RADIX-根源を求めて

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大切なものは眼には見えない

2012-06-28 03:27:31 | 支援教育
或る視覚障害当事者の話です。
幼い頃に視覚を失った彼女は健常な視覚に戻ることを願っていました。
成人して彼女は遂に手術で念願の視覚能力回復を果たしました。

しかし、リハビリの間に彼女は感覚の違和感に戸惑いました。
自分の好きなお人形に初対面した時には感激しましたが…
その後そのお人形を見ても以前の感情が湧かないのです。
そこで、眼を閉じて人形を抱きしめました。
豊かな感受性が戻って来たのです。
眼を再び開けてもう一度お人形を見た時には更にそのお人形にかけがえのない愛しさを感じたそうです







障害当事者の感受性を理解する時に常に心掛けていることが有ります。
全て目に映るものを当たり前と無感動で受け取っている私たち健常者の感覚では
なかなか理解することが難しい彼らの感受性の尊重についてです。
このエピソードの根底に在るものについての意識です。
ものを認知することの感受性に於いては、私達健常者は視覚障害当事者の足下にも及ばないのです。
ただ単に視覚能力のアドバンテージから目に映るものを反射的にこうだと思い込んで居るだけなのです。
確かに私達の認知の殆どは視覚情報に基づいています。
私たち健常者の認知の仕方だけが認知ではないのだと思います。




サン・テグジュペリの『星の王子さま』の中での言葉です。


『心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ』
『砂漠が美しく見えるのは、その何処かに井戸を隠しているから』

『そのバラのために、ひまつぶしをしたから大切に思える 』





健常で有ることはもしかしたら……この感受性の放棄の代償なのかも知れないとの想い・意識を感じながら知的障害当事者とこれからも歩み続けたいと改めて感じています。


転載元記事     http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/51736716.html

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