のんびり歩こうよ 亀さんみたい

70歳も半ば近くになって、後は神仏の御心のままに。
ゴールはきまっているのだから、のんびりゆったり 日々を大切に。

長男の嫁 ③

2023-09-23 17:27:54 | 人間関係

私が嫁いで直ぐに実家は二世帯住宅に立て直した。

父が50歳半ばで軽い脳梗塞を患い、船宿を続ける事が困難になった事もあるが、

母は跡取り娘で不動産等は母の名義であり、入り婿だった父は家業が継続できなくなれば

母の計画をあからさまに反対も出来ない立場のようであった。

兄は某信託銀行に勤め貸付担当という立場、バブル期とあって

顧客からの付け届けで実家の廊下は塞がるほどだったから、

実家は母と兄とで何事も決まっていった。

新居が建ち、親戚一同が集まった。

兄嫁は 都内国立で歯科医院をしている伯父の所で 歯科衛生として勤めていた頃

兄が患者として出会ったようだ。

3人姉妹の長女でしっかりしている雰囲気はあったが

親族一同を接待するその姿は すでに若女将を思わせる身動きだった。

私は実家を離れた者、指図されるがままに御勝手で食器洗いなどしていた。

 

兄嫁は腎臓が余り良く無かったようで 長女は8カ月の早産だった。

赤子は3カ月保育器に入っての治療、母体は4カ月の集中治療で

其の頃は、ドクターに札束を握らせるのがまかり通っていたので

母は、いくらとは言わなかったが、

兄の長女の事を事あるごとに「金で買った命だから」と言い、

くしゃみをしても大学病院に駆け込んで育てていたのを私は遠目に見ていた。

私は同じ年の長女を産んだが、ミルク代にも事欠き、3カ月目には離乳食を食べさせていたので

同じ干支の娘でも天と地の差の養育に 占いなど信じないと唇を噛んでいた。

 

私には妙な六感?が昔からあった。

 

兄の長女の初節句の宴で、 父が何時になく苛立ち幼い私の娘に手を挙げようとした。

私は父を突き飛ばし、私の平手で娘の頬を叩いた。

鼻血が一筋流れ、それまで騒がしくしていた娘が声を呑んだ。

娘を背負い、オムツや着替えの入った袋を持って私は実家を後にした。

誰かが、私を呼び止めているようだったが、振り向きもせず駅に向かい

2時間近くの道程を泣きながら 夜道を歩いた。

 

夫は未だ帰宅していなかったので、冷たい娘の足を擦り、

1つ布団に娘を抱えて、その日の出来事を振り返っていた。

 

翌日、母から電話があり 引き出物や赤飯を父に持たせて行かせたから・・・

駅から電話をすると思うから迎えて欲しいとの事だった。

私が 父の余りの形相に 我が娘を平手打ちをし泣きながら飛び出した後

皆が父に「赤子の鳴き声に苛立つなんて大人げない」と攻め立てたようだった。

 

父が着く時間を見計らって昼食を用意していると、電話が来たので

工場で仕事中の夫に、車で父の迎えを頼んだ。

 

私と父は特別話もせず、事情を知らぬ夫が昼食を済ませると

駅まで父を送って行った。

 

父が我が家に来たのは

私が嫁いでから最初で最後のことだった。

それから間もなく(一月もせず)父の身体に異変があり

大学病院で手術・入院となった。

ドクターは気を持たせる説明をくりかえすが、既に末期癌で

7回の手術、保険外の抗がん剤など手をつくしたが

1年3カ月で命の灯は尽きて消えたのです。

 

軍隊上りで命令口調の父が、初節句の赤飯と引きで物の風呂敷包をぶら下げて

独りで、私の住まいに電車を乗り継いでくる事などあり得ない事なのに

父と私は無言だったが、昼食を共にした 不思議な日の想い出が

50年もたった今でも 思い出すと 胸が焼け付くように痛み悲しいのです。

父と私にしか分からない 永久の別れの前触れだったのです。