陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

福岡伸一の書籍『フェルメール 光の王国』

2011-10-16 | 読書論・出版・本と雑誌の感想
『絵画芸術』
(1666~1667年頃、ウィーン、美術史美術館所蔵)



気鋭の分子生物学者・福岡伸一氏による『フェルメール 光の王国』を読みました。
この本は著者がフェルメール作品を求めて欧州を旅をする、いわば紀行文。そのため、美術研究の参考資料として掲げるには少々もの足りないもの。ですが、実際にフェルメールの住み暮らしたオランダはデルフトの街の空気が、作品に描かれたままに、美しい写真で感じとれるあたり、なかなか楽しい一冊です。その場に行った気分にさせてくれます。

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そもそもルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチしかりで、美術家と科学者とは同じ位置にあったと言っても過言ではありません。自然界の法則を取り出してみせること。美術家はそれを図に示してみせることができただけ。
しかし紙に筆をおくにも、そこに情緒という不確定要素が入り込まざるをえない美術家と、まったくの主観を寄せつけない合理主義の科学者とは両立するのであろうか、という疑問もなきにしもあらず。したがって、科学者としてのまなざしから感性にあまり流れずに絵画を試料のようにして切り取ると、どのように表現されるのかと気になり、本書を手にとった次第なのです。ただ、どちらかというと著者の興味は科学者のほうに傾いているため、美術史上の教養を求める方にはそこそこ不満かもしれませんよね。たとえば、宗教画や風俗画を語るのに、フェルメールお得意の象徴的な持物や当時の風習についてはあっさりとした説明になるのも、絵画を解読するには、いくぶん、もの足りなさを感じます。キリストやマリアに対して敬虔な気持ちを起こさせることなく、ただ描かれた男や女として眺めているだけの態度でよろしいのでしょうかと。微分や均衡といった理科系用語をそのまま美術の形質を語るものとしてあてはめてよいのかも、やや疑問が残ってしまうところ。聞き慣れないお固い専門用語に興奮して、自分の目で絵を見ること、語ることをおろそかにしていないか、注意する必要があるでしょう。




『地理学者』
(1669年、フランクフルト、シュテーデル美術館所蔵)

旅の始まりはやはり画家の生誕でもあり終焉の地でもあるオランダ。
1632年生まれのヨハネス・ファン・フェルメールと同年にその国で生を受けた顕微鏡の開発者レーウェンフックとの関連が、第一章でほのめかされます。この二人の関係こそが最終章での仮説につながるわけですが、ここではフェルメール作の『地理学者』のモデルがレーウェンフックであったことを示唆するにとどめています。これは福岡氏の指摘というより、通説なのかも。

またフェルメールが絵画制作に利用したとされるのはカメラ・オブスクーラだというのが一般的な見解。ですが、本書では、レーウェンフック所有する顕微鏡のレンズに感化されたのではないかという指摘があります。推論の域を出ないものでありましょうけれど。ただし、おなじくオランダ出身の版画家エッシャーの視覚効果や市松模様のタイルを、フェルメールに結びつける部分は、美術史学的な考察にかなったものであり、興味深いものでした。

第二章でのアメリカにおけるロックフェラー医療研究所時代の野口英世と、フェルメール作品との出会いは確たる論証に欠け、ややご自身を重ねたセンチメンタリズムに傾いたふしが見受けられます。

第三章のフランスでの、夭折した天才数学者ガロアも特にそう。
彼の人生に特別この画家が絡んだわけでもない。関連付けが強引すぎるきらいがあります。




『マリアとマルタの家のキリスト』
(1654~55年、エディンバラ(イギリス)、国立スコットランド美術館所蔵)

第四章の英国では、初期作『マリアとマルタの家のキリスト』を発見したコレクターの孫が登場し、いっきょにドキュメンタリーの様相が濃くなります。『ギターを弾く女』に施された特別な処理うんぬんという専門家の見地がここにきてはじめて表れ、また著者独自の実見による絵画分析も披露されます。美術エッセイらしくなってきました。




『二人の紳士と女(ワイングラスを持つ女)』
(1659~1660年頃、ブラウンシュヴァイク(ドイツ)、ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館所蔵)

「溶かされた界面、動き出した時間」という第五章ドイツ編。
ここにとくに期待をかけていたのですが、肩透かし。『二人の紳士と女』に対する大胆な推察は、やや戯画的ではないかと思われるところもあり。こういう表現はとくに素人が考えだしてもふしぎではないような。ただ、界面という用語を、東西統一をなしとげたドイツの、いまだ融合ならざる不穏な空気感をとらえてそう表したあたりは、まんじりともしない思いがこみあげますね。フェルメール作品というより、その土地の醸し出す気配によって、そう感じとれたということです。

第六章は作品の退色について。
これも従来良く知られた部分で真新しいことはなし。




1675年3月26日付書簡のスケッチ、ロンドン、王立教会所蔵


第七章では、本作の目玉ともいえる仮説が発表されます。
いわく、フェルメールがレーウェンフックの観察スケッチを担当したというもの。もちろん、正確に記録にその名があったわけではなく、またレーウェンフックの顕微鏡スケッチを手伝った人物としてはほぼ無名に近い人物の名が記されていたのみ。著者は複数の画家に依頼したうちの一人が、フェルメールではなかったかと見ています。もちろんそうであれば、ロンドン王立教会に保存されているすぐれた科学資料は、その高名な画家の名を冠することによって、ただちに世界人類共通の稀なる遺産として扱われることにもなりかねないのですが、その謎は謎として提唱されたにとどまっております。この謎については、ぜひとも検証を重ねてはっきりしていただきたいものですね。とはいえ、本業が生物学者なのでなかなか難しいのかもしれませんが。

また紀行文とはいえおもしろいのは、その美術館のキュレイターの声が収められていること、そして実際に館内で観賞する人間との対比によって、作品のサイズや展示風景がよくわかりやすいものになっていることです。美しいフェルメール画の横に、おじ様が映っている構図はちょっと…という方はごめんなさい。キュレイターが作品をよりよく理解させるための展示の工夫が語られるあたり、おなじ作家の絵でも喧嘩しあうと効果をなくすという芸術作品の存在感がなせる業ですね。

本作のふしぎなところは、図版でみればおなじ描き手の名画のそれぞれも、その土地土地の空気になじんで変化していったのではないか、と感じさせてくれること。実際にフェルメールはオランダの土地を離れたことはないはずですが、世界各地に散らばった彼の作品はスタイルが似てはいても別物に見えてくる。そう、まるで晴れた空に浮かぶ同じ虹が、山の向こうとこちらとでは違った色あいに見えてしまうように。光が見せるものがつねに現象として揺らいでいるものであり、フェルメールが時代を経ても変遷しつづける未来を予想しながら筆をとったのだとすれば、画家は顕微鏡ではなくもっと大きなレンズを覗きこんでいたのではないでしょうか。



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