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■「出兵を拒否した女性兵士」 (中)

 自衛隊のイラク撤退は8月までには完了させる、と政府は決めた。これは当然のことだ。そもそも派遣そのものに、法的にもムリがあったのだから。(今のところ)隊員の命に関わる事件や事故がなかったことは喜ばしいことだ。

 自衛隊が駐留しているムサンナ州の治安は、今後イラク側が担うことになるが、果たして大丈夫か。アメリカとすれば、引きたくても引けない事情は全く変わっていない。むしろ日本やイギリスなど多国籍軍を構成してきた国々が撤退することで、負担が確実に増えていくことだろう。

 まあ、国際世論の反対を押し切ってまでして始めた戦争だから、仕方ないといえば仕方ない。そんな状況に難題が降りかかってきた。

《以下引用》
 「イラクの首都バグダッドの南西ユスフィヤの検問所で米兵2人が武装勢力に拉致されたとみられ、行方不明になっている事件で、アルカイダ系組織が19日、ウェブサイト上に犯行声明を出した。組織は「ムジャヒディン評議会」を名乗り、犯行声明には画像や動画はない。声明は、今後数日内に事件について新たな情報を掲載するとしている。声明の真偽は不明。米陸軍は18日夜、米兵2人がオレゴン州出身のローウェル・タッカー上等兵(25)と、テキサス州出身のクリスティアン・メンチャカ上等兵(23)であることを公表。事件当時現場にいた3人目の米兵で、マサチューセッツ州出身のデービッド・バビノー技術兵(25)は、武装勢力の襲撃で死亡した」(6月20日『CNN』)《引用ここまで》

 ユスフィヤは見通しの効くだだっ広い場所である。03年の4月にバグダッド攻略を計ったアメリカ軍は、このユスフィヤでイラク共和国軍と遭遇、激しい戦闘になった。しかし長くは続かなかった。共和国軍の将校ら幹部が指揮も取らずに逃げたからである。兵士だったひとりから実際にこの場所で私が聞いた話である。

 この場所でふたりのアメリカ兵が誘拐された。無事を祈るのみである。

 さて、以下は『出兵を拒否した女性兵士』の続きです。キャサリン・ジャシンスキーさんの決意は、さまざまな波紋を広げます。

□志願兵制の下での良心的兵役拒否 
 宗教や信仰に基づいて、兵士が戦争に加わることを拒む権利=兵役拒否の権利がアメリカで広まったのは、第1次世界大戦のころからである。憲法が定めた信教の自由に則って軍の法律でも、教義のなかに非暴力主義が謳われ、兵士もその信者であることが証明された場合には拒否できる、と明記された。

 さらにベトナム戦争が激しさを増した70年代初めには、宗教や信仰の定義をどこまで拡大するかの検討がなされた結果、個人の信条や良心までもが含まれることになった。徴兵制が敷かれていた時代には多くの兵士がこの権利の恩恵に浴したが、いまは志願兵制だった。

 保守系シンクタンクの上級研究員で、元陸軍中佐のジェームズ・カラファーノ氏は、志願兵制の下で良心的兵役拒否を申請する厳しさについていう。

 「軍は軍の役割を理解した上で志願したと考えますから、心変わりしたのであれば、価値観の土台が本質的に変わったことを証明する責任は申請者側にあります。信条が変わったのであれば、それなりに本を読んだり人と会ったりしているはずなので、その人の変遷をたどれるような証拠を示さなければなりません。証明する負担はより重くなっていることは事実でしょう」

 基地司令官宛に出された除隊申請は基地内に設置された審問会を経て、最終的には陸軍省兵役拒否調査委員会が決定を下す。つまり申請した兵士から見れば、入隊契約をした相手が判断するという仕組みだ。証拠を添えてジャシンスキーさんが提出していた除隊申請は、提出から13ヶ月経った05年7月、証拠は説得力ある理由を提示し得なかった、として却下された。結論だけが書かれたそっけないもので、却下の理由はなかった。

 この間1回だけジャシンスキーさん本人の尋問を目的とした審問会が開かれた、という。審問に当たったのは直属の将校のほか、基地と契約をしている牧師や精神科医だった。

 質問「アメリカが戦ってきた過去と現在の全ての戦争に反対なのか、それとも現在のイラクやアフガニスタンの戦争だけか?」「全ての戦争です」
 質問「祖国を守るためには戦争もあり、ときに人命を奪うこともあるということを理解していなかったのか?」「理解していました」
 質問「なぜ軍に入隊したのか?」「子供のころに植え付けられた親の価値観からです」

 あらかじめ質問内容も決めてあったのか尋問時間は短く、結論ありきだったのではないか、とジャシンスキーさんは推測している。

 良心的兵役拒否を根拠にした除隊申請が却下された以上、ジャシンスキーさんに残された道はふたつしかなかった。ひとつは軍に対する法的義務を果たすために全ての命令に従うか、それとも個人の倫理観に従って命令を拒否し、軍事裁判の道を選ぶのか?

 却下から3ヶ月過ぎた05年10月、ジャシンスキーさんのもとに陸軍省からの手紙が届く。それは「不滅の自由作戦」を支援するために、アフガニスタンにあるバグラム空軍基地への出兵を命ずる、という出兵命令書だった。

 「申請が却下されたすぐあとの出兵命令でしたので、とてもショックでした。全てが悪い冗談のように思えました。本当に悩みました」
 
 3週間後、ジャシンスキーさんは記者会見を開いた。 
 「この決断が自分の将来や家族にどんな影響を及ぼすか。そして服役の可能性や、いかなる軽蔑やあざけりを被るかなど深く考えました。しかし私の考えはもう変わりません。出兵も拒否します」
 
 あくまでも自分は兵士に与えられた権利である良心的兵役拒否を理由に除隊を求める、もし軍がそれを認めず、アフガニスタンへの出兵命令を拒否した出兵拒否罪で起訴するならば、それに対しても戦う意思を公に表明した瞬間だった。

 去年暮れ、ジャシンスキーさんはクリスマス休暇を使って帰郷した。両親に自分の考えを理解してもらうためだった。
 「でもだめでした。意見が一致するどころか、収拾がつきそうもないので話を止めなければならない場面さえありました」

 親子の間には気まずい空気が流れ、それはいまもお互いの気持ちになかに漂っている、という。(以下続く)

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