視しようが、作った本人は畜生以下の不道徳、情欲の権化だったりするものです。殺人者のバロックの巨匠カラヴァッジオしかり。それを芸術家だから許されるというのなら、誰でも自堕落に生きたい人ばかりが、クリエイター名乗りをすることでしょう。ま、現実、そうなんですけどね。
兵庫県西脇市の市立岡之山美術館が、当市出身の画家・横尾忠則氏の特別展延期を発表。
理由は、美術館側の不手際で、画家が創作しなかったから。メイン作品の制作日当日に、素材調達係だった美術館職員らが30分の遅刻。これに立腹し、制作意欲を削がれたと主張する横尾氏が製作を放棄したというもの。
私は正直言いまして、横尾氏の作品が好きではありません。
学生時代に初めて知ったけど、当時からして古くさいし、色遣いにまとまりがなくて惹かれるものがない。だからといって、今回の件を、ただの芸術家の知名度に胡坐をかいた我がままと片付けてよいものか。たしかにお年寄りは気が短くてうるさいけれど。
今回の特別展は、美術館側がたっての願いでこぎつけたもの。
横尾氏は、アメリカでの大規模な個展も控えていたわけですから、一秒でも惜しいはず。前日までに現場に搬入できなかったのか、職員の謝罪に問題はなかったのか。もともと印刷会社や新聞社に勤務経験ある商業デザイナーですから、締切は厳しいはず。スポーツ選手のイメージトレーニングと同じで精神集中のため数時間前からスタンバイしていたのだとしたら、時間のロスは半時間どころじゃないでしょう。しかも、八十歳超えの後期高齢者とあっては。
その一方で、なぜ、横尾氏は遅刻を笑って許せる余裕がなかったのかと言える。
もともと頼まれ仕事で創作意欲が湧かなかったのではないか。かねてから、美術館側と軋轢があったのではないか。当該職員が若い女性で、芸術家ならではの表沙汰にできない事情があったのではないか。疑念は尽きませんね。
アバンギャルドの風を浴びた、現代の数少ない生き残りにして、世界的な功績のある画家からすれば、兵庫の片田舎でやる個展などしゃらくさい。
そう思っていたのは画家本人なのか、いやそれとも、画家の作品が好きではなかったのかもしれない職員だったのか。しかし、その特別展向けに用意された播州織は地場産業でルイ・ヴィトンにも用いられるなど名高い素材。横尾氏はその播州織を行商する呉服商の家に養子に入り、彼の美意識は豊富な反物の柄を目にすることで育まれたはず。後年、自分の母校の小学校が廃校になるのを防ぐために運動をし、故郷の英雄にもなっているこの画家が、無碍にこの素材を扱う制作をあっけなく棄てることは考えられるのでしょうか。
はたして、遅刻した美術館職員の手際が悪いのか、それとも、他責的で創作意欲をなくして契約不履行を行った画家が悪いのか。
一つ言えるのは、延期を知らせるのに、美術館をも画家をも、双方の品格と信頼性を損なう理由をわざわざ報じる必要など、微塵もなかったということです。
そうではないですか。ただ、黙って諸般の事情により延期になりましたと発表すればよかっただけなのです。ファンがいくら望んでも出版されなかった本、実現にこぎつけなかった作品、放送できない映像、葬られた真相。この世のなかに、企画倒れ、夢つぶれに終わったことなんていっぱいあるじゃないですか。熱意がかみ合わずに喧嘩別れになったり、誰かが涙を飲んだり、そんなこと数えきれないぐらいあるはずです。わざわざ報道して、芸術家は短気だとか、日本の美術館はなっちゃいないとか、ネットニュースで取り上げられて笑い物にされてしまう必要がどこにあるのか。もともと破天荒な芸術家が、世論を味方につけたかったとでもいうのか。美術館にとっても、制作を焦る画家本人にとっても、大きな精神的ロスになります。公にすることで社会的利益があるような事態ならば報じられればいいですが、職員の遅刻癖とか画家の気質とか個人的な、業界特有の問題に収束してしまい、美術館の企画進行と画家とのやりとりに落ち度がなかったのかという、次に生かせる検証がないのならば、無意味と言わざるを得ないでしょう。
これは、私の勝手な憶測なのですが。
当該美術館職員は担当して日が浅いか、もともと美術畑ではないかで、横尾氏について知悉しておらず、かつ先輩職員からの何らの指導もなかったのかもしれません。大学の先生もそうですけれど、博物館の職員同士も牙城を守るタイプであまり連携しないことが多いですから。素材の遅延にしても、大阪北部地震や西日本豪雨のあとですから、不可抗力だった怖れもありますよね。
個人的には、今回のことは水に流して特別展に向けて再稼働し、当初の企画よりもさらにいいものが出来上がったよといえるような美術展になってくれたらいいですね。このエピソード、笑いごとにして、展示図録にでも書かれていたらいいだけで。まさか、話題作りのために行ったわけでもないだろうけれど、芸術家だってわざわざ自分の器量の狭さを伝説にするために意地悪したわけでもないでしょうし。芸術家は短気で勘気、しかしその狂気が傑作を生むこともあります。
依頼主からお金をもらっていたにもかかわらず、何年も模型ばかり作って、完成してもとうとう引き渡さなかった、オーギュスト・ロダンの『地獄の門』なんて例もありますし、芸術家はその実、自分の手から作品が離れていくのが怖くて、いつまでも自分の頭の中で美しい未完成として棲んでいてほしいと願う生き物なのです。作品を生み出す前は、どんな面の皮の厚そうな大家でも臆病で神経質。この次はいい作品が生まれるといいですね。
【博物館・美術館部門】
芸術評論のうち、博物館・美術館に関する情報や考察、美術展評など。