RADIX-根源を求めて

Twitter連携のブログです。知的障害・発達障害研究をメインに教育評論・社会評論のつぶやき・記事が投稿されます。

根本的な教育の見直しとは?

2012-06-23 01:38:55 | 教育評論
この記事も2006年の記事の再掲載です。


私が家で教育について話をすると、家内が『お父さんは常識からはみ出した人だから!」と半畳を入れてくる。
世間で通用している常識通りに事がうまく展開するのなら私のような人間は夏炉冬扇である。
普段はまさにその通りの生活をしている。

宮澤賢治の詩のように、『でくのぼーと呼ばれ、褒められもせず,苦にもされない』存在だ。
 2週間前から娘が3週間の職場実習にでている。ス-パーの商品整理で売り場に出ている。

2年前には家にいてそれまで5年近く不登校だった娘が黙々と仕事をしている姿をみて、work one's way と言う英熟語が浮かんできた。

その後所用があったので娘の学校に行き、担任に娘の働く様子を報告したついでに、『エディソンにしてもリンカーンにしても、働くことを通して、何かを感じてそれを、その後の人生に生かせた。そういう時代の方が、不登校・ニート問題で愚かな論議に終始している今の日本より教育環境として反って良いのかも知れない。』と話した。
 
働いて自分の人生設計を立てた上で職業選択のために上級の学校に進学する様な制度改革を視野に入れないで、常識に捉われて不登校・ニートの人達を非難する論議はおかしいと思う。
大学入試にしても、3月に高校を卒業して、大学を9月新入学にして、センター試験の成績を加味しながらも、3,4の志望校に願書を出し、1つの志願先の選抜選考時に宿舎を学生寮等を活用して、2月程かけて講義・実験・レポート提出・試験と手間隙かけて選抜選考するような制度改革が視野にないのなら不登校・ニートを『待ち組』などと切り捨てる大臣はお辞めになる方が余程日本のためになる。
今の学校制度が制度疲労を起こしていて、その結果が彼らの存在なのであってそういう意味で彼らの感性の方が健全でで好ましいと私は思う。
労働と勉学は本来対立的なものではない。
学校をでて就職する事を前提とする現行の制度を見直し、働きながら志をデザインできる制度改革が望まれる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿