のんびり歩こうよ 亀さんみたい

70歳も半ば近くになって、後は神仏の御心のままに。
ゴールはきまっているのだから、のんびりゆったり 日々を大切に。

忘れたはずなのに・・・

2023-03-31 19:16:46 | 人間関係

人生 長く生きて来ると、

時々思い出して、ウルウルしたり

           あの時、もしも言えたら・・・とか

           あの人、今どうしてるかしら?今逢えたら・・・

と思える、懐かしい想い出の中にずっと生きている人と

「忘れなくちゃ」

 「絶対忘れよう」 

「きれいさっぱり忘れて,無垢になって終わりたい」・・と

両極端の思いに 胸痛む出来事がいくつかは誰にもあります。

 

今の私は、最初に書いた甘酸っぱい想い出で

時々 胸が苦しいくなることが多いけど

そんな時  想いが叶わなかったから 美しい過去なのねと

一人想い出に浸る事が多いのです。

 

でも「きれいさっぱり忘れて、無垢になって・・・」と

時々 胃が痛くなるような思いがこみ上げてくることもあるのです。

 

どんな理由があっても

どんな辛い目にあっても

いつまでも 人を恨むのは おやめなさいと自分に言い、

良い関係、良くして頂いた事もあるでしょ、

自分も完璧ではないでしょ、

そう 言い聞かせ 又 暫くは 想い出の写真を見る事もあるのに、

 

たった一人 それが出来ない人がいるのです。

その人は他人ではなく 子供の父親 だから・・・・

 

まだ幼なかった長女・長男を夜も昼も体を壊す程働き

慈しみ慈しみ育て独立まで支援してきた子供達に

あの鬼畜のような男の血筋を見る事があるからです。

 

ふと!

似ていると思う時

子供達が 何を考えているのか?

   もう何年も音沙汰無く、体調不良、手術をメールで知らせても

   無言 or   お大事に~  の一文だけ。

私の生きて来た時間を否定され 

突き放されたような震えが走るのです。

 

子供達の父親は私より4歳年上で 職場で出会ったのです。

二十歳の私にはとても大人に見えました。

 

その年、兄が都内の大学近くの歯科医院に通院し

そこで歯科衛生士をしていた彼女との結婚が決まりました。

兄の先輩が仮仲人で信州の彼女の家に結納の品を持って

ご両親に挨拶に行く時、何故か?私も後ろについて行ったのです。

 

宿をとり、結納が終わると、宴がありました。

初めての体験、初めての土地にワクワクする私に、

仮仲人さんが

「お兄さん達が結婚したらご両親とすむのだから、

早く、家をでないとね」・・・とにこやかにしかし言葉は鋭く言ったのです。

 

「そういう物なの?」・・・・呆然としていました。

そういう時期にすれ違った 子供達の父親が 何かの縁に思え

誘われて喫茶店で話をするようになりました。

 

私達の時代は、二十歳を過ぎて異性と二人で逢うと言う事は

結婚を意識しての品定めのようなものです。

仕事の休日が違うので、文通が殆どで、時々食事をする位です。

 

今にして思えば、何もかも分からない人でした。

 

母親は離婚し、長女、次女は父方に、彼だけを連れって

東北の里に帰り、子のいない長男夫婦をとうさん・かあさんと

彼に呼ばせ、養育を託し旅館に住み込みで働いていたようです。

あたかも中居さんのような仕事?を思わせる話でしたが

後に、調理場の賄いさんと知りました。

 

彼が進学を希望した時、後々養父母を看る事を条件に

正式に養子縁組をしたようです。

彼が東京の大学に受かり、上京した時実母も上京し共に暮らしていました。

実母は病院勤めをしていたと言い、医学用語をしばしばつかうので

看護師と思っていたのですが、 個人病院の賄い婦だったのです。

 

彼らは6畳、4畳半の借家に住み 電話はありませんが、車はありました。

私の家族や暮らしとは何もかも違い、判らないことばかりでしたが、

彼からプロポーズがありました。

 

後々、「結婚を前提に・・・というつもりだったが間違って結婚しようと言ってしまった」と。

彼は、今迄付き合って来た女性のイニシャルが皆、Yなんだよね~と。

でも、彼は一度も女性との交際経験はなく、すべて作話でした。

 

長女が2月に出産のときの暮、恒例だからと、一人で東北の養父母の所に

数日間行って過ごしてきました。

そして難産の末長女を産み、夜見舞ってくれたので甘えて彼のてを取ると

「血なまぐさいから」とその手を解き「この次は男の子な~」・・・と

 

2年後 長男が産まれました。

皆、お父さんにそっくり!!!と言えば「似ていない。私の兄似だ」と否定。

 

給料も明細も渡された事は無く、月初めに2万円だし、家賃を払い残りが

生活費なので、「これでいつまで」と聞くと、分からないと答えるのです。

一応 零細企業主ではあり、従業員も徐々に増えてきました。

 

夫婦喧嘩は一度もしたことがありません。

しかし

食事をしながら、日常会話をして、何か気に障った事が有った時か?

無言で席を立ち私の背後に立ち左手で首を絞め

右手の拳で顔が腫れ、口から血が出るまで、殴り続けます。

 

子供が居る前でも・・・・。

意味が、理由がわかりませんでした。

 

そして 私の実家に行き、母に私の至らなさや

ふしだらな作話を聞かせ、

母は何某かのお金を持たしていたようです。

 

いろいろなことがありました。

そして私は子供を連れて飛び出したのです。

忘れたい。

わすれなければいけない。

この子供達には彼の血筋が通っているから

愛さなければ

愛されたと信じなければ・・・・

私は多分、死ぬまで念仏の様に胸の奥で唱えていることでしょう。


気儘にのんびり でも考えていますよ。

2023-03-26 13:13:13 | 生 活

昨日、3月25日は母の命日であり

44歳で逝った娘の夫の誕生日でした。

 

母は77歳のお祝いをした後に発症した大腸の病気で

手術・通院、縫合が拙くて再手術。入退院をしている時に

肺がんが見つかり、90歳近くなっていたので在宅緩和ケア―で

看取りました。

 

娘の夫は仕事の都合で近親者のいない福島に移住。

順風に来ていたと安心していたが、

突然、職場で頭痛を訴え、病院に行った時は既に・・・。

娘は看護師だったので、冷静に状況を理解し、怖い位 たんたんと

「もしもし、お母さん!竜ちゃんが永眠しました」電話をしてきました。

生きた年数。

長い看護の末に やっぱり・・・の別れ。

だれも 本当の最期に合わず、一瞬で逝った別れ。

 

でも 悲しみは同じ重さだと感じる。

でも 人間関係が大きく揺れる 眩暈を感じる。

 

私は母亡き後、ぎくしゃくしていた 兄達と距離を置くために

60歳で 単身 里山に移住し、

自分の病気との付き合いだけに専念する生き方を選びました。

争うことに疲れ果てたのです。

 

娘は、福島の家を売り 子供達の学校や仕事へ配慮か?

都心に近い所に転居したようです。

~そう 転居したようです~なのです。

葬儀以来 5~6年逢っていません。

新居の住所も知らせて来ません。

姑さんはもう15年くらい前に他界し、

2年と立たずに 舅さんは彼女が出来て同棲しています。

時々舅さんから 私にメールが来ますが 挨拶程度。

 

どこで なにが 起こっているのか?知るすべもなく

戸籍上の親族はいても 緊急連絡親族はいないのです。

 

娘の様子が変わったのは、夫の他界後から・・・

私は頼るに 足りない 根無し草と思われているのかもしれない。

 

大丈夫だよ。自分の埋葬の地と葬儀代は用意していくからね。

弟夫婦と、仲直りして、孫達が仲良く集い、私を送ってね。

 


新しい試み  訪問看護サービス

2023-03-25 18:31:39 | 生 活

先日、ケアマネさんが、訪問看護サービスの責任者と来られました。

私のケアマネさんは息子より若い(既婚者)男性で

もう10年もお世話になっています。

血縁の家族よりも身近な人かもしれません。

 

去年、てんかん発作で怪我をしたり・・・でディも辞めたし

コロナ禍で友人とランチもしないこの頃・・・・というか?

今年8月で74歳になる私の脳みそと身体の変化を見据えての

事と思うのですが、難病の分類に入るいくつもの病気と同棲している私の

心身の変化を案じて 週1回、看護師さんが家に来てくれて

体調や諸々変化を診て、相談や診療につなげてくれるシステムのようです。

 

これも介護保険制度の一つ。

男性では入り込めない部分をホローする為と言っていたけど

周囲は、認知症やパーキンソン病などで家族介護が問題の年齢になり、

でも 私は一人暮らしを貫いているから

兄弟姉妹も子供もいるけど、遠くに住まい直ぐには来れない距離

来れない距離と言うより、関心の無い距離。

 

そんな私の歩く先を見据えて 看護師さんの自宅訪問を設定してくれたのでしょう。

優しい人ね。

仕事熱心な人ね。

私のつくったお萩や、お惣菜なども パクパク食べてくれる人。

 

世の中悪い事ばかりじゃないね。

多分わたしは10年以内に絶えると思うけど、

だから、今を、ゆったり、陽だまりを探してルンルンで生きないとね。

 

判ってはいたけど、

血縁だけが縁ではないのが 

生きると言う事なのですね。

多くは必要ない、心温まる人との縁。

私は、その縁を見つけたよ。

重荷になるだけの 縁は切ってくれても良いし

自分から捨てても良いと・・・

身軽になって 全うしようね。 自分の命

 


今も辛い 抜歯の後

2023-03-22 18:40:22 | 闘 病

歯の抜歯(根尖性歯周炎の最終段階)は眠っている間に終わり

点滴に鎮痛剤と化膿防止の薬を入れ、ウトウトと一晩が過ぎました。

 

シェーグレン症候群を発症してから、唾液が出ない所為か?

歯の劣化が進み、何度も治療、抜歯をしてきたけれど

今回が一番辛かったかも。

2週間が過ぎても、歯茎の爛れ、潰瘍状態は残ったまま

歯を抜いた後の縫合は自分で見るのも嫌なほど

凸凹して、はち切れそう。

左右の扁桃腺も赤く炎症を起こしたまま。

 

今迄の口腔外科のベテラン医師達は異動になり

若手医師ばかりになって、専門医以上は2人だけなのも不安要因です。

 

思い出すのも辛い程

ソフト面、ハード面で 薄っぺらな医療行為に出くわしてしまいました。

 

追記* 医療保険の不思議?

     日帰りで局部麻酔で出来る巻爪の手術には 手術給付金が出ますが

     5日も入院し全身麻酔で歯茎を切開し3本歯を抜いても

     手術給付金はでないのですね。

     医学書には、抜歯は 時に循環器、神経系統にも余波を及ぼす

     れっきとした「手術」と書かれていました。

 


今日から入院です

2023-03-06 21:26:41 | 闘 病
先週末にコロナの陰性が確定したので、予定通り入院です。今までの2泊3日ではなく、ちょっと厄介な敵で4泊5日になりました。病名は根尖性歯周炎というもので、大分前に神経を取りクラウンを被せた所に、自己免疫が落ちた時、細菌が根元まではいって潰瘍を作り、歯はドロドロに溶け、歯茎から膿が吹出し、いかにも悪玉の形相の潰瘍が歯五本分に広がっています、重度の潰瘍です。 明日手術ですが、何度通院したことか?ドクターとバトルしたことか? 姉達も八十歳近くなりアチコチほつれた身体が辛いからと、酒の立会に来れないと、手紙と小遣いを送ってくれました。通い慣れた国立病院なので不安はないけど、私も姉達も、歳を実感するこの頃です。病院の食事が美味しいのが救いです、 でも明日は手術で絶食😥明後日はプリン食べられるかしら? 今日こそっと売店で買い、冷蔵庫に入れてあります。
食い気があるからまだ敵に負けることは無さそうです