人生 長く生きて来ると、
時々思い出して、ウルウルしたり
あの時、もしも言えたら・・・とか
あの人、今どうしてるかしら?今逢えたら・・・
と思える、懐かしい想い出の中にずっと生きている人と
「忘れなくちゃ」
「絶対忘れよう」
「きれいさっぱり忘れて,無垢になって終わりたい」・・と
両極端の思いに 胸痛む出来事がいくつかは誰にもあります。
今の私は、最初に書いた甘酸っぱい想い出で
時々 胸が苦しいくなることが多いけど
そんな時 想いが叶わなかったから 美しい過去なのねと
一人想い出に浸る事が多いのです。
でも「きれいさっぱり忘れて、無垢になって・・・」と
時々 胃が痛くなるような思いがこみ上げてくることもあるのです。
どんな理由があっても
どんな辛い目にあっても
いつまでも 人を恨むのは おやめなさいと自分に言い、
良い関係、良くして頂いた事もあるでしょ、
自分も完璧ではないでしょ、
そう 言い聞かせ 又 暫くは 想い出の写真を見る事もあるのに、
たった一人 それが出来ない人がいるのです。
その人は他人ではなく 子供の父親 だから・・・・
まだ幼なかった長女・長男を夜も昼も体を壊す程働き
慈しみ慈しみ育て独立まで支援してきた子供達に
あの鬼畜のような男の血筋を見る事があるからです。
ふと!
似ていると思う時
子供達が 何を考えているのか?
もう何年も音沙汰無く、体調不良、手術をメールで知らせても
無言 or お大事に~ の一文だけ。
私の生きて来た時間を否定され
突き放されたような震えが走るのです。
子供達の父親は私より4歳年上で 職場で出会ったのです。
二十歳の私にはとても大人に見えました。
その年、兄が都内の大学近くの歯科医院に通院し
そこで歯科衛生士をしていた彼女との結婚が決まりました。
兄の先輩が仮仲人で信州の彼女の家に結納の品を持って
ご両親に挨拶に行く時、何故か?私も後ろについて行ったのです。
宿をとり、結納が終わると、宴がありました。
初めての体験、初めての土地にワクワクする私に、
仮仲人さんが
「お兄さん達が結婚したらご両親とすむのだから、
早く、家をでないとね」・・・とにこやかにしかし言葉は鋭く言ったのです。
「そういう物なの?」・・・・呆然としていました。
そういう時期にすれ違った 子供達の父親が 何かの縁に思え
誘われて喫茶店で話をするようになりました。
私達の時代は、二十歳を過ぎて異性と二人で逢うと言う事は
結婚を意識しての品定めのようなものです。
仕事の休日が違うので、文通が殆どで、時々食事をする位です。
今にして思えば、何もかも分からない人でした。
母親は離婚し、長女、次女は父方に、彼だけを連れって
東北の里に帰り、子のいない長男夫婦をとうさん・かあさんと
彼に呼ばせ、養育を託し旅館に住み込みで働いていたようです。
あたかも中居さんのような仕事?を思わせる話でしたが
後に、調理場の賄いさんと知りました。
彼が進学を希望した時、後々養父母を看る事を条件に
正式に養子縁組をしたようです。
彼が東京の大学に受かり、上京した時実母も上京し共に暮らしていました。
実母は病院勤めをしていたと言い、医学用語をしばしばつかうので
看護師と思っていたのですが、 個人病院の賄い婦だったのです。
彼らは6畳、4畳半の借家に住み 電話はありませんが、車はありました。
私の家族や暮らしとは何もかも違い、判らないことばかりでしたが、
彼からプロポーズがありました。
後々、「結婚を前提に・・・というつもりだったが間違って結婚しようと言ってしまった」と。
彼は、今迄付き合って来た女性のイニシャルが皆、Yなんだよね~と。
でも、彼は一度も女性との交際経験はなく、すべて作話でした。
長女が2月に出産のときの暮、恒例だからと、一人で東北の養父母の所に
数日間行って過ごしてきました。
そして難産の末長女を産み、夜見舞ってくれたので甘えて彼のてを取ると
「血なまぐさいから」とその手を解き「この次は男の子な~」・・・と
2年後 長男が産まれました。
皆、お父さんにそっくり!!!と言えば「似ていない。私の兄似だ」と否定。
給料も明細も渡された事は無く、月初めに2万円だし、家賃を払い残りが
生活費なので、「これでいつまで」と聞くと、分からないと答えるのです。
一応 零細企業主ではあり、従業員も徐々に増えてきました。
夫婦喧嘩は一度もしたことがありません。
しかし
食事をしながら、日常会話をして、何か気に障った事が有った時か?
無言で席を立ち私の背後に立ち左手で首を絞め
右手の拳で顔が腫れ、口から血が出るまで、殴り続けます。
子供が居る前でも・・・・。
意味が、理由がわかりませんでした。
そして 私の実家に行き、母に私の至らなさや
ふしだらな作話を聞かせ、
母は何某かのお金を持たしていたようです。
いろいろなことがありました。
そして私は子供を連れて飛び出したのです。
忘れたい。
わすれなければいけない。
この子供達には彼の血筋が通っているから
愛さなければ
愛されたと信じなければ・・・・
私は多分、死ぬまで念仏の様に胸の奥で唱えていることでしょう。