そこ、です。
「橋の上の男」のせりふの中に「そこってどこ?」っていう漫才みたいなやり取りがありましたが、底ではなく、そこ(其処)のことです。
ここ(here)ではなく、そこ(there)。
近称(これ)ではなく遠称(あれ)でもなく、中称(それ)であるそこ。
これは、話し手と聞き手の中間にあるものをさすときに使う言葉です。
僕はよく、俳優に求める第一の仕事は「そこに、いること」であるといいます。
物語の舞台となっているそこ、です。
指示語の中身としての舞台設定にいること、に限りなく近いのですが、ほんの少し違う。
なぜなら、そこはお客さんが見ているそこ、だから。
生で、ライブで、お客さんの目の前で起こる連続した空間の「そこ」だから。
極端な話をすれば、舞台は会場で起こる出来事によって変化していくべきものだということです。
そこで起こることに、いちいち行き田人間として反応してくれることこそが、僕の求めている仕事の中身です。
想像力の力でもって、“なりきる”のとは少し違います。
お客さんの立場から見ても、ここではなくそこでなければならないのか、というと、この前の芝居はちがいました。
その「橋の上の男」というお芝居は、じつは「ここ」であったのです。
つまりBAR NAGISACLUBという会場の中でお客さんとともにパフォーマー(演じ手)がいて、ここでその物語が演じられている。
そういうお芝居だったわけです。
おそらく演劇というものには、いろんな言われ方をしてきましたが、舞台と客席の間には薄い膜があるのです。
でもこれを意図によって、いろんな形でかぎりなく薄くしたり、なくしたり。
そのさじ加減もまた、現代演劇を作る醍醐味です。
もちろん会場選定に大きく左右されます。
いまのところ限りなく薄くしたいのですが、大きな劇場でもやりたい。
どうしたものか。
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