年賀状の起源は、古代にさかのぼるといわれています。
奈良時代にあった年始の挨拶回りを、平安時代の公家たちが遠方の相手向けに文書での挨拶とした。武家社会でこれが定着し、明治維新後の郵便制度が整うにしたがい、ハガキで年始挨拶をする風習が一挙に広まった、と。元旦に年賀状が集中するために1899年に1月1日の消印を押す特別取扱がはじまり、戦時中に中断するも、戦後に官製のお年玉付き年賀ハガキの発売で人気が爆発。しかし、発行枚数のピークは2003年で、現在は最盛期の半分までに落ち込んでいるのだとか。
我が家の菩提寺から11月半ばに届いた一通のハガキ。
年賀状のとりやめをお知らせするものでした。すでに昨年から個人事業上の取引先や税理士法人さん等からはぼちぼち通知がありました。
ここ最近とくに高くなった年賀状。
通常のハガキでも63円だったのが85円。私が子どもの頃は40円か50円ぐらいのはず。
コンビニなどで売られている干支などが美しくデザインされたものは、1枚当たりすでに100円を超しています。これに切手を貼るとなると…。とてもではないが、庶民には買えない。ただでさえ、食料品や生活用品が高騰していますのに。
日本郵政公社さんには申し訳ないですが、我が家も3年ほど前から市販の柄の地味なものに変え、昨年は私の体調不良もあってか出さずじまい。お歳暮を頂いた先へのお礼状も兼ねていたのですが、電話かメールでのご連絡にしています。
一時期はお世話になった方も含めて最大30枚は出していたもの。
年々、お亡くなりなったり、疎遠になったりもあって数が減っていきます。その年にお逢いはしなかったけれども、会社の代表交代や住所変更などのご連絡
をいただくには便利ではありました。
引退後に参加した五輪ボランティアや旅行先など、近況報告もあり。
家族写真や習い事、資格合格などのお知らせもあります。年賀状にはさまざまな想い出があったものですが、やはり、個人情報の保護もあって年々遠ざかる風習なのでしょう。もともと絶対に行わねばならない年中行事というのでもなし。
最近はリアル知り合いともSNSでつながって、お互いの動向を知る機会も増えています。ただ、年賀状をいただくというのは、一対一の親密さがある。そのいっぽうで、こちらが出してしまうと、律義な相手に返信を強制してしまう恐れもあります。
私のプリンタ接続用パソコンも古くなってきて、インクの発色が悪くなってきたので、年賀状印刷から解放されたのはほっとしています。ガシャガシャ大袈裟な音を立てて動くし、インクが飛んだり、上下逆でやり直しになったりもします。年賀状印刷のおかげで、パソコンからの住所印刷スキルが磨かれたのはよかったのですけども。
最初の頃はすべて手書きで書いたりもしていましたし、きれいな絵柄の切手と組み合わせるのも楽しんでいたものですが、やはりコスト高には耐えられません。時間がかかって、下手したら半日作業にもなります。
子どもの頃はゴム印をつかったり、カラフルなペンやきらきらしたインク出絵を書き足したりと友達どうしで楽しんだ方も多いでしょう。
絵を描くのが好きな人なら、本領発揮の場でもありますよね。
数年前に会計事務所勤務中に、数百枚の年賀状を印刷したのですが、上司の推敲が甘くて文面の誤りが見つかり、夜遅くまでサビ残で刷り直しになったことがあります。さらにその職場は他の従業員同士は禁止しているわりに、所長にだけはかならず年賀状を出すべし、という謎のルールもあって。要するに忠誠心をそこで試しているわけですよね。
業界内でも組織内でも、あるいは地域や親族間でも、この年賀状のやりとりがなくなってあんがいホッとしている方は多いのかもしれません。
とくにそこそこの規模の会社の総務事務や、町内会などの会計担当者などは年末の繁忙期に無駄な仕事が減って大助かりなのでしょう。総務事務経験者の私からすれば、自社の年賀状を印刷会社に丸投げしているのは楽なのですが、届いた年賀状を役員ごとに仕分けしたり、取引先ごとに毎年の頂いたリストを作成したりするのが面倒でした。住所が正しいのか、変更がないのかもチェックしなくてはならず、もし異動があれば、請求書などの発行物の登録住所を変更しなければならないからです。
そのいっぽうで困るのが印刷業界なのでしょう。
紙の請求書などの削減が進む近年の傾向では、価格の高騰や納品の遅れが目立ちます。そのうち、平安時代みたいに、紙で残した記録は高級品になっていく…なあんて恐ろしい時代になってしまうのかもしれません。活字中毒者にとってはすさまじき事態ですね。
年始の挨拶自体の風習はあけおめメールで残っているものの、新年を祝う気分にもなれない方もいるのかもしれません。
(2024.11.15)