さて、試みに今回のサーズデーレターは、演出の松浦が稽古場をリポートします。
本来、こういうのは演出助手が書いたりするんですけど、いないので。いたのはジュリエットのときだけですね。
それはさておき、前回の稽古では久しぶりに俳優だけの稽古ができました。
公演が近付くとスタッフさんと打ち合わせしながら稽古をする必要が出てくるので。
あ、でも舞台監督は来てくださって、当日の打ち合わせなどをしました。
最初の14時から17時半までは、由子と安井のシーンです。後半のかなめとなるシーンです。
ここで、セリフを一回も間違えることなく通せた時に、本当に満足感とともに平田さんが書かれたお芝居の精緻さがわかりました。
弓澤さんがおっしゃっていましたが、これまでされたお芝居の台本では、「あぁ」とかいった間投詞は俳優が自分で作ってしまっていたけれども、平田さんはすべて書き込まれている、と。
どこで書かれていたかは覚えていないのですが、「演劇入門」だったかな。戯曲は設計図だからすべて書き込めるものは書き込まなければならない、とあった気がします。
じっさい「あぁ」と「え」では全く芝居が異なってきます。ああと言っているのは肯定していて、えというならそれは驚きを意味します。
ほかにも現場では「だって」と「いや」の違いや、語尾が「よ」か「ね」か何もないか逆接の「けど」で終わったりなどいろいろ悩むところが多く日本語は多彩だな、とおもいます。
一音にそうとう込めすぎだろう、と。
17:30から西岡さんが合流し、昼休憩30分を経て後半のHというこれもまた要のシーンです。
ここは本来会話劇であるところが、少し日常が裂けたような、幻想的な、なんだよくわからないシーンです。
ここも僕自身、どうすると一番良いのかよくわからないところなので、何度も試して「もうちょっとだけまわるのを遅くして」とか「観客を見てるんだか相手役を見てるんだかよくわからない角度のところで」とかいろいろとやってみます。
そうしてから夢から覚めたようにするのですが、ここでも俳優としては質問が。
「列車内ではなくなったんでしょうか」「まあ、そうです。ここにあるものはここにあるので無対象演技ではなくあるものをよりどころにして芝居をしていただければ大丈夫です」などと、現場にいないと理解できない言葉の応酬があります。
たぶん役者としては心理的にどのようになっていけばよいかを聞きたかったりするのかもしれませんが、私には、というより誰一人心の中を見ることなどできません。
だからこそ演劇を見たり、好きな人の一挙手一投足に注目したりするのでしょうけれど。
なので、僕自身が出来ることはできる限りフィジカルなこと、物理的な身体的な指示を出し続けるしかありません。
心理面を誰か人が拘束できてしまうなんて、洗脳や独裁や全体主義がまかり通るようになってしまいます。
なにはともあれ、そこからラストシーンまで後半を通せました。明後日も次の稽古もがんばります
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