私のYahoo!ブログのプロフィールに有るように、私の愛読書の1つはサン・テグジュペリの著作です。
日本では『星の王子さま』の著者として知られていると思いますが……彼は飛行機のパイロットでした。
多くの著作を残していますが、彼の詩的な言葉の数々に20歳の私は沢山インスパイアーされていました。
彼の印象的な言葉を紹介したいと思います。43年前に夢中になって読んだ日々を思い出しながら……
「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を 繰り返すのだ。」
「経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を 見あうことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだと。」
「僕ら人間について、大地が万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。」
「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創(つく)られる」
「職業の偉大さとは、おそらく、なによりもまず、人間たちを結び合わせることだ。真の贅沢はひとつだけしかない。それは人間関係という贅沢だ」
サン・テグジュペリ『人間の土地 』より
「重要なのは自分の生きるよすがとなったものがどこかに残っているということだ。
さまざまな慣習でもいい。家族の祝いごとでもいい。思い出を秘めた家でもいい。重要なのは還ることをめざして生きるということだ。」
サン・テグジュペリ『ある人質への手紙 』より
「この人生には、解決策などないんだ。あるのはただ、前進してゆく力だけだ。その力を創造しなければならない 。」
サン・テグジュペリ『夜間飛行』より
「だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ。」
「きみが夕方の四時に来るなら、ぼくは三時から嬉しくなってくる。 そこから時間が進めば進むほど、どんどん嬉しくなってくる。そうしてとうとう四時になると もう、そわそわしたり、どきどきしたり。 こうして、幸福の味を知るんだよ。」
「この子が綺麗なのは、心の中に薔薇を一輪持ってるからだ。」
「どんなおとなたちも、初めは子どもだったのだ星たちが輝いているのは
…一人ひとりが自分の星をいつの日か見つけられるようにっていうことなのかな。
それは、ほかの十万匹ものキツネと変わりのないキツネにすぎなかった。
でも、ぼくが彼を友達にしたから、いまではこの世でただ一匹のキツネなんだ
ぼくの星は小さすぎて、どこにあるのか指し示すことができない。
でも、そのほうがいいんだよ。ぼくの星は、きみにとって、たくさんの星の一つになるだろう。
すると、きみはすべての星を眺めるのが好きになるだろう…」
サン・テグジュペリ『星の王子さま 』 より
「突然の啓示がひとつの運命を変えさせたように思われることがある。だが、啓示とは、ゆっくりと準備された道が、<精神>によって突然見えたことにほかならない」
「わたしはいつも、傍観者が大嫌いだった。参加しないとしたら、わたしはいったい何者だろう?存在するためには参加することが必要だ」
「生きていることは、徐々に生まれることである 」
サン・テグジュペリ『戦う操縦士』より
「過去とは成就された全体、かつて未来としてあったものを乗り越えた全体であろう」
サン・テグジュペリ『手帖』より
「君に言っておく。人間はおのれの充実を探し求めているのであって、
幸福を探し求めているのではない」
サン・テグジュペリ「城砦」より
短い言葉の行間に20歳の私の心は吸い込まれて、やがて、あの運命の8月に至ったのです。
逮捕→長期勾留→起訴→拘置所収監→被告人→留年等などその後の人生の選択の幅を確実に狭める覚悟を決めて、広島大学のバリケード封鎖解除に抗議する篭城のメンバーに志願した時に支えとなった言葉を最後に紹介します。
『生き永らうためには服従すべきであろう。
しかし存在し続けるためには戦うべきである。』
『わたしはいつも、傍観者が大嫌いだった。
参加しないとしたら、わたしはいったい何者だろう?
存在するためには参加することが必要だ』
『物事が意味するところはそのものの中にあるのではなくて、そのことに対して私たちが取り得る態度にある。』
多感で生意気盛りな20歳の頃の思い出でした。
これが、ぼくにとっては、この世の中で一ばん 美しくって、一ばんかなしい景色です。…(略)
もし、あなたがたが、いつかアフリカの砂漠を旅行なさるようなことがあったら、すぐ、ここだな、とわかるように、この景色をよく見ておいて下さい。そして、もしこのところを、お通りになるようでしたら、お願いですから、おいそぎにならないでください。そしてこの星が、ちょうど、あなたがたの頭の上にくるときを、おまちください。…(略)
星の王子さまより
日本では『星の王子さま』の著者として知られていると思いますが……彼は飛行機のパイロットでした。
多くの著作を残していますが、彼の詩的な言葉の数々に20歳の私は沢山インスパイアーされていました。
彼の印象的な言葉を紹介したいと思います。43年前に夢中になって読んだ日々を思い出しながら……
「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を 繰り返すのだ。」
「経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を 見あうことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだと。」
「僕ら人間について、大地が万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。」
「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創(つく)られる」
「職業の偉大さとは、おそらく、なによりもまず、人間たちを結び合わせることだ。真の贅沢はひとつだけしかない。それは人間関係という贅沢だ」
サン・テグジュペリ『人間の土地 』より
「重要なのは自分の生きるよすがとなったものがどこかに残っているということだ。
さまざまな慣習でもいい。家族の祝いごとでもいい。思い出を秘めた家でもいい。重要なのは還ることをめざして生きるということだ。」
サン・テグジュペリ『ある人質への手紙 』より
「この人生には、解決策などないんだ。あるのはただ、前進してゆく力だけだ。その力を創造しなければならない 。」
サン・テグジュペリ『夜間飛行』より
「だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ。」
「きみが夕方の四時に来るなら、ぼくは三時から嬉しくなってくる。 そこから時間が進めば進むほど、どんどん嬉しくなってくる。そうしてとうとう四時になると もう、そわそわしたり、どきどきしたり。 こうして、幸福の味を知るんだよ。」
「この子が綺麗なのは、心の中に薔薇を一輪持ってるからだ。」
「どんなおとなたちも、初めは子どもだったのだ星たちが輝いているのは
…一人ひとりが自分の星をいつの日か見つけられるようにっていうことなのかな。
それは、ほかの十万匹ものキツネと変わりのないキツネにすぎなかった。
でも、ぼくが彼を友達にしたから、いまではこの世でただ一匹のキツネなんだ
ぼくの星は小さすぎて、どこにあるのか指し示すことができない。
でも、そのほうがいいんだよ。ぼくの星は、きみにとって、たくさんの星の一つになるだろう。
すると、きみはすべての星を眺めるのが好きになるだろう…」
サン・テグジュペリ『星の王子さま 』 より
「突然の啓示がひとつの運命を変えさせたように思われることがある。だが、啓示とは、ゆっくりと準備された道が、<精神>によって突然見えたことにほかならない」
「わたしはいつも、傍観者が大嫌いだった。参加しないとしたら、わたしはいったい何者だろう?存在するためには参加することが必要だ」
「生きていることは、徐々に生まれることである 」
サン・テグジュペリ『戦う操縦士』より
「過去とは成就された全体、かつて未来としてあったものを乗り越えた全体であろう」
サン・テグジュペリ『手帖』より
「君に言っておく。人間はおのれの充実を探し求めているのであって、
幸福を探し求めているのではない」
サン・テグジュペリ「城砦」より
短い言葉の行間に20歳の私の心は吸い込まれて、やがて、あの運命の8月に至ったのです。
逮捕→長期勾留→起訴→拘置所収監→被告人→留年等などその後の人生の選択の幅を確実に狭める覚悟を決めて、広島大学のバリケード封鎖解除に抗議する篭城のメンバーに志願した時に支えとなった言葉を最後に紹介します。
『生き永らうためには服従すべきであろう。
しかし存在し続けるためには戦うべきである。』
『わたしはいつも、傍観者が大嫌いだった。
参加しないとしたら、わたしはいったい何者だろう?
存在するためには参加することが必要だ』
『物事が意味するところはそのものの中にあるのではなくて、そのことに対して私たちが取り得る態度にある。』
多感で生意気盛りな20歳の頃の思い出でした。
これが、ぼくにとっては、この世の中で一ばん 美しくって、一ばんかなしい景色です。…(略)
もし、あなたがたが、いつかアフリカの砂漠を旅行なさるようなことがあったら、すぐ、ここだな、とわかるように、この景色をよく見ておいて下さい。そして、もしこのところを、お通りになるようでしたら、お願いですから、おいそぎにならないでください。そしてこの星が、ちょうど、あなたがたの頭の上にくるときを、おまちください。…(略)
星の王子さまより
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