ゆかりんご

沢田研二さん、ジュリーについてのブログです。GREEもどうぞ。
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磯前順一さんラジオ 7

2014-02-23 09:13:25 | ジュリー
ひとりぼっちのバラード

あらら、途中でフェードアウト
珍しくCMが入ってます
そして、CMのあとは、バックに、ピーのが流れています。

細川さん。
これが加橋かつみのアルバムと3日ちがいでぶつけて出すというのは、ほんとだとしたらすごい出来事ですね。

磯前さん。
ふたりにとって、このそれぞれのアルバムは人生のスタートだったと思うんですね。
ポストタイガース、まさに、沢田研二さんが言っているように、ひとりぼっちがはじまっていく時期だったと思います。
今でもふたりはこの1月も、それぞれのライブやコンサートで、この歌を歌い続けてます。
沢田さんはようやく65を過ぎて、ひとりぼっちのバラードを歌えるようになってきた。それだけ40年以上の長い時間をかけて、彼らはこの1969年ということの意味を消化してきたと思うんですよね。
加橋さんもこの数年、この雨上がりと僕だけがタイガースやめたあとの曲で唯一演奏してる曲なんですね。

細川さん。
ジュリーは舞台は舞台、エンターテイメントだということを非常に意識してる人、だからどんなことでもやれる。一方、加橋かつみと瞳みのるはバンドにかけてた。そこの方向のちがいが、69年くらいのインタビューなんかでも出てましたけど、それが本質的なちがいですかね。

磯前さん。
沢田さんは当時のインタビューで、自分はサミーデービスジュニアやアダモになりたいと言っているんですね。ニューロックの時代がきて、ツェッペリンとかジミーヘンドリックスのようには自分たちは弾けない、となったときに、沢田さんは歌に賭けよう、それはエンターテイナーとして歌に賭けたいということだったと思います。
でも、瞳さんや加橋さんは、同じ時期にジミヘンやクリームみたいな演奏をしたい。やっぱり自分たちはロックバンドなんだ、そこが埋めがたいものがあったと思いますね。

細川さん。
バンド対歌手、これ永遠の問題ですね。
それがこんなに鮮やかな形で出ているバンドもほかにない。
それを描いてくれた本もほかになかったので、ほんとに参考になって、感銘を受けました。
これが瞳みのるのという最近のシングル盤ですね。
瞳みのるはタイガース最後のコンサートのあとに、
おれはもうこれで京都に帰るからな、と友だちのトラックに乗って、じゃあさよなら、さらばと言ったそうですね。

磯前さん。
瞳さんはそのとき、10年後にあおう、と語るんですね。そのときに彼はすべてタイガースは自分の手でおわらせなければならない、そういう気持ちが始まったのは、加橋かつみが脱退した1969年3月5日だった。

細川さん。
きょうはほんとうにすばらしい話をありがとうございました。
ほんとに素晴らしかったので、磯前さんには再来週もう一回来てもらって、こんどはジュリーの話をしてもらおうかと思います。
きょうは、「世界はボクらを待っていた」の著者磯前順一さんをお招きして、タイガースについて、あれこれどころか、ほんとに本質をつく話をしていただきました。
ただのシングル盤のファンで、テレビの前でシーサイドバウンドで踊ってた僕とは大違いの非常に深い話、
1969年というのがこの5人の青年にとって、意味があったのか、ファンにとってもそうなんですけど、そんな話をしてもらいました。

これで終わりです。
改めて書いてみると、ほんとにタイガースがたどってきた道がよくわかって、そしてメンバーみんなが背負ってきたものがいかに重いのかが、少しわかったような気がします。
再来週は、ジュリーに関するお話らしいので、またしっかりと聞きたいと思います。
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2月22日(土)のつぶやき

2014-02-23 07:25:34 | ジュリー

真央ちゃんのフリーの演技を客席で見てた高橋大輔くんの顔が素敵だった~。
ふたりの滑りがエキシビションで見られるのは楽しみ(^-^)/
寝ないで見るぞ。


ある人から、あなたは今までずーっと自分のペースで生きてきた人なんだろうな~と言われた。
いやいや、そんなことないのに。
というか、AB型なので、相手によってころっと変わるずるいところはある、と思う。


ローリングストーンズ、26日公演、どなたか行きたいかたいらっしゃいますか。
お友だちが行かれなくなりました。1階スタンド席です。


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