RADIX-根源を求めて

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空也の心ー番外編 

2012-06-26 13:10:53 | 支援教育
以前の私のつぶやきの言葉を幾つか集めてみました。幾つか修正・加筆していますがこれらの言葉もまた空也の心だと思います。

最近の英米流のプロジェクトってABAにせよ,TEACCHにせよ根本は支援する専門家、教師側のやり易さに基づく管理だからねェ~但し全否定はしないで狭い仕切が行動を安定化して思考能力アップするって事実は参考になるし、構造化が直輸入の導入ではなくて当事者とのやりとりの中から生み出された支援者の当事者の心に寄り添うものなら評価している。つまり、障害当事者の身体に寄り添うという視点は譲れない。



だよね、僕は(18歳まではクリスチャンの家庭で育ち、将来は牧師になるつもりだった僕だけど……)仏教の物事の考えが障害者支援の根底に有るのが理想像…と考えているよ~自閉症の考え方、捉え方、支援の仕方は英米流の価値観で行うから行き詰まるって考えているよ~むしろ英米流の社会だから問題が深刻になっているのが発達障害だって考えてもいるよ~発達障害は文化的、精神的価値観の健常者側の病が実は根底の問題なんだっても考えられるんだァ~むしろ本来の障害者は健常者なんだよ~それこそ英米流の多数決で健常者、障害者の区別が有るのではって視点は心に秘めているよ~



うーん思いが通じなかった訳ではなくて、嫌な感じは全く無いんだけど…重度障害者の捉え方、支援学校の障害者に対する期待する姿との間に感じる違和感なんだ~
働き自立する姿のみを障害者の理想像って考える事に僕は違和感を感じているからねェ~重度障害者は精一杯頑張る姿が生き仏だって考えているから…紘葉もなんとなく分かっているから…いやいや紘葉から教わったかな~
決して働き自立する可能性の有る子ども達の努力を否定しているのではなくて…ボランティアのマナー、意識の質の問題なんだ~ものを施す事は自らの傲慢に気付き、持たない側にして上げたって言う傲慢な思い上がりを断ち切る行為で、むしろ布施をさせていただいたって言う傲慢と無縁の人と人の絆の気付きを感じる至高の幸せの気持ちだからね。命の貴賤、命の格差は無いのに汚染された格差資本主義は…その観点の意識が違和感の原因なんだ~





小乗仏教の国、タイとかの国々では托鉢僧が托鉢をするねェ~生きていることの素晴らしさ、人が人と繋がりちょっとした心のやり取りで人は幸せになれる、そんな人間の繋がりの気付きの文化を根付かせたいよねェ~托鉢僧の存在が資本主義の文化では無理ならば…障害を持つ存在は不憫な存在ではなくて仏だって意識を染み込ませて行きたいねェ~
托鉢する行為、もの乞いが怠け者、負け組と認識するグローバルスタンダードに汚染された格差資本主義の向こうの青空の虹の空間を造りたいねェ~






紘葉を含めて若い人間は和を集団を新たに造り上げる事だとの視点が皆無でもともとある集団への帰属と関係ある言葉だって思っている。現在の大人たちもそう思い込んでいる。だけど、「和える、和む、足し算の和、調和、平和、和解等々と和の本来の意味合いを考えてご覧。異質なものと自分を含めた新たな集団の安らぎを造る仕事が和だって思えるよね…異質なものが自らの資質を生かして相手の新たな資質を引き出す事が和だから…造り出して初めて和が生まれる…まして和は守るものではないし、またもともと存在するものでもないんだ。だって新学期初めてのクラスの初日に和がある訳ないよね。和を乱すって意識はおかしいんだよね…お互いを尊重して知り尽くして和が初めて生まれるんだからね」
そんな事を話したよ~絆とか和の創出を意識した集団指導のスローガンは、実は差別意識の裏返しだと僕は感じている。お互いを尊重して知り尽くすのにスローガンは要らないよね。相手を理解するただそれだけのことだからね。







最近は紘葉に人生とか物事の考え方を質問されて夜中に長いメールが出来ないんだァ~一昨日も「明るい人間」の定義を質問されたから…「自分がどんなに悲しい状況にあっても素直に他人の幸せを一緒になって喜ぶ人間、他人の幸せを願い自分の悲しさをそれで乗り越えて行ける人間が明るい人だよ~」と答えた。いろいろ質問されるんだけど…「他人と繋がる為に空気を読むなんておかしい…和と言う言葉は違う物を足し合わせるて集合を形成する事だから…だから足し算の答えが和。1つの集まりからあるものを分離する答えが差。だから空気を読んで同じである事を意識し過ぎる協調性の強調は和ではなくて差別だよ~」って言うと紘葉は分かったと言っていたよ。

色鮮やかな色を散りばめて行くと、澱んだ行き場のない停滞した色調に至る。成功に成功を重ね継ぐ事が至福をもたらすと言う成功譚幻想、裕かさの礎の下の裕さの見果てぬ追求はじつは破滅への道。
失敗、苦さの経験・味わいを本当に知ることこそが無常で無上の至福の時に出会える道だと思う。





 転載元記事    http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/52697571.html

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