RADIX-根源を求めて

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5月2日(木)のつぶやき

2013-05-03 03:26:12 | Twitter連携

【言葉に刷り込まれるもの】6民俗学者柳田國男の見解を私なりにまとめてみる。『塵とか埃とかは生活物に付着する物で払い出して、自然に落ち着くのを待つより他は無いもの。つまり、ハタキ掛けなどして床・地面に落ちた物を掃き清める。芥は水に沈んで微生物の作用が働き朽ちて土に還っていくもの→


【言葉に刷り込まれるもの】7→可燃なものは燃焼処理して燃料として再利用するのがごみ・ごもく。 松・竹・木の葉や小枝、藁屑その他の作物・穀物の実を採った残滓だが燃料として再利用可能。→


【言葉に刷り込まれるもの】8→しかし、都会では…廃棄物としてのごみと塵、芥の三つを混同し、おまけに瀬戸物、硝子の破片の様な、危ないものまでゴミ箱に投げ込むと都市生活者の廃棄物への身構えに苦言を呈している。塵、芥=ごみ・ごもくと廃棄物は違うのである!』


【言葉に刷り込まれるもの】9柳田國男の見解ではごみ・ごもくの説明は現代的な感覚に近く江戸時代初期のgomi=泥の説明とは違っている。それでは江戸時代後期の農学者大蔵永常の説明を引用してみる。 「ごみは関東の方言にて畿内にて云うごもくなり、ちりあくたのくさりたるを云う」


【言葉に刷り込まれるもの】10大蔵永常の記述では「ごみ・ごもく」とは燃焼する廃棄物と言うよりも腐敗させた生ゴミや下水汚泥を指している様だ。江戸時代、土に還るリサイクル可能なものが「ごみ・ごもく」と称されていた。 腐らせて泥にする手間暇が「ごみ・ごもく」の真の意味なのだろうか?


【言葉に刷り込まれるもの】ー前半のまとめ1~10迄述べて、ゴミ=廃棄物の観点が抜けない現代のゴミと言う言葉と明治時代以前の「ごもく・ごみ」=生成物の意識の差をその中間者の柳田國男の見解を借りて考えて来た。「きりごみ、五目ご飯」は食べ物で有るが…それに頓着しない意識を考えている



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