《以下引用》
「日本相撲協会から厳罰を受けて「急性ストレス障害」などと診断された横綱朝青龍が相撲協会医務委員会から紹介された今坂康志医師の治療を引き続き受けることになった。師匠の高砂親方(元大関朝潮)が13日、明らかにした。高砂親方は「1人でも多くの医師に診てもらった方がいい」として、今坂医師が海外出張中ということもあり、この日に新たな医師による往診をしてもらう意向だった。だがこの日、今坂医師の上司に当たる医師から「あまりいろいろな先生に診てもらうのはよくない」とのアドバイスを受けたため「今坂医師が帰国する16日か17日に再診をしてもらう」と、考えを変えた。高砂親方は「墓参りに行かないといけないし」と、14、15の両日は休養する」(8月14日『デイリー・スポーツ』)《引用ここまで》
大抵の外国人力士は日本の「相撲道」に合わせる。それが礼儀だと思うからだろう。日本人もそれが当然だと思ってきた。ところが朝青龍は稽古といい、相撲の取り口といい、勝った後の憎々しさといい、日々の行儀といい、これまでの外国人力士にはないある種の「ふてぶてしさ」を備えた力士と映る。
それは朝青竜の良さでもあり、悪さでもある。この二つのうち、良さ・悪さのどちらを強く感じるかは、いまの「相撲道」をどうとらえるかにかかっている。一般論的に国際化、と考えれば、国際スタンダードに合わせ、まぁ今回の問題も仕方ないか、となるかもしれない。もっと日本もおおらかに、となるかもしれない。
しかし、国際化などろくなものをもたらさない、と考えれば、ひとつぐらいは日本的なものに固執することも大事だ、と思うのも日本人の人情である。
もちろんその中間の考え方もある。国際化の中だからこそ、相撲という日本の伝統スポーツには品格が必要だといったことか。
上記のニュースから判断すると、朝青竜は体に似合わず実は精神が繊細なのかもしれない。弱いといってもいい。横綱としての相撲強さと、追い込まれたときの心の弱さが、最後には心の弱さが勝って、本人の相撲廃業にでも結びつけば、いったい喜ぶ人はいるだろうか。
逆に、よく言われてきたように横綱の品格にも欠け、親方の言い分にも従わず、このままやんちゃぶりを野放しにしておけば、日本の相撲界は、やはりひんしゅくを買うしかないだろう。この板挟みをどう乗り越えていくのか。
強くも出られない、かといって弱気に出ればたたかれる。外国人力士の入門が絶えないいま、ここは「相撲道」はどうあるべきかの現代版を作り出すしかないのではないか。
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