時差ボケの御利益?で朝4時半過ぎには目が覚めてしまったので、テレビをつけたらトリノ・オリンピックの開幕式を中継していた。炎と花火が織りなすイタリアならではの情熱的な演出が気に入った。
ギリシャから始まる選手団の入場は、いかにも冬の大会らしいコスチュームと色彩に溢れていた。各国・地域代表選手団の行進が続く中で、冬のオリンピックでは初めての同時入場、と中継のアナウンサーがいっていたけれども、韓国と北朝鮮の選手団が「KOREA」という統一した名前のもとで行進していく映像を見ながら、この仲良しぶりをいまいましく思っている連中もいるだろうな、などと考えた。
「核」というスポーツの世界とは別のことだが、北朝鮮の核を巡っては、当の北朝鮮はじめ、日本、アメリカ、中国、ロシア、韓国の6カ国が、ぎくしゃくしながらも協議を続けてきた。しかし一向にまとまらないのは、はっきり言えば北朝鮮に足元を見られているからだ、と私は思う。したたかな外交戦術に翻弄されている、と言い換えてもいい。
例えば日本と北朝鮮。小泉外交の面目躍如、と思われた2002年9月の初訪朝だったが、〈拉致問題〉への対応からおおきくつまずき、いまでは「日朝宣言」そのものすら反古になりかねない状況を迎えている。
アメリカと北朝鮮にしても、基本的には2002年1月の一般教書演説で、ブッシュ大統領が北朝鮮を〈悪の枢軸国〉呼ばわりをした線をはみ出たものではない。アメリカは相変わらず金正日(キム・ジョンイル)総書記を〈ならず者〉と見、出来うるならば排除したいと願っている、はずである。
中国・ロシアと北朝鮮はいまも同盟的なつながりを持っているとはいえ、ことに中国にとっては2008年の夏のオリンピックを始め、国際社会の中で名誉ある地位を占めるには、北朝鮮の〈暴走〉だけは押さえなければならない立場にある。
北朝鮮に対しては日本、アメリカ、中国、ロシアとそれぞれ微妙な問題を抱える中で、韓国だけが北朝鮮にますます接近しているように見える。かつて「北には鬼が住む」と教え、反共教育を徹底させた〈親米〉国家韓国が、いまでは〈親北〉感情に走る。
トリノ・オリンピックのメイン・スタジアムを北朝鮮の選手団と仲良く行進する韓国選手団を眺めながら、いったい韓国ではいつからこのような変化が始まったのだろうか、と考えてみる。つまり〈反北〉から〈親北〉へ・・・。言葉を変えれば〈親米〉から〈反米〉へ、である。
題して、『検証・韓国反米感情の深層』。今日はその第一回。
話はこんな衝撃的なオフレコ発言から始まる。
「北朝鮮の核問題に関して、日米の間での情報交換はうまくいってるが、アメリカは韓国を信頼していないようで、従って日本が入手する北朝鮮の核情報を韓国と共有するにはためらいがある」
去年(2005年)5月に訪日した韓国国会国防委員会所属議員団とのオフレコ朝食会で、外務省の谷内正太郎事務次官は極めて直截的な表現でこう発言し、さらに、北朝鮮の核問題をめぐる6ヵ国協議でアメリカと日本は右側にいて中国と北朝鮮は左側にいるが、韓国は中間より左にいっているようだ、と語ったという。
韓国を信頼できないため北朝鮮の核情報を共有できない、という衝撃的な発言に韓国外交通商省(外務省)の報道官は、韓国政府をけなしアメリカとの同盟関係まで損傷させるものだ、と批判、返す刀で日本の責任ある人たちの歴史歪曲発言や靖国参拝問題などとともに、今後の韓日関係を総合的に判断しなければならない、と感情をむき出しにした。
だが、北朝鮮の核開発問題を巡って、1年以上も膠着状態に陥っていた6ヵ国協議が、結果がどう出るにせよ再会されるに至ったいきさつを見れば、北朝鮮に圧力を強めようとする日米よりも、むしろ核開発を断念する代わりに電力供給をする、といった融和政策で引き込もうとした韓国側のアプローチにこそ軍配が上がる気配である。
日韓が国交を回復して今年で41年。
去年は40周年ということで「日韓友情年」と名付けられた。40年といえば〈不惑〉である。にもかかわらずいまもって日韓間に信頼関係が築かれないのは、アメリカにはめっぽういい顔をするが、韓国を始めアジアの国々に対しては政治的関心のあまりない小泉純一郎という日本の首相、一方で、そのような日本に対してはいまひとつ信頼を置いていない盧武鉉(ノ・ムヒョン)という韓国の大統領、いわばウマが合わない首脳をそれぞれの国が抱えているからだ、と私は密かに思っている。
そしてアメリカの朝鮮半島専門家たちからは、日米は良好だが問題は日韓関係の齟齬と米韓同盟関係の危うさだ、しかしこれはもはや記事にもならない、といった諦めともぼやきとも判別つかない言葉が聞こえてくる。
もはや日韓関係と米韓同盟関係の危うさは記事にもならない・・・。アメリカの朝鮮半島問題専門家のこういった言葉を持ち出すまでもなく、谷内事務次官の冒頭発言はまさに盧武鉉政権の本質を突いたものだった。そしてその兆候は、確かに芽生えていたのだ。
話は4年前の韓国・大邱(テグ)サッカー場に始まる。
2002年5月31日に始まった日韓共催ワールドカップ・サッカー大会で、韓国代表チームと同じ赤シャツのレプリカを着た韓国人サポーターたちの熱狂は、グループリーグ戦でまずポーランドに勝利したときから始まった。
そして続く第2戦。韓国代表チームの相手は〈宿敵〉アメリカだった。〈宿敵〉というのにはわけがあった。(第二回に続く)
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