この記事は2011年9月25日に投稿した記事です。子育ての問題を真っ先に役所・心理カウンセラーなどに相談する傾向は人間関係の形成の努力を放棄した負のスパイラルへと誘導する丸投げ・アウトソーシングだとの思いを集めました。
2011年9月の私のコメント集です。
長くは書きませんが…児童相談所は地域住民の温かいお節介の絆が連なりその中で虐待保護者が立ち直る気持ちになって初めて子育てについて信頼出来る旧知の相談者が居る窓口で相談したり考えを深める為に機能する施設です。匿名通報ダイアルは地域住民の温かい支援と言うお節介を排除して、虐待保護者をますます犯罪行為の負のスパイラルへと誘導する丸投げ・アウトソーシングだと思います。再現ドラマの虐待保護者の言葉です。「私の子育てを周りは責めている様な目で見ていると感じられる。私の子育ては評価されて監視されている様に思える。」やはり通報する前にお節介の絆だと確信しました。
私が今取り組んでいるのは主に匿名通報ダイアルの問題なのです。匿名通報ダイアルしても通報者のプライバシーから氏名はもとより通報内容も伝えてくれません。それがどのようにその後の子育てと子供たちの心にマイナスの影響を与えるのか…再現ドラマでは石野真子はその辺りの心理的な孤立感を知って居て監視ではなくて心を若い母親の心に寄り添わせていましたよね~。隣の大学生が通報した様ですよね~?
自らの虐待経験と言う負の体験が若い母親の心に寄り添う際に大きな支えになりましたよね~
心理の専門家には彼女の様な支えの仕方は無理だと感じました。
再現ドラマの台詞そのままではありませんが…次の様な要旨の台詞が印象に残りました。「私の子育てを周りは責めている様な目で見ていると感じる。子育てが下手くそ。子育ての環境が悪い。まるで私の子育ては周囲からあれこれ評価されて監視されている様に思える。」これはひがみの心なのでしょうか?彼女の孤立する心、精神的・経済的・時間的・空間的なストレス(シングルマザーで水商売で子育てをしている)で揉みくちゃにされている彼女の心を誰かに見られ陰では様々に評価されている聞こえない言葉が更に追い詰めるのです…誰かが彼女の心を救い出さないといけないのです。それは専門家の役割ではないと私は思います。今の社会はそれを専門家に委ねようとします。困った人間に声をかけた時に「役所に相談に行きなさい」と言う言葉だけでは…冷たい地域社会だと私は思います…散々一緒に考えて話ても一向に埒が開かない時に初めて彼女の傍に寄り添い信頼出来る旧知の関係者がいる相談窓口に引っ張って行く様な人間関係が虐待の負のスパイラルに陥っている若い母親には必要なのでないでしょうか?
その様な人々が心を安心して寄り添え合う社会が実現して初めて専門家の価値が本物になるのだと思います。心理カウンセラーの出番が殆どない人間社会が一番だと私は思います。万に一つの出番で良いのです。日常の人間関係の形成を放棄して子育ての悩みを心理カウンセラー・専門家のいる相談窓口・児童相談所に丸投げを推奨する社会意識こそが児童虐待の深刻さの土壌になっているのではないでしょうか?
警察署・心理カウンセラーが殆ど存在しない様な社会が賢治のイーハトーブだと思います。
転載元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52397974.html
この記事の転載元記事の本編の「やさしい花-児童虐待介入を巡る考察」のリンクです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52397907.html
2011年9月の私のコメント集です。
長くは書きませんが…児童相談所は地域住民の温かいお節介の絆が連なりその中で虐待保護者が立ち直る気持ちになって初めて子育てについて信頼出来る旧知の相談者が居る窓口で相談したり考えを深める為に機能する施設です。匿名通報ダイアルは地域住民の温かい支援と言うお節介を排除して、虐待保護者をますます犯罪行為の負のスパイラルへと誘導する丸投げ・アウトソーシングだと思います。再現ドラマの虐待保護者の言葉です。「私の子育てを周りは責めている様な目で見ていると感じられる。私の子育ては評価されて監視されている様に思える。」やはり通報する前にお節介の絆だと確信しました。
私が今取り組んでいるのは主に匿名通報ダイアルの問題なのです。匿名通報ダイアルしても通報者のプライバシーから氏名はもとより通報内容も伝えてくれません。それがどのようにその後の子育てと子供たちの心にマイナスの影響を与えるのか…再現ドラマでは石野真子はその辺りの心理的な孤立感を知って居て監視ではなくて心を若い母親の心に寄り添わせていましたよね~。隣の大学生が通報した様ですよね~?
自らの虐待経験と言う負の体験が若い母親の心に寄り添う際に大きな支えになりましたよね~
心理の専門家には彼女の様な支えの仕方は無理だと感じました。
再現ドラマの台詞そのままではありませんが…次の様な要旨の台詞が印象に残りました。「私の子育てを周りは責めている様な目で見ていると感じる。子育てが下手くそ。子育ての環境が悪い。まるで私の子育ては周囲からあれこれ評価されて監視されている様に思える。」これはひがみの心なのでしょうか?彼女の孤立する心、精神的・経済的・時間的・空間的なストレス(シングルマザーで水商売で子育てをしている)で揉みくちゃにされている彼女の心を誰かに見られ陰では様々に評価されている聞こえない言葉が更に追い詰めるのです…誰かが彼女の心を救い出さないといけないのです。それは専門家の役割ではないと私は思います。今の社会はそれを専門家に委ねようとします。困った人間に声をかけた時に「役所に相談に行きなさい」と言う言葉だけでは…冷たい地域社会だと私は思います…散々一緒に考えて話ても一向に埒が開かない時に初めて彼女の傍に寄り添い信頼出来る旧知の関係者がいる相談窓口に引っ張って行く様な人間関係が虐待の負のスパイラルに陥っている若い母親には必要なのでないでしょうか?
その様な人々が心を安心して寄り添え合う社会が実現して初めて専門家の価値が本物になるのだと思います。心理カウンセラーの出番が殆どない人間社会が一番だと私は思います。万に一つの出番で良いのです。日常の人間関係の形成を放棄して子育ての悩みを心理カウンセラー・専門家のいる相談窓口・児童相談所に丸投げを推奨する社会意識こそが児童虐待の深刻さの土壌になっているのではないでしょうか?
警察署・心理カウンセラーが殆ど存在しない様な社会が賢治のイーハトーブだと思います。
転載元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52397974.html
この記事の転載元記事の本編の「やさしい花-児童虐待介入を巡る考察」のリンクです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52397907.html
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