【You Sawaki ☆ Blog】

Rock Drummer 沢木優 × 行政書士 樺島誠二
二刀流Blog
~SINCE 2004.12~

親父との別れ

2013年01月20日 | weblog
☆どもっ。ご無沙汰してます。
全く持って私事な内容ですが…
ちょうど2週間程が経ちましたが、オレの親父が今月6日に亡くなりました。
お通夜、告別式等にご参列頂いた皆さま、
有難い励ましの声をかけて下さった諸先輩の方々や友人の皆さん、
本当に有り難う御座いました。

☆ここ数年の状況からして、常にある程度の覚悟はもっていたケド、
やはり近い存在である家族の死は、とても辛いものです。
まだまだ100%吹っ切れてるワケではないんだけど、
日々の忙しさに追われつつ、少しずつ気持ちの整理をしてます。
とは言え!ライヴも近いし、やるべきコトが満載なので、
1歩前に出るためにも、久々に書いてみました。

☆基本、特別な信仰心もなく、霊感のようなものも皆無なオレですが、
今思えば、いわゆる虫の知らせ!? 的な不思議なコトがたくさんあった気がします。
2011年の春に脳出血で倒れてからは、重い後遺症もあって、
完全介護でないと生活出来ない状態になり、ちゃんと言葉も話せないので、
親父の思うコト、望むコトなどを、理解するためのコミュニケーションが
ほとんど取れなかったのが、とても辛かったし、いつも気がかりでした。
そんな状況だったコトもあり、たまに親父の夢を見るようになりました。
ところが、先月のクリスマス近くだったかな…。
あまりに連日のように夢に出てくるので、とても気になりまして。
いろいろとスケジュールが詰まってたケド、LINXのリハ前の時間を使って
お世話になってた施設に逢いに行きました。
特に変わった様子もなかったケド、何となく “これが最後かも…”
という気がして、少し怖かったですね。
伝わってないかもだけど、“また来るね!” と話しかけて急いでスタジオへ。

☆で、大晦日の夜。
そこそこイイ感じで酔っ払って、年越しそばも食べて、年が明けて…
さぁ!そろそろ寝ようか…という真夜中に、姉ちゃんから緊急連絡が。
施設で倒れて緊急搬送されたというコトで、急いで病院へ。
幸い大晦日の夜で、電車が終夜運転してたおかげもあり、
家族全員が集まるコトが出来ました。
きっと親父が、みんなに逢うために呼んでくれたのかな…。
重い肺炎を併発してて、もって数日…という話しを聞き、
ホントにこれが最後なんだなぁ…と、いよいよ覚悟しました。
家族が手を握って呼びかけると、少し目を開けてくれたので、
出来る限り目を合わせましたが、親父の目から涙が出てきて何とも言えない気持ちだった。

☆そんな流れで、初日の出を救急病院で迎えるという、激動のスタートに。
その後は、突然の連絡に備え、寝るに寝れない日々が続きましたが、
少し持ち直してくれて、小康状態だったようです。
そして、まさにLINXのライヴ当日、家で仕度をしてる時に病院から危篤の知らせが。
当然、ライヴを飛ばすワケにはいかないので、
母親と姉ちゃんに頼んで、必死に気持ちを切り替えライヴハウスへ。
メンバー&スタッフの皆さんにも、いろいろと気を遣わせてしまい申し訳なかったです。
ライヴ後に、すぐに駆けつけるつもりが、この夜も奇跡的に持ち直してくれました。
で、その翌日。
病院から再度 危篤の連絡があり、間もなく息を引き取りました。
急いで向かったものの、病院がかなり遠かったので、最後には間に合わなかったケド、
対面した時、とても穏やかな表情だったのが、心の救いでした。
たまたまかなと思いますが、病院の最寄駅付近に差し掛かった時、
雨も降ってないのに いきなし虹が出たり、
これまでに見たコトのない不思議な形の雲が延々と伸びていたり…
そんなコトもありました。

☆2010年4月に、川崎CLUB CITTA'で行われた、ANTHEMの25周年イヴェントに出演した際、
両親を招待したんだけど、“凄く良かった!挨拶(MCのコトね)も良かったよ” と、
ライヴ後に、珍しく興奮気味で電話くれたのを、今でもハッキリ覚えてますね。
結果的には、親父に観て貰う最後のライヴになったケド、
やはり呼んで良かったなぁと思います。
それと、お通夜・告別式にあたっては、
やみくもに悲しむだけの2日間にしたくなかったので、
どうやったら、きちんと親父への感謝の気持ちを伝えられるのかを、
前日に江原さんの本を読んで勉強してみました。
おかげで納得のいく形で伝え、見送るコトが出来たんじゃないかなと思います。
今後は、少しゆっくりして貰って、家族をそっと見守っててくれたらなぁと。
そして、まだまだ元気でいて貰いたい母親の心のケアは、ウチらでしっかりやらねばっ!

☆自分にとっては、モノ凄く厳しい親父で、色々と心配をかけたコトもあるし、
意見が合わずぶつかったコトもありましたが、
その厳しさのおかげで、今の自分があると思うし、とにかく感謝の気持ちしかないですね。
ハンパなく大反対だった音楽の道も、気付けば一番応援してくれてたのも親父でした。
最後に…
団子屋を開業してた頃、よく地方のパワヌ・ファンの方々が、
東京でのライヴがてら、お店に寄って下さったコトを、両親揃ってとても喜んでました。
改めて、親父に代わって深く感謝します。
コメント (5)
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