《以下引用》
「イラク国防省のスポークスマンは20日、首都バグダッド南西部で16日以降、武装勢力に拉致されたとみられていた米陸軍兵士2人の遺体が見付かった、と述べた。ロイター通信が報じた。殺害された遺体は、不明となった検問所近くの発電施設周辺の路上で発見された。遺体を見付けた日時は不明。イラク駐留米軍はこの事実をまだ確認していない」(6月20日『CNN』)《引用ここまで》
もはやアメリカ軍の撤退しか、この報復の連鎖を食い止めることはできない。しかし、それが可能か、となれば、果たしてどうか。ベトナム戦争のときのように、アメリカの撤退を条件にどこか第3国で、シーア派、スンニ派、クルドを含めた
会談を開き、和平を前提とした協議を始める・・・。こういった方法でしか解決の手だてはないのではないか。
さて、『出兵を拒否した女性兵士』の最終回。私はジャシンスキーさんのふるさとを訪ねた。
□親子の葛藤
私がレッドグラナイトを訪ねたのはジャシンスキーさんの両親に会うためだった。愛国的で保守的な町にずっと住みながら、両親は娘が取った行動にどう向かい合っているのかを知りたかったからだ。林に囲まれた一角に建つアパートに、父親のケンさんと母親のリンさんが暮らしていた。ふたりは、出兵を拒否した娘の意思の固さというものを、記者会見をする姿が掲載された新聞写真を見たときに確信した、という。
「正直驚きました。信念を伝えるために大勢の人の前に立ったんだな、と思うと、とても不安でした。かなり反発を受けることはわかっていましたから」
リンさんの言葉にケンさんもうなずく。しかし父親のケンさんには娘の行動にいまひとつ馴染めないものがありそうだった。それはテキサス大学にキャサリンさんが合格したときどう思ったか、と質問したときに私が感じたものだった。
「レベルの高い大学に入れたのは私の誇りでした。ただテキサス州民でなかったので学費が高く、1年目は1万8千ドルもしました。しかし娘は軍と入隊契約したことで、奨学金と国を守る義務の両方を手にしたんですから、二重の誇りでした」
そんな道をなぜ捨てるような真似をしたのか、という響きがありありだった。
1枚の写真がある。娘のもので印画紙に刻み込まれた日付から、去年12月27日に撮影されたとわかる。帰郷したときに撮ったものだ。写真のジャシンスキーさんに笑顔はあるものの、親子の間に漂った気まずさをそのまま貼り付けたような表情の写真だった。娘が必死で起こした行動は親にどう映ったのか、私はあらためて聞いてみたかった。
「(父)失望しました。軍に入ったのになぜこんなことをするのかと。娘を傷つけたくないと思いながらも、一方で契約は守るべきであり兵士としての責任は果たすべきだと、そう思うとがっかりもしました」
「(母)とにかく驚き、なぜ娘の気持ちが変わったのか、この町を出てから1年の間に、娘に何が起きたのかを知りたいと思いました。それと同時に少しホットしたのも事実です。自分の子供が戦争に行くことを望む親なんていないですからね」
意見の一致どころか、収拾つきそうもない場面もあった、というのは本当ですか?
「(父)娘はあらゆる戦争が間違っている、といいましたが、私も戦争が良いことだとは思いません。しかしわが国が攻撃されたことに対する報復は必要なことだといったんです」
「(母)娘はブッシュ大統領に対してとても厳しいんです。私たちは大統領の行動に賛成です。だってテロはもうこりごりですもの」
9・11テロ事件をきっかけとした〈テロとの戦争〉を支持しますか?
「(父)大胆にもアメリカを攻撃するとは衝撃でした。市民が攻撃されるのを黙ってみている国などありません。断固とした行動を起こすことは当然です」
何が理由でキャサリンさん変わったと思いますか?
「(母)オーストラリア旅行だったと思います。その国の美しさとか貧しさなど、それまで経験したことのないようなものに触れ、世界の人たちと出会ったんです。その経験が関係していると思います」
リンさんはそういいながら、この町の多くの人がそうだが、自分もウィスコンシン州の外に出たいと思ったことがなかった、だから大学に合格した娘と一緒にテキサス州のオースチンに行ったときは、まるで外国に来たようで怖かった、と打ち明けてくれた。
その話を聞きながら私はふたりに、町のバーで聞いた「ふぬけ者」の話をした。イラク戦争に背を向ける兵士たちをどう思うか、と聞いたときに、ひとりの客が「そんなことはふぬけ者のすることだ」というと、止まり木の客たちが一斉にうなずいたことを思い出したからだ。
「(父)やはり居心地が悪いですね。仕事仲間にも娘のことを臆病者呼ばわりする人たちがいます。なんといってもここには共和党一色ですからね」
「(母)私はキャサリンのことを恥じてなどいません。もし近所の人や職場の同僚が気に入らないというのなら、それは彼らが解決するべき問題でしょう?」
小さな町に暮らすにはそれなりの智恵も必要とされる。娘の行動をめぐって両親の心も揺れる。しかしいまのキャサリンさんには軍事裁判しか残っていなかった。
「(父)娘を100%支持するかと聞かれると・・・、 難しい質問ですね。しかしアメリカという国に生まれた以上、誰にも選択の自由や表現の自由があり、自分の信じることのために戦う権利もあります。そういう意味では正しいことをしています。娘なので心から愛していますが、全て賛成かというと、答えにくい質問ですね」
「(母)娘のことは心配ですが、あの子なら大丈夫です。例え刑務所に行くことになっても、そのときはできるだけたくさんの手紙を書きます」
出兵拒否罪、命令不服従罪、無許可離隊罪、脱走罪・・・、これらは命令に背いた兵士たちに科せられる罪状である。良心的兵役拒否という唯一の権利が認められなかった場合、次はこれらのいずれかの罪状で起訴され、裁かれる。
今年1月18日、ジャシンスキーさんに1枚の公文書が届く。出兵拒否を定めた軍法87条と、命令不服従を定めた軍法90条に違反したとする起訴状だった。もしふたつの罪で有罪となれば、最長4年の禁固刑である。
「軍がなんといおうとも私は最後まで良心的兵役拒否を貫きます。この2年間も厳しい道のりでしたし、軍を辞めるための最後のステップと思えば、覚悟はできています」
良心的兵役拒否を明確にしてから1年と7ヶ月。ジャシンスキーさんに与えられた基地での仕事といえば、コピー取り、床ふき、ゴミ捨て。それに懲罰として科せられたトイレの掃除という単調なものばかりだった。兵士たちからの視線にも冷ややかなものがある。
「戦争に行くのが怖いのだろうとか、死にたくないから拒否したんだとか、教育上の恩恵や援助を受けるために入隊しただけではないかという人もいます。でも軍に対して立ち向かうのもかなりの勇気が要ることなんです」
失うものも多い。軍事裁判で有罪となり不名誉除隊が宣告されれば、退職金も年金も失い、連邦や州の公共機関への就職の機会も失い、さらに州によっては選挙権をも失う。
〈テロとの戦争〉をきっかけに、このような覚悟をも決めて軍に立ち向かった兵士の数は270人(兵士を支援する弁護士グループの調査)に上る。だが、アラブ系アメリカ兵ひとりを除いて、誰ひとり名誉除隊となった兵士はいない。
ジャシンスキーさんは、いまも軍事裁判を待つ身である。(了)
(注)キャサリン・ジャシンスキーさんの軍事裁判は5月23日に行われた。有罪となった。詳しくは5月25日の当ブログをご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/ysok923/m/200605
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