とはいえ舞台上で、そこに生きていて呼吸しているのは俳優です。演出がどれだけ確固としたルールを作り上げて、俳優側がゲームをどれほど楽しめるのか、という事との両立が必要です。
俳優があたかもジェットコースターに乗ったかのように、舞台上に出た瞬間から、起こる出来事に身を任せていると自然にセリフが出てきて、リアクションをしていくうちに幕が閉まる、というのが1番の理想的な作品です。そのジェットコースターの線路をどのように作るのかという事こそが僕の仕事と思っています。
いつ・どこで(俳優のポジション)・誰が・何を・誰に(台本に大抵書かれていますが)までは僕(または読み合わせで2人で)が作って、「どのように」(姿勢や、見つめる先)を、俳優と演出がどちらがどこまで決める、もしくは“作る”というところでしょうか。
ただ俳優さんが言ってくれた、僕も激しく同意する言葉があります。
「面白いなと思うのは、平面だった戯曲が、俳優が体を使い、声を使うことで、立体的に立ち上がっていく場に立ち会えることです。読んだだけでは分からなかったことが、ああ、こういうことなのかと納得いったり、まさかこんなことだとはと驚きを得ることができる。」
この面白さを味わうためには、やはり俳優が自分で創造する部分を残さないと、お互いの面白みがきっと半減してしまうに違いありません。
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