この会津藩の「什の掟」は大河ドラマ「八重の桜」でも取り上げられましたが、幼少のころから会津藩士がつちかってきた精神的な支柱であると理解しています。
城下の若松郭内に屋敷を構える会津藩の上士は、約八百戸あったといわれ、その子息達は六歳になると居住地域によって「什」という子供達の組織(遊びの仲間)に振り分けられ、この「什の掟」を教えられたといわれています。
「什」とは六~九歳までの男子が入らなくてはいけない子ども中心の自治組織のようなもので、掟を破ると数週間遊び仲間から外されたそうです。想像以上にこの「派切れ」は本人にとって精神的につらいものだったらしく、約束を破った後の制裁の厳しさを幼少時に身をもって体験していました。この体験が会津藩家臣団の強固な結束の源泉の一つではなかったかと思います。
その精神が現代の「あいづっこ宣言」(会津若松市青少年育成市民会議)に受け継がれています。
あいづっこ宣言
一 人をいたわります
二 ありがとう ごめんなさいを言います
三 がまんをします
四 卑怯(ひきょう)なふるまいをしません
五 会津を誇(ほこ)り 年上を敬(うやま)います
六 夢に向かってがんばります
やってはならぬ やらねばならぬ
ならぬことは ならぬものです
城下の若松郭内に屋敷を構える会津藩の上士は、約八百戸あったといわれ、その子息達は六歳になると居住地域によって「什」という子供達の組織(遊びの仲間)に振り分けられ、この「什の掟」を教えられたといわれています。
「什」とは六~九歳までの男子が入らなくてはいけない子ども中心の自治組織のようなもので、掟を破ると数週間遊び仲間から外されたそうです。想像以上にこの「派切れ」は本人にとって精神的につらいものだったらしく、約束を破った後の制裁の厳しさを幼少時に身をもって体験していました。この体験が会津藩家臣団の強固な結束の源泉の一つではなかったかと思います。
その精神が現代の「あいづっこ宣言」(会津若松市青少年育成市民会議)に受け継がれています。
あいづっこ宣言
一 人をいたわります
二 ありがとう ごめんなさいを言います
三 がまんをします
四 卑怯(ひきょう)なふるまいをしません
五 会津を誇(ほこ)り 年上を敬(うやま)います
六 夢に向かってがんばります
やってはならぬ やらねばならぬ
ならぬことは ならぬものです