武士に限らず、近代以前の世襲的社会においては、教育の基本はいわゆる「全人教育」でありました。
武士の教育目標は、立派な武士に育てることであり、商人はわが子を立派に商人に仕立てようとし、百姓もまた同様でありました。
立派な武士とは、頭のてっぺんから足の先まで、一分の隙もなく武士としての魂、力を身につけた者だということができましょう。とするならば、立派な武士に育てるとは、肉体・精神の働きすべてが武士らしくあるようにさせることにほかなりません。ですから、武士の子弟は、箸の上げ下ろし、歩き方、座り方、眠り方から始まって、武芸、文学の知識、内面的な人格まで、あらゆることを、武士という一つの目標に向かって統一的に学ぶべきだと教えられたのでした。武士という稼業にあっては、心の持ち方、身のこなしどれ一つをとっても、武士稼業と関係ないものはないとされたからです。(中略)
時と場によっていくつもの役割を使い分ける近代人と、寝ても覚めても武士として暮らす人たちとでは、教育のあり方も大きく異なってまいります。(中略)
いずれにしても、武士においては、知情意すべての教えが、立派な武士という目的に統一されております。そして、武士の子弟は、己のすべてをもって、武士という目標に一致すべきものとされていたわけです。
このような、全人的な数値目標は、文学・書物の知識の伝達だけで達成されるものではありません。教育目標は、武士を「知る」ことではなく、武士に「なる」ことだからです。「知る」教育ではない、「なる」教育、これが武士の教育の基本であり、また「全人教育」が本来意味するところであるわけです。
「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用