訃報がニュースになる直前の午後1時5分に、以前、プロデューサーとして関わった大滝さんのドキュメンタリー(NHKハイビジョン特集『全身“役者魂”大滝秀治~84歳 執念の舞台』2009年1月23日放送)でお世話になったNさんからの電話で知った。あまりの驚きで声が出なかった。
番組を担当したMディレクターも、一瞬声を詰まらせた。
つい先日、高倉健のドキュメンタリーの中で、現在上映中の「あなたへ」という映画で共演していた大滝さんの大滝さんらしい演技を見たばかりだったので、余計、訃報が信じられなかった。
去年、これもNHKのハイビジョン特集で、プロデューサーとして関わった『役者 奈良岡朋子~舞台の上の60年~』(2011年12月6日放送)で、大滝さんのライバルでもあり戦友でもある奈良岡さんの舞台を見に来た大滝さんに、Mディレクターの代理でインタビューしたこと...があった。
「素晴らしかった、素晴らしかった」。
そう語り、引き続き楽屋裏に奈良岡さんを訪ねた大滝さんは、奈良岡さんの手を握り、「やあ、素晴らしかった、お疲れさん、お疲れさん」と声をかけ、「じゃぁね」といって去っていった。
時間にすれば2~3分か。ライバルであり戦友とはこういう関係なのだ、と、そのとき奇妙に納得をしたことを思い出す。
もっと個人的なことをいえば、「ニュースステーション」(テレビ朝日)という番組が始まって間もなくのころ、ベルリンオリンピック(1936年)のマラソン優勝者にまつわる秘話を特集企画として放送したとき、大滝さんにナレーションをお願いした。マラソン優勝者は孫基禎(ソン・キジョン)さんという韓国人だったが、当時は日本の植民地化であったため、孫さんは日本人代表として「そん・きてい」として出場したはずだった。
だが、その孫さんは、私自身、驚いたのだが、スイス・レマン湖のほとりにあるIOC博物館が近代オリンピックが始まって以降、保管をしてきた歴代メダリストサイン帳に、「そん・きてい」という日本読みではなく「ソン・キジョン」とハングルで署名をしていたことを知った。
大滝さんは、細かい秘話まではご存じなかったが、ソン・キジョンさんのことは記憶していて、編集済みのVTRを持って自宅を訪ねた私の目の前で、「孫さんの気持ちはよくわかります」と何度も何度も再生しながら、ナレーションの練習をされた。
そのときに知ったのは、大滝さんはナレーションひとつにも、リアリズムにこだわる人だ、ということだった。
大滝さんの死を、多くのファンや関係者が惜しむ。私は私なりの関係において、心から哀悼の意を表したいと思います。
合掌。
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