春が来るたび
夏が来るたび
秋が来るたび
冬が来るたび
風景はあなたたちの思い出と重なって
こころはいつも複雑に揺れます
R、ハルくん、元気でいますか…
一年分のかなしみを見てきた紫陽花だよ pic.twitter.com/V5YtYlyNrO
春の雨のような暖かなこの雨のあとに北風が吹き
今夜は冷たい霙か雪になるという
それでも咲くのだ寒椿
花びらが茶色に霜枯れてしまうのはわかっている
わかっていても咲くのだね
おはようございます。 pic.twitter.com/iuj6nRtk7Y
生きるスタイルの個性、タイプを無理に一つの望ましいモデルを想定する定型発達=普通・フツウと言う概念は実は虚妄!国認定の押し付けの計算法を鵜呑みで覚えるタイプが多数派で定型発達。ファシズムのlogicです!シャチにだって数種類のエコタイプが有ります。認知のタイプも多様なのです!
不登校問題を考える視点として学校或いはその補完機関としてのフリースクール・塾などの教育に馴染めず拒否する子に安易に身体・精神・認知のスタイルを押し付ける教育・子育ても虐待だとの視点が欠落していたのです!私の子育ての視点はそこに有り、義務教育期間後半5年間の娘は不登校を貫きました。
発達障害バブルに批判的な立場の私の視点からは
例えばADHDは身体起因の障害と言うよりも発達の適切な機会・場所・出合いの欠落=社会的支援・教育の欠陥が齎した制度起因の問題。安易なリタリンの処方で適切な発達機会を奪われた若者を何人も知っていますが…支援する教育機関・学校は無力です!
障害・病は克服するよりも身体を経過させて行くものです!マイナスではなくて身体を経過してからの人生・世界の見え方と織り合い方に少しづつ変化の兆し・彩りが顕れて来る時に…何かが違って来ます!
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