半ば火曜連載になりつつあるこの「演出者の眼」です。
演出に専念するようになって、まもなく10年です。2009年の「チェロとケチャップ(作:金明和)」が専念第1作でした。
それまでは、制作としての仕事と両立を目指していましたが、どこかの劇場に勤めるとそこのために・・・となりますし、どこかの劇団を請け負っても、自分の劇団ではないので中途半端になるなあ、ということで結局演出のみしています。
ただ、レッスンプロというか、教える仕事としての演出の機会が多く、今年も細かく数えれば手の指でかぞえるぐらいはあって、ありがたいことです。
たくさん現場があると、やはり謙遜さが必要になって来ます。
自分の劇団でなら、一緒に長くやっている人たちなら、京都で芝居をしていた人たちなら、僕の教え子なら、サラッとわかってくれることが常識になっていない。
つい先日など、「私としてはこれで間に合うとは思えない」とはっきり言われて「プロとしてはスピードこそが‘違い‘なんです」というのがやっとで。
実際、年齢や人生経験はあちらの方が上なんでしょうがないですし、正直、僕が思う演劇って世の中の実際のところの常識とは異なることが多いですからね。
「台本のある芝居よりない芝居の方が簡単」とか「ふつうに生活していくことが演技の糧だ」とか。あるいは「『舞台で生きる』って本当に人生を生きるのとそっくり同じだ」というようなことって僕の実感としては常識なんですけれど、演出家の言われるがままに振り付けのような演技をしていたり、学芸会のようなセリフを言うことしかしてないと、そうなっちゃうかなあ、と。
主体的に考えて動く俳優さん、「演技する」ことより「そこに居る」ことを重視する俳優さんを僕は一番欲していて、僕の予想やこうなるかなあ、こうしたいなあ、っていうのの上を超えてくる人を、場面を求めているってことがどうやったらわかってもらえるんだろう、と悩む日々です。
でも、そういう人々に会い、通じない言葉に悩み、自分のやり方を変えさせられても〆切である公演日は変わらず、稽古時間も変わらず、それでも「自分はやっぱり半人前なんだ」と「そろそろ芝居歴20年って言ってもいいなあー」って思いかけていた自分を諌める日々です。
Tomo Matsuura
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