基地というものは様々な有毒物を使うものらしい。恩納村に返された基地は、実は土地がPCBに汚染されたまま返還された。いったい誰が汚染除去をするのか、アメリカ軍はほおかむりしたままだが、国もなんの面倒を見ない。従って、返還されてもそのままの状態で放置されるのがオチだ。飛ぶ鳥、あとを濁さず、は通用しない現実がある。
さて、読谷村の返還された基地の跡地利用のことだが、村長さんだった山内徳信さんは「跡地は農地に」を訴えてきた。読谷村の農産物といえば紅イモだが、村はいまも「農業立村」を考えているのだろうか。
復帰から35年。これまでの沖縄は「3K」に支えられてきた。基地、観光、公共事業の頭文字を取ったKである。もう他力本願は止めよう、自力で生きていこう、というシグナルである。しばらくは成り行きに注目したい。
ということで一昨日沖縄から戻り、昨日は京都、今日は佐久。この間の「旅」を思い出しながら、国も国だから、地方は地方で知恵を出し合いながら生きていく方策を考えなければならない時代のまっただ中に来たのだな、と実感せざるを得ない。新自由主義というか市場原理は、地方自治の中にも容赦なく入り込んで来ているのである。
地方は、発想を変えて、武装しなければならない。
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山内応援団。
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